昭和二十年夏、女たちの戦争

著者 :
  • 角川書店(角川グループパブリッシング)
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  • Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784048850667

作品紹介・あらすじ

わたしが一番きれいだったとき、わたしの国は戦争をしていた。『昭和二十年夏、僕は兵士だった』の著者が描く。10代、20代の女性たちの青春。

感想・レビュー・書評

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  • やまさんのレビューで著者の名前が印象に残り著書を探したら近所の図書館で見つけることができた。
    戦争の時代を男性の兵士の言葉で語られることは多いが、女性は将兵達の母や妻、姉妹といった彼女から見た男たちの姿であくまでも主役は男性だった。『昭和二十年夏、僕は兵士だった』の著者が、若い女性がどう生きたか、大正生まれの方で何を考えどのように暮らしてきたのか女性自身の語りを紹介している。淡々と語られる中でも想像以上の苦悩や心の傷、その時代の鬱屈した気配を感じる内容。連載時は茨木のり子氏の詩のタイトルから引用「わたしが一番きれいだったとき」だったという。

    近藤富枝氏
    戦争中に着る服を制限されたけれど東京空襲前までは家の中では好きな着物を着ていたというエピソードとともに「私もね、美しいものがあったから、生きられたのかもしれないと思うことがあるのよ。あの戦争の中を」
    吉沢久子氏
    エスペラント語という母語にかかわらず世界共通の言語の勉強会での出会い、戦死した婚約者の志を受け継いで予防医学の栄養を学ぼうと思ったこと、鉄兜をかぶったまま寝るような生活の中にも「七夕に演劇にダンス、そういうことがないわけではなかったの」青春の時間はあったと語る。敗戦の日は「これから一生懸命働こうと思ったのね。それはほんとうです。与えられたいのちを、きれいに、一生懸命生きようと、そう思いました。」
    「楽しかったですよ、戦後はずっと。だって、ひとつひとつ積み重ねたものが、崩されないじゃありませんか。それは平和であることの、ほんとうにいいところね。」「一生懸命生きていれば、いつだって今日が一番いい日。私、そう思うんです。」
    赤城春恵氏
    戦時中、軍の慰問団の一員として各地を回り満州各地でも公演されたという。帰国するまでの紆余曲折、敗戦国民として悲惨な状況と混乱の中何とか帰国。家族とのつかの間の再会についても戦争がなかったら…と思うことばかりだった。
    「毎日、自分が生きるだけで精いっぱいで、他人のことを考える余裕はなかった。女友達と他愛のない話ができるって、ほんとうに幸せなことなのよ」
    緒方貞子氏
    軍需工場へ動員されタイヤを作り、焼夷弾や空襲で近所や学校が焼けた経験、食事調達の大変だった疎開体験。敗戦の知らせは「足元がなくなるというか、ぐらぐらするような気持ち」「新しい日本を作ろうということで、日本人みんなが燃えていた時代だったし、若い人の自由度が高かった」というなかで学問に打ち込んだ喜びも語られた。
    吉武輝子氏
    「女の戦争は、男の戦争が終わった後で始まる」という友人の言葉、新学期の授業は、教科書を墨で塗りつぶすことから始まった。朝鮮戦争がはじまると、戦前とはまた違った形の管理教育に変わり、アメリカの都合で自由が奪われた。長野県上田市の無言館という戦死した画学生の作品展示している美術館の紹介あり。戦中は教育とは国にとって有用な人材を作ることであり、学徒出陣で真っ先に戦地へやられたのは理系の学生ではなく音大や芸大の学生だったという。その美術館に行くことで「生きている限り、私は私にできることをやろうって気になるの。」
    女性の投票権や経済的自立に関する母との価値観の違いを感じつつ新しい時代に期待をもっていた。そんな折米兵から暴行されるという痛ましい経験で追い詰められた日々に、初老の巡査から「生きて甲斐のある人間」という言葉に救われた話は、一緒に暗いトンネルからひとすじの光明を見ているようだった。自分が暴力で奪われたものを知り苦しみの理由に気づいて自分の意志で人生を選ぼうと猛勉強をして進学、就職氷河期の中映画界で女性宣伝プロデューサー第一号となったとのこと。その後は評論家、作家として著書多数。機会を見て取り寄せてみたいと思った。

  • いったい、あの菩薩のような笑みを浮かべた知的な涼しい顔をして、どうしてこうも重いテーマの本ばかりをさらりと出すのでしょうか、梯久美子は。

    太平洋戦争での日本の死者310万人のうち、非戦闘員、銃を持たない民間人・市民の数はその四分の一に達するということは、たとえ疎開をしようが防空壕に入ろうが、常に死と隣り合わせにあって恐怖の中にいたことは間違いありません。

    でも、戦争中は不倫が多かった、妻子を疎開させた男性と、都市に残って勤労動員させられていた独身女性との恋愛があちこちでみられた、などという話は驚くと同時にほっと胸をなでおろしたくなります。なぜなら、たしかにそのとき十代、二十代だった彼女たちが一番きれいで輝いていたときに、この国は戦争の真っ只中だったわけですが、不倫であれ何であれ、溢れる恋愛感情、押し寄せる性愛感情は、今の時代と少しも変わりない人間的な欲望としてたしかにあったということを知ったからです。

    この本は、読んでいて、近藤富枝(元NHKアナウンサーのちに作家)、吉沢久子(生活評論家)、赤木春恵(俳優)、緒方貞子(元国連難民高等弁務官)吉武輝子(日本最初の女性宣伝プロデューサー)の方々の、自らの過ぎ去った65年前の鎮魂歌などではけっしてなく、今も振り向けばすぐそばにある生の証という感じがしました。

    本当に戦後65年ということは、残念ながら、間違いなくますます体験なさった人たちが少なくなって来つつあるということで、あの戦争の何から何まで、一つも漏らさず残さず次代に伝えていくという貴重な仕事をなさったと、深く敬意を表します。



    この感想へのコメント
    1.yujiro (2010/08/11)
    薔薇サン はじめまして。
    梯 久美子って今まで知りませんでした。
    戦時中に青春時代だった人は今80歳前後でしょうか?
    本当にご苦労されたことでしょうね。
    ボクは終戦の時に生まれたので、直接戦争は知りませんが
    亡くなった両親から引き揚げ時の話しはよく聞かされました。 国は国民を大陸に遺棄したんですね。
    二度と戦争はしてはいけないですね。

    2.薔薇★魑魅魍魎 (2010/08/13)
    私も彼女は昨年出た『昭和二十年夏、僕は兵士だった』を読んだのが初めてでしたが、人となりはその前からNHKの週刊ブックレビューで見聞きして信頼できる人物だとは思っていました。
    本当に、戦争はやってはいけないこととしての認識を持つことと、現実に世界各地で行われている戦争に対してと日本で起こそうとしている勢力に対抗するようにもっと注意を払い反対の声を上げる必要があると思います。

  • 赤裸々に正直に戦時戦後を述べている。それぞれの戦中戦後。戦争がもたらす悲劇。二度と争いをしてはいけない。そう改めて感じた。

  • 戦争~終戦時、若い世代だった5人の著名人の女性たちがどう過ごしていたか。
    男性版を先に読んでいたけど、こちらは対照的に、色のついた美しいイメージ。
    この女性たちは本当に強い。恵まれた環境の方も確かに混じってはいるけど、それにしてもこの芯の強さ、信じるものの強さには、ただ溜め息をつくだけです。
    心の傷を受けつつも、必死で(世間と)戦ってきた印象の吉武輝子さんの章が、一番心に残りました。
    おそらく全ての方がもっと嫌な思いも抱えていたのだろうけど、前向きになってそれらを払拭していると感じる点が、より綺麗に見せるんだろうな。

  • 916吉武輝子さん性被害

  • 10代の終わりから20代の独身女性達は、あの戦争時代どう生きてきたのか、銃後の女性達に青春はあったのか? 近藤冨枝(元NHKアナウンサ)、吉沢久子(家事評論家)、赤木春恵(女優)、緒方貞子(JICA理事長),吉武輝子(作家・評論家)の5氏の終戦時の貴重な話しを本にしたものです。

    昭和20年生まれのボクは子どもの頃よく母親から
    朝鮮から引き揚げの時の話しをきかされた。
    中国の遺棄孤児は残留という名で誤魔化しているが
    朝鮮でも同じことはあったと思うと、赤木氏の引き揚げの話には身につまされた。

    吉武輝子氏の「終戦翌年の春、青山墓地でアメリカ兵から集団暴行を受けました。14歳でした。母にだけは言ってはいけない。そう思いました。」というくだりには驚いた。

    5人ともそれぞれの分野で活躍されてあるが、青春時代を戦時下で過ごされたことは辛かっただろう。

  • 良かった、とにかく読んで良かった。

    終戦のあの夏、昭和二十年八月に青春時代を過ごしていた著名人への
    インタビューを元にまとめられた一冊。
    近藤富枝、吉沢久子、赤木春恵、緒方貞子、吉竹輝子の各氏が語る
    言葉は、玉音放送を聴いて悲しいとか、そんな気持ちではない。
    一番印象的だったのは、近藤富枝氏が家に帰ると、
    窓の遮光幕を取り払い、浴衣姿で縁側に涼んでいた……
    庶民はそんなものだったのだろう。

    一方で、吉竹輝子氏のように、戦後民主主義の象徴である
    普通選挙の数日後にむごたらしい目に遭う女子学生もいて……

    あらためて、平和の時代に感謝する。
    そういえば、昨日、赤木春恵氏が舞台生活から完全引退をしたという
    ニュースを観た。
    あの方も、あれだけのご苦労をなさって、今があるのだと、見方が変わる。

    平和な時代に生きられる幸せ……しっかり生きなければ。

  • 秀逸のインタビュー集。5人5色の戦争体験に、ひとつの筋を通して、ぶれることなく、当事者から言葉をひきだしている。その技、筆力もさることながら、60年前の戦争とはなんだったのか、ずっと考え続けているインタビュイーの力強い言葉に圧倒される。必ず読みたい本に追加。

  • 近藤富枝さん
    女性で働いているなんてすごいなと思ったけど、お茶汲み、飯炊きって言われてたなんてやっぱり時代だな。戦地から男の人が帰ってくるから仕事を辞めさせられたなんてひどい話だ。

    吉沢久子さん
    一語一語、玉音は心にしみわたり、涙が頬を伝ふ。今後ほんとに一所けんめいに、とにかく日本人同士の争ふことのないやうに働かねばならぬこと、胸にしみて思ふ。働かう。

    吉武輝子さん

    人間というのは、何があっても、そこからどう生きるかで価値が決まる。

  • 目次を読んだだけで、鳥肌が立った。
    そして「きれいなもの」に飢え、「食べ物」に飢え、「愛情」に飢えた時代。
    飢えていたからこそ、
    戦後、手に入れるために必死だったのは男性以上だったのかもしれない。
    今の時代にないのは、私の心の中にないものは、「本当の飢え」かもしれないと思った。
    だからなんでも手に入るようで、実は何も手に入れてない。
    与えられたもので満足し、自分では何も掴んでない。
    そう思った。
    読んでよかった。

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著者プロフィール

ノンフィクション作家。1961(昭和36)年、熊本市生まれ。北海道大学文学部卒業後、編集者を経て文筆業に。2005年のデビュー作『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。同書は米、英、仏、伊など世界8か国で翻訳出版されている。著書に『昭和二十年夏、僕は兵士だった』、『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』(読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞、講談社ノンフィクション賞受賞)、『原民喜 死と愛と孤独の肖像』、『この父ありて 娘たちの歳月』などがある。

「2023年 『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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