- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784046532862
作品紹介・あらすじ
「価値の遠近法」「いのちの汀に立つ」「存在の欠損と向き合う」。生きていくうえで大事なことは、おとなの背中の佇まいから伝わる。臨床哲学の立場から現代社会の〈いのち〉を考える、やさしい哲学エッセイ。
感想・レビュー・書評
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わりとすんなり入っていきました。
「人間の弱さは、それを知っている人たちよりは、それを知らない人たちにおいて、ずっとよく現れている」パスカル パンセ
「禍福は糾える縄の如し」史記詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
前半の教育とか子育ての話は、さすが教育者だなぁと納得したし、すんなり入ってきた。ただ後半は、偏屈なお爺さんが現代社会を嘆いてノスタルジーに浸ってるように感じてしまった。出身大学の総長だった人だから、なんとなく親しみを感じていたんだけど、もう読まないかなぁ、あんまり。
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ふむ
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「まなび」というのは知識の習得のことではない。人に何かを諭されることだ。口で、ではない。その人のふるまいや佇まいに諭される、そういう経験のことである。
生きて行く上で一つたりとも欠かせぬことの大半を、私たちいま社会の公共的なサービスに委託して暮らしています。このサービスが停滞したときにそれに文句をつけることしかできなくなっています。 -
わたしたちは、わたしたちの世代を宛先として丹念になされた過去の職人さんたちの仕事に支えられて、無事、家の切り盛りをどうにかできてきた。おなじことを、今日、明日ではなく明後日の世代に向けておこなうこと、それがわたしたちの義務である。(まえがきより)
鷲田清一さんのお書きになるものはどれも、 分かりやすく丁寧な言葉づかいで読みやすい。そして心の底から「ああ、その通りだな」とストンと腑におちる。「生きる」ことについて、自分はどう向き合いたいのか?しみじみ考えさせられた。 -
一気に読む本ではないと私は思いました。1つか2つ 日々読むのがいいのではないかと思います。
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既出のエッセイをまとめたもの。本当にいきるのに必要なことが、企業にまかされ、人々の能力は退化する社会。常に選別の眼にさらされ、評価なしに無条件で認めてもらうことのない社会、。などについて書かれており、自分の考えに近かった。
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複眼が持ておるかどうかは、自分とは別の生き方、物の見方をしている人たちとどれくらい深くて幅広い付き合いをしているかにかかっている。言い換えると、複数のネットワークをもっているか、複線の人生を歩んでいるか。
政治とは人々に理を問う説得の術。 -
阪大の総長だった哲学者の鷲田清一さんの本。鷲田総長の時代に阪大で働いていたこともあり手にとってみた。生きることの意味、生きることの難しさを実感する書物だと思う。人生に免罪符はないのだということを、ぼくは学んだ気がする。小説のような面白さはありませんが、特に若い世代の人に読んで欲しい本。
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友達に教えてもらった本。
なぜか「学校の先生が書いた教育書」だと勘違いして読み始めてしまい、1節が短いし結論が分かりにくいし「???」と思いながら途中まで読んだ。
あまりに腑に落ちないので調べてみたら「哲学者のエッセイ集」ということで納得。
普段理系の本を多く読んでいるせいか、なぜこれだけのことを言うのにこんなに回りくどい表現をするの?と思ってしまうことが多かった。(新聞コラム等の寄せ集めだから仕方ないのかな。)
この著者の他の本は読んでいないが、1冊の中にこれだけ重複が多いと損した気分。