- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784047034945
作品紹介・あらすじ
「ぎりぎり」「ぐずぐず」「ふわふわ」「なよなよ」。ドイツ語で「音の絵」と訳される擬態語(オノマトペ)には、「ぶつぶつ」など音と意味が類似するものから、「しぶしぶ」などふるまいや感覚の抽象によるものなど、さまざまな言葉の手ざわりがある。なぜその擬態語ができたのか、「のろのろ」は動作の擬音ではないのになぜぴたりとその佇まいを伝えるのか。オノマトペの特性と表現を現象学的に分析し、現代人のいのちの息遣いや存在感覚を描きだす、「鷲田哲学」の真骨頂。
感想・レビュー・書評
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ことば
哲学 -
オノマトペについて、さほどの興味がない者にとっては、只々退屈な本である。
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オノマトペについての考察。
ひじょうに興味深く読んだ。 -
面白い。学問ていうのは こんなことまで考えるのか。
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オノマトペは、擬音語と擬態語の総称であるが、ここでは擬態語をめぐって、多くの文献の記述も参照しつつ、多面的な洞察を行っている。
擬態語には、単なる「自己感覚による抽象化」を越えて、自分自身を突き放してみる「自己疎隔化」という意味での<批評>と「けなし」というかたちでの<否定>とが、結びついているという。本書の表題となっている「ぐずぐず」はその典型と言える。さらに、声によるふるまいを通して、他者への様々なはたらきかけ(促し、叱責、命令、諭し、訴え、懇願、誘惑、排斥、争い、慰藉、からかい、囃し立て、呆れ、突き放しなど)を含むというのも、「ふむふむ」とうなづける指摘である。
著者が飼っていた九官鳥を籠に戻そうとした時の九官鳥の反応が面白い。その手から逃れようとして、九官鳥は覚えていた3つの単語のうちの一つ「おはよう」と叫んだという。ここから、著者は「わたしたちもまた九官鳥のように、地声をすでになくしている。どんな衝撃的な体験をしても、激痛に襲われた瞬間をのぞけば、もう地声で唸り、訴えることはできなくなっている。すべての体験や反応は、一定の言語体系に従って表出される。発生のシステムがそっくり入れ替わった」ということを発見する。「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」と謳った田村隆一の詩『帰途』の一節も思い出される。プロ野球の長嶋茂雄が、プレイの指導をしたり、インタビューの受け答えの際にオノマトペを多用して話題になっていたことも思い出される。長嶋茂雄は、オノマトペを多用することで動物的な感性を保ち続けていたのかもしれない。
日本語では多くのオノマトペが用いられることについて、漢字・漢語の表意性に対する反動として、ひらがなの音を用いたオノマトペを多用するのではないかという仮説も面白い。 -
擬態語オノマトペを体系的に詳細に分析し論じた書。内容を理解するのはむずかしいが、感覚はよくわかる。
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私は大好きです。このように、色んな日本語にああだこうだ、書いてくださる著者は日本の宝だと思います。心から尊敬いたします。
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内藤やす子の「思い出ぼろぼろ」、YOUTUBEで確認し、ぽろぽろとぼろぼろでここまで違うか、というオノマトペの威力を思い知りました。