横しぐれ (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061960657

作品紹介・あらすじ

父と、黒川先生とが、あの日道後の茶店で行き会った、酒飲みの乞食坊主は、山頭火だったのではなかろうか。横しぐれ、たった一つのその言葉に感嘆して、不意に雨中に出て行ったその男を追跡しているうちに、父の、家族の、「わたし」の、思いがけない過去の姿が立ち現れてくる。小説的趣向に存分にこらした名篇「横しぐれ」ほか、丸谷才一独特の世界を展開した短篇三作を収録。

感想・レビュー・書評

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  • ボリュームもユーモアも話の硬さも適度すぎる品の良い短編集。
    表題作のテーマ・進行・締めは余りにもオシャレ。

  • 丸谷才一「横しぐれ」、誰が何処で推奨していたのか定かでないが、信頼する作家が強く薦めていたことはよく覚えている。この本がなかなか手に入らず焦れていたことも事実である。
    読むうちに、その意味がよくわかった。構成・文章・内容のすべてが読む者を独特の世界に深く引き込んで、しみじみとした懐かしさとともに強烈な印象を残してくれる。父の過去の話・種田山頭火の詩論とその晩年・国文学者(英文学者)の研究作法 等々、丸谷才一という作家の能力・学者としての矜持を見せつけられた思いである。
    「だらだら坂」の緊迫感、「中年」の夫婦間の裏切りと諦観、兄弟関係の微妙な齟齬と距離感 等々ちょっとした話を簡潔で絶妙な表現で展開する秀逸な短編であった。「初旅」はいまひとつピンとこなかった。
    彼の他の作品も早速読もうと思う。

  • 旧仮名遣いだが、文章は流麗。
    一文が長めで、よく連想から過去の話に移るので、時系列が把握しづらくなる。

    父親と高校時代の国語教師が四国旅行時に出会った坊さんの正体を探る「横しぐれ」、記憶喪失になった少年と従兄弟を探しに盛岡へ行く主人公が交互に描かれる「初旅」が面白い。

  • 小説のたくらみ
     解説の池内紀や小谷野敦も書いてるが、横しぐれは種田山頭火の裏に、主人公の出生の秘密が隠されてゐる。私は終盤に差しかかった時気づいた。明言されないやうに巧く書いてゐるので気づかない人もゐるだらう。樹影譚も出生の秘密ものである。《次男なのに「才一」という名の謎。》といふ小谷野の文の意味がやうやく解った。
     種田山頭火の考證も、飛躍的な所はあるが「おっ」と昂奮する部分もあっておもしろかった。

  • 2018/11/20-12/03

  • やっぱりうまい。と思ったら小谷野敦がアマズンで激賞。

  • 「わたし」は、中世和歌や連歌を専門とする国文学研究室の助手。父の通夜の席で、父の友人であった国文学の黒川先生に思い出話を聞く。実は、戦争が激しくなるちょっと前、黒川先生は父と連れ立って郷里の松山を訪れたことがある。そのとき、道後温泉近くの茶店で一人の乞食坊主に酒をたかられた話を以前に父から聞いたことがあるのだが、たいそう話の面白い坊主で、特に将棋指しの手拭いの話が面白かったという。

    将棋指しに限らず無宿者は、旅の間一本の手拭いを用意し、一夜の宿を借る際に手向けとして差し出す。宿の主は翌朝そのまま返す、という慣習がある。評者は『ひとり狼』という映画でこれを知った。旅の将棋指しは、手拭いを洗濯中で、どうせ返ってくるものと思い、たたんだ褌を差し出したが、あいにく留守を預かる家人はこの慣習を知らず、受け取ったまま返さないので褌ができず困った、という与太話である。

    お楽しみはこれからだ。その日、強い雨が降った。これを「横しぐれ」と評した黒川先生の言葉に、旅の僧がいたく感嘆したという。後日、調べ物をしていた「わたし」は、『現代俳句集』のなかにある種田山頭火の句に「しぐれ」を詠んだものが多いことに気づく。略暦を読むと、そこに「昭和十五年松山一草庵にて頓死」とある。ひょっとしたら、父が出会った乞食坊主とは、山頭火その人ではなかったか、と思いついた「わたし」は、関連する書物を集め、その証拠を固めようとするのだった。

    昭和四十二年に新聞に連載された記事がブームに火をつけたようだ。世に山頭火ブームともいうべき現象が現れた。山頭火はテレヴィ番組やマンガにまでなった。尾崎放哉もそうだが、世人は自由律俳諧というより、専ら世捨て人めいたその生き方に興味を引かれたのではなかろうか。

    しかし、多分に作家その人を連想させる「わたし」の興味は、純粋に学問的関心らしい。源三位頼政の歌にある「横しぐれ」という歌語が、山頭火の俳句のなかに果たして存在するか。また、道後温泉で父が出会った大酒のみの旅の僧は山頭火本人だったのか、国文学者らしい実証主義で文献を渉猟してゆく。このあたり、謎解き探偵小説のようで実にスリリングである。

    反戦主義者であった黒川先生とぶつかったことから、その坊主は右翼だったろうと見当をつけ、山頭火と日本浪漫派の関係を探ったり、山頭火の日記から松山での足取りを追ったりするが、謎は深まるばかり。とうとう研究者にあるまじき類推に走る「わたし」に、定家論を出版したばかりの仏文学者が同調し、「しぐれ」は「死暮れ」だとか、「よこし」は「横死」ではないかと、言葉遊びめいた極論が飛び出すところまでいく。この仏文学者も丸谷の分身で、二人の会話によって論調が変化するあたり、丸谷の文学評論を読む面白さである。

    探索の果てに、「わたし」は、思いもかけない父の側面を知ることになる。それは自分の人生の一部分を形成する大きな出来事であった。年少の「わたし」には知らされなかった事件は、しかし「わたし」が自分の進路を選ぶとき無意識の裡に影響を与えていたのではないか。

    文学ミステリの意匠をまといつつ、山頭火の文学とその人物を深く掘り下げるとともに、「私小説」めいた身振りを装い、作家自身を思わせる主人公の人間形成の履歴にメスを入れるという手の込んだ中編小説。反戦思想と歌語という主題は、『笹まくら』とも共通する、いかにも丸谷才一らしいアクロバチックな趣向である。人と「死」の出会いについて様々な思いをめぐらせた一篇。他に「だらだら坂」「中年」「初旅」の三篇を収める。

  • 流石の一言。ぐいぐいと引き込まれた名作。

  • よく言われるが表題作の推理小説的手法が良くて、また最後の余韻が良い。

  • 米澤穂信の100冊その49:「六の宮の姫君」からのつながり。

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著者プロフィール

大正14年8月27日、山形県生まれ。昭和25年東京大学文学部英文学科卒。作家。日本芸術院会員。大学卒業後、昭和40年まで國學院大學に勤務。小説・評論・随筆・翻訳・対談と幅広く活躍。43年芥川賞を、47年谷崎賞を、49年谷崎賞・読売文学賞を、60年野間文芸賞を、63年川端賞を、平成3年インデペンデント外国文学賞を受賞するなど受賞多数。平成23年、文化勲章受章。著書に『笹まくら』(昭41 河出書房)『丸谷才一批評集』全6巻(平7〜8 文藝春秋)『耀く日の宮』(平15 講談社)『持ち重りする薔薇の花』(平24 新潮社)など。

「2012年 『久保田淳座談集 暁の明星 歌の流れ、歌のひろがり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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