吉田松陰(1) (山岡荘八歴史文庫)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 258
感想 : 25
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  • Amazon.co.jp ・本 (372ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061950726

作品紹介・あらすじ

長州藩きっての俊才として吉田大治郎(松陰)の前途は明るい。だが時代の嵐を察知する彼の目は外へ外へと向けられた。九州遊学中に出会った山鹿万介、宮部鼎蔵(ていぞう)らの烈々たる尊皇攘夷の弁、平戸で見た数多くの黒船や異人の姿、大治郎は外圧の高まりを身に刻んで知った。彼は叫ぶ、神州の民よ、めざめよ、と。

感想・レビュー・書評

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  • 吉田松陰の前半生。
    この人の人生経験に因数分解を施していますが、思想の成立の土台部分がよく理解できます。

  • さらっと読むつもりが…
    ぐいぐい引き込まれた。
    なんて純粋な人なんだろう。

  • 「兵学者のあと継ぎが兵学にくわしいのは当然のことよ」父百合之助の言葉。

  • 吉田松陰がよくわかる

  • もっと早く読んでいれば…と悔やまれた。
    この本で自分の中の吉田松陰というイメージに生命の息吹を与え、吉田松陰の著作・原典を読んで学びに繋げる。

  • この作者の作品に共通することではあるが、「吉田松陰」では尊皇思想が特に強く描かれている。松蔭の疑うことを知らない、愚直で激しい性格に危うさを感じる。下巻では、いよいよ短い生涯の終焉に向けて突っ走るのみか。

  • 吉田松陰の命日を迎え、山岡荘八の著書を読む。
    第一巻は幼少時から脱藩覚悟で東北への旅へ向かい士籍を失うまで。
    この後、松陰は10年間の遊学を認められるわけだが、この長州藩の優秀な若手を育成させる術が維新に向けて人材を輩出する原動力になっていることを改めて認識する。

    叔父の玉木文之進からの受けた厳しい教育等、松陰の人格形成を育んだ幼少期の部分は「教育のあり方」を考える意味でも興味深い。
    英才教育とは『公』を徹底的に意識させること。

    以下引用~
    ・「足るを知らない人間は生涯幸福にはなり得ない」
    ・「これから十五、六歳の元服までの期間は躾の時期じゃ。この間に、忠をつけ、孝をしつけ、礼をしつけ、勤勉をしつけるのに何の容赦がいるものか」
    ・「百術不如一清(ひゃくじゅついっせいにしかず)」あらゆる権謀術策は一つの清廉さに及ばない。
    ・「日本中の人物地理を描いておくために」

    • マサユキさん
      僕は司馬氏の『世に棲む日日』で松陰の事績を読んだのですが、九州遊歴のくだりを読むといつも胸が熱くなります。山岡氏の『吉田松陰』ではどのような...
      僕は司馬氏の『世に棲む日日』で松陰の事績を読んだのですが、九州遊歴のくだりを読むといつも胸が熱くなります。山岡氏の『吉田松陰』ではどのような描かれ方をしているのか気になります。このレビューを目にして、僕もこの本を一度読んでみたいと思いました。
      2012/11/02
  • この本を読んで吉田松陰が大好きになり、その後色々と吉田松陰関連の物を読むようになりました。
    小説ではありますが吉田松陰の思想を知る入門書としても非常によくできているような気がします。

  • まだ、松陰が生まれるまえまでで、読むのが止まっている。。。ちゃんと読もう。

  • 吉田松陰についての勉強を始めた。まずは小説から。若き熱血漢の生き様に、読書が止まらない。出張の移動時間を利用して、まずは上巻を読了しました。

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著者プロフィール

明治四十年(1907年)新潟県に生まれる。十四歳で上京し、博文館印刷所に文選工として働く。長谷川伸に師事、山岡荘八の筆名を用いる。昭和二十五年(1950年)より、北海道新聞に『徳川家康』を連載開始。昭和二十八年(1953年)単行本の刊行が始まり、ベストセラーとなる、『徳川家康』により、第二回吉川英治文学賞を受賞。以後、歴史小説を中心に創作する。昭和五十三年(1978年)七十一歳で亡くなる。

「2023年 『水戸黄門 下巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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