- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061947535
作品紹介・あらすじ
カーラ編集長、トラブル発生です!
学級新聞がまきおこす大事件。さあ、カーラ、どうするの?
カーラは6カ月まえに転校してきた、目立たない女の子。けれど、自分でつくった「ランドリー新聞」を教室にはったとたん、学校じゅうの注目を浴びることに。さて、そのわけは……?
学級新聞をめぐっておきた騒動で、表現することの自由について考えはじめた子どもたちと先生を、あたたかく見つめた物語。
「ランドリー新聞」が「真実と思いやり」をモットーにえらんだのは、よい新聞はこの両方をそなえていなければならないことを、忘れないためでした。(中略)「ランドリー新聞」は、はじめから、バランスのとれた良心的な新聞になろうとしてきました。――本文より
感想・レビュー・書評
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読みごたえがあった。
たしかに主軸となる内容は、アメリカの平均的な小学校で起こった、小学5年生の女の子カーラが手製の新聞を唐突に教室に貼ったことから生じた、新聞にまつわる一連の物語。つまり表紙のイメージどおり。
だが実際読んでみると意外と中身は濃い。私がそう感じたのは、この本では、カーラとラーソン先生、そしてクラスメイトの日常の姿を借りる形で、まるでアメリカの歴史がぎゅっと凝縮されているかのように物語が進んでいくから。つまりこの本には、次にあげた複数のテーマが重層的に折り込まれているから読みごたえがあるのだ。
① カーラが発行する新聞を起点にした、ジャーナリスムのあり方について(真実の追求と取材相手の人権尊重とのバランスのとり方)
② 植民地として自由を奪われていたアメリカが、独立して築き上げてきた自由と権利の根幹をなす、出版と言論の自由について
③ 小学校では、管理教育と、児童の自主性に任せる教育とのどちらが優れているのかについて
そして、強いてあげれば、もう1つ。
④ 両親の離婚が現実になったときの、小学生にとって受け入れられる現実とそうでない現実について
こうやって①②③④を書き並べたら、とても子ども向けの本には見えない。でもこれがこの本の真の姿であり、子どもの読者を子ども扱いしない、アメリカの児童書の奥深さだ。
①と③なんか現時点でも正しく答えられる大人がいるのかどうか、心もとない限り。だが本来ならば、私たちが社会生活を送るうえで、歴々の諸先輩方が数々議論してきた論点をきちんと現代の視点で整理して、自分なりの答えを頭の中に用意しておくべき大事なテーマだ。
えっ、「今まで生きてきて、そんなことちゃんと考えたことなかった」って?まあ(私も含めて)誰でもそうだと思う。
だけどこの本では過去から現代までのアメリカでの議論のポイントを、まるで早回しの映像のように小気味よく見せてくれるから、読者は各テーマについてのヒントにその都度気づくことになる。(でも、正解が何かを考えるのはあくまで読者自身だよ。)
それと、この本の表紙を見ればわかってもらえると思うけど、イラストもナイス(絵を描いたのは日本人の伊東美貴さん)。
楕円形の独特なフォルムで描かれた女の子の顔はチャーミングで目を引くし、ラーソン先生の授業の雰囲気が一目でわかる13ページのイラストは、小物などの細部が画面一杯に描きこまれた力作。
そのように、翻訳やイラストなどの日本の出版社でなされた仕事が、アメリカ生まれの原作とハーモニーを織りなし、ともすれば固くなるテーマを適度にほぐしてくれている。だからアメリカの固有名詞がいくら出てこようとも、日本の少年少女にとっても読みやすく、感情移入しやすいはず。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いろいろなブックリストに紹介されているのも納得の本でした。
文字として難しくはないけれど、内容をより深く感じてほしいので高学年におすすめ。 -
タイムリーにも(というかちょっと遅いかもだけど)言論・出版の自由を扱った物語ということで、児童書だからといわずに大人も読んで得るところ多い本ではあるけれど、それが真っ向から扱われるのは後半で、前半はカーラとラーソン先生というふたりの人間の出会いと成長の物語になっていて、そこがけっこう好き。
「人を怒らせるために」真実を突きつけて憂さ晴らしをしていた新聞作りが趣味の少女カーラに、子供たちを自発的に学ばせる善い指導者からいつの間にか怠惰な放任主義の教師に成り下がっていたラーソン先生。正しい気持ちが行き場を見失っているという点では共通しているこのふたりが出会ったことでラーソン先生の授業は生気を取り戻す。この「間違っているときのふたり」に思い当たるところのある大人も少なくないのではないかと。
カーラの新聞がみんなでつくる学級新聞になり、それからそれが原因である事件が起こると、ラーソン先生はトラブルをクラスの子供たちの生きた教材にしようと、危機に瀕している自身の立場も省みず奮闘する。そういう中で、言論・出版の自由を保障する有名な米国憲法の「修正第一条」が出てくるわけだけど、当事者、利害関係のある人たち、考えなければいけないこと等々、いちいち具体的に話が進んでいく書きぶりに、ともすれば理想論扱いされがちな言論の自由をめぐる日本国内での議論とは違う、地に足の着いた展開を見て新鮮だった(し、勉強になった)。最終的に言論・出版の自由を担保してるのはみんなの良心でしょ、という明るい確信が感じられるのも米国らしい。 -
面白かった!
物静かな女の子が学級新聞編集長になって
新聞の公平さとか
思いやりとか
表現の自由について学んでいく
担任の先生がビックリした
いやいやいや
いないでしょこんな先生‥ -
カーラが書いてる新聞が凄いなって思った。
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『ぼくたち負け組クラブ』を読んで、作者に興味を持ち読みました。
あとがきに作者は元々教員だったと書かれていました。
だからこういう作品が書けるのか、と腑に落ちました。
授業時間でありながら教えることを全くせず、コーヒーをすすりながら新聞を読んでいるラーソン先生。彼のクラスに入った転校生のカーラは、ラーソン先生がいかによくない教師であるか記事にまとめ、新聞として教室に掲示します。
クラスの子どもたちが協力して新聞を作る様子を想像すると、微笑ましいです。
言論の自由、離婚問題などなど、いろんなことを考えるきっかけになる本だと思います。 -
担任の先生はかんかんに怒った。カーラが作った学級新聞に、先生はなにも教えてくれないと書いてあるのだ。本当のことを書くのはまちがっていない。カーラは新聞を作るのが好きなだけ。
(『キラキラ子どもブックトーク』玉川大学出版部より紹介)
「カーラは6カ月まえに転校してきた、目立たない女の子。けれど、自分でつくった「ランドリー新聞」を教室にはったとたん、学校じゅうの注目を浴びることに。さて、そのわけは……?
学級新聞をめぐっておきた騒動で、表現することの自由について考えはじめた子どもたちと先生を、あたたかく見つめた物語。」 -
カーラ、ランドリーは4年生のとき引っ越しして、半年後たった現在は5年生。白いブラウスに格子のスカートを履いた目立たない女の子。
カーラの145番教室は、ラーソン先生が担任。いつも大騒ぎで保護者からはウチの子をラーソン先生のクラスにしないて欲しいと校長宛にお手紙が寄せられる。ラーソン先生は新聞ばかり読んでいて授業らしい授業をしない。
カーラは10月の金曜日に誰にも言わずに『ランドリー新聞』第1号を発行して、教室に掲示した。子ども達はランドリー新聞をみんなで見ていた。ラーソン先生もよくかけている記事ばかりだと喜んで読んでいたら編集部だよりにはラーソン先生が授業をしないのに給料をもらっている事が書かれていた。
かつては3年連続で年間最優秀教師賞を貰っていたラーソン先生だが疲れてしまって、今はやさぐれている。
ランドリー新聞をきっかけにラーソン先生は、私生活は児童にとって関係がないことを考えて、反省した。そして変わろうとした。
カーラはクラスメイトの助けを借りてランドリー新聞の2号を「真実と思いやりをモットーに」として出した。(カーラは4年生の時に前の学校で新聞を出していたが、両親の離婚で心が荒れていたので、誰に対しても意地の悪い態度だった。新聞を作る姿勢も意地悪だったので、前の学校でも揉めた。今回新聞を書いて出した時それをお母さんから指摘されてカーラは反省した。2号からは態度を改めることにした。)
校長のバーンズ博士はラーソン先生を辞めさせるために、ランドリー新聞に落ち度がないか(学校新聞に載せるべきでない記事はないか)に目を光らせていた。そして、持ち込まれた物語(個人的体験談だったようだ)の「悲しみをのりこえて」を12月の9号に見つけた時、バーンズ博士はこれは、使えると考えた。
ラーソン先生は辞職の危機に直面するが、そこでとったラーソン先生の行動とは?カーラ達の機転の利いたやり方とは?
新聞とは?表現の自由とは?憲法とは?など社会科の学習に役立つ。反省してやり直す、親の離婚でダメージを受ける、自分で考えて行動するなど色んな事を考え学べる本だ。小学校高学年、中学生にぜひ読んでもらいたい。 -
最近小学生の頃に読んだ本を読み返すのにハマっているんだけど、やっぱり心が洗われるというか、大事なことを思い出させてくれる。