- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784044094713
作品紹介・あらすじ
陰翳によって生かされる美こそ日本の伝統美であると説いた「陰翳礼讃」。世界中で読まれている谷崎の代表的名随筆をはじめ、紙、厠、器、食、衣服、文学、旅など日本の伝統に関する随筆集。解説・井上章一
感想・レビュー・書評
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難しそうな本はあまり読みませんが、母の友人から勧められたので、モチベ少々の状態で読みました。
ですが、読み始めると面白いのなんのって。この人の話が読みやすいのか一日中読んでいました。自分にも日本人が感じる情緒というか雰囲気があるのだなぁと、噛み締めます。是非読んで欲しい!
将来は和室のある家に住みたいですね〜
畳でゴロゴロしながら読書したいですね〜詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
表題作で★四つ。西洋との対比で論を展開されると「そんなことないんじゃないの」ってついつい首をかしげたくなったけれど、漆器や金屏風の美しさはろうそくや行燈の灯りに照らされてこそ、という主張にははっとした。一度くらい、そんな暗い中で和食を食べてみたいものだ。
後半の「昔の女性は首から上と手だけの存在」という論には「変態キタ!」とワクワクとげんなりの間の何とも言えない気持ちになった。止めはしないですけど……。
ほかの随筆のなかでは「客ぎらい」の猫のしっぽのくだりについ共感。具体的には何も言いたくないけど、好意は示したいときってありますよね。あとは堂々とした筆致で、わりとふつうのことが書いてあった気がする。 -
日本が欧化したからこそ、谷崎は陰翳の愛すべき性質に気付いたのではないかと思う。
肌の色と光の関係にまで及んだことは、成る程と思わされた。陰翳の中にある色香、であったり、見えざるものの持つ怪しさ、であったり。
谷崎は、その陰翳を文学としてみようとする。
日本文化肯定論というよりも、私たちが本能的に愛してきた闇の淡いに踏み込んでいて、読んでいて頷ける読者は多いのではないか。
夏の夜に、蝋燭の灯りだけで過ごすイベントは、エコロジーの観点だけで好まれるのではないように思う。
もう一題。
「現代口語文の欠点について」も、非常に面白かった。
「のである」体の気持ち悪さ、主格不在の文法の欧化による、煩わしさ。
短く、端的に述べることと文学性の相違。
なるほど、現代国語で指摘される欠点は、それが美になり得るものらしい。
分かりやすさと、利便性は科学である。
けれど、文学の持つ魅力はむしろ、そうではないように思う。谷崎の目から見る日本は、なかなか鋭い。
面白かった。再読前提。 -
インテリアや照明に携わる職業の方々に幅広く読まれている本書。日本家屋についてだけではなく、すぐれた日本人論としても読める珠玉の一冊。
日本人が好む美しさとは、省略の美であるということ。空白を持って画面を構成する日本画もそうであるし、無駄な言葉や描写のない小津安二郎、北野武の映画も実に日本的な美と言える。宮崎駿さんが「アニメーションは三歩あるいて十歩あるいたように見せなければ意味がない」というような主旨のことを何処かて語っておられたが、それも日本の美なんだなあと強く思った。また、世界で評価されているのはまさにそれら省略の美そのものなのだ。
その点では若者の流行言葉の略語なども日本独自の文化なのだと思う。一から十まで説明過剰というのは西欧文化なのだろう。しかし、現在の日本では行き届いたサービスや過剰な説明などが多くなり、かなり文化は変化してきている。もちろん外国文化を取り入れることで快適になり、発展するのはうれしいことだ。一概に善し悪しを言えることではないが…。比較文化論としても興味深い内容だった。もっと谷崎を読んでみたい。 -
薄い本です。後半に入っている、他愛もない掌篇のいくつかが、僕は一番好きでした。
軽くてふわふわ、何のムツカシサも無く、のどごしまろやか爽やかで。薄味で腹に貯まらぬ胃にやさしい。
肩の力も腰くだけな脱力感の中に、ほのめいた品位。群れない孤高と、「へ~なるほど」と。何ともくだらなおかしいユーモアだなあ、と思っていたら読み終わる。
読むたびに心地いい谷崎潤一郎さん。そしてこの本を作った編集者さんに、パチパチ。
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谷崎潤一郎さんの、まあ、エッセイ集です。
無論の事、最近になっていろいろな掌編を集めて作った本ですから、編集具合は谷崎さん本人はあずかり知らぬことでしょう。
表題作になっている、「陰翳礼讃」。
「日本的な美っていうのは、陰翳を愉しむ感じの、暗さを愛おしむ感じ。なんでもかんでも明るいっていうのも無粋だよね」
と、いうような内容です。(雑ですが)。
で、このエッセイは、一般の読書好き、谷崎好きという愛好家の枠を超えて、建築の世界でとっても大きな「考え方のよりどころ」というか「考え方の古典」みたいな人気?があるようですね。
この文章は、そういう建築的な提言というよりも、趣味の発表みたいなものとして愉しめました。
あまりはっきり見えないことの喜びというか。悦びというか。ヨロコビ。
現実的な暮らしの実際よりも、「俺はこういう世界観が好きだ」みたいな。
ちょっとこう、暗くって。じめっとして。合理的とか明快さとかで割り切れないぐにょっとした営みというか。谷崎さんですからねえ。
こういう風に言葉で要約されると、ただの変態なんですけど(笑)、それを谷崎さんが文章で小説にしていくと、そこにユーモアもあれば人肌な温もりもあって何だか実にこう、美味しい。
変態さんではありますが、ただの変態ではありません。
この本には「陰翳礼讃」の他に、「現代口語文の欠点について」「懶惰の説」「客ぎらい」「ねこ」「半袖ものがたり」「厠のいろいろ」「旅のいろいろ」の7篇が入っています。
「陰翳礼讃」と「現代口語文の欠点について」の2篇は、エッセイというよりは「説」みたいな文章ですが、ほかはエッセイ、雑文、という類のものです。これがどれも素晴らしい。
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●「現代口語文の欠点について」
明治以降の文章日本語の改革を、一定の評価をもちろん下しながらも。
専門家、人文科学系の学者の晦渋すぎる言葉使いや、文末の言葉遣いの味わいにいたるまで、もう目が眩むくらい素敵に具体的な検証を行います。
それでいて無論の事、谷崎さん。この文章自体が毛ほどの難解さもなくまろやかに軽やかに読み易く進みます。
無駄に難解な言葉使いへの批判など、そのまま2015年の日本語状況にも目が覚めるくらいに当てはまります。
本、文章を読む、書く、などが好きな人には大いにおすすめな一篇。
僕は「陰翳礼讃」よりこっちが面白かった。
●「懶惰の説」「客ぎらい」
なまけたいなあ、ごろごろするのがいいなあ、他人と会うのもシンドイなあ。
というような、それだけのことが素敵な短文。
●「ねこ」
猫好きにはたまらないでしょうねえ。「庄三と猫」の作者ですから。
●「半袖ものがたり」「厠のいろいろ」「旅のいろいろ」
谷崎さんは、東京生まれのお坊ちゃん。都会でモダンで洒落て西洋かぶれで金持ちな育ちです。
そんな谷崎さんが、関東大震災のあとに関西に移住します。
そして、大変に関西が気に入ります。
関西人の着る半袖の着物がいいんだよなあ。色んな厠があるなあ。旅の面白み、こういうの好きなんですよ。
そんな他愛も無い話のそこかしこに、関西礼賛もありつつ、たまに冷静に「こういうのは関西はアカン」というのもありつつ。
このあたりの肩の力の抜けた文章、関西生活がとにかく愉しかった僕としては、にやにやふむふむが止まらない、極上な味わいでした。
これを翻訳ではなく、原文で味わえる。
日本人で良かったなあ、と、僕としてはココに偽らざる愛国心があります。
(できれば谷崎さんが書いた通りの旧仮名で読みたい!というのが趣味としてはありますが…) -
なかなかおもしろい。
エッセイ集であり、表題にある「陰翳礼賛」をきっかけに「適切」とはなにかを探るエッセイが並ぶ。
「陰翳礼讃」は文字通り「暗さ」についてのエッセイ。
日本の建物は以前は暗くて、それがよかったのだという。
古い料亭で、電気を使わずに、薄暗い灯りの中で食事をするのがよいという。
日本の場合、器や、食べ物そのものが、手元もよく見えないような明るさの中で楽しむようにできているだそうだ。
西洋はなんでも明るくしてしまう。そして、日本もその影響を受けて、当の西洋人が驚くくらいになんでも明るくしてしまった、と嘆く。
西洋人が明るさを好むかどうかという話については、聖書において神が天と地を作られて、そのあとで「光あれ」と言われたという描写があるし、ギリシャ神話でもプロメテウスが人間のために火を盗む。そう考えると、西洋人は明るいのが好きなのかな、と思う。
他のエッセイでは、口語体や「のである調」と命名した文体のことなども語られている。また、西洋の文章はなんでも説明するから、それを翻訳するとやたらと事細かくていけないという。日本語には向かないそうだ。
建物の陰翳にも通じるものがあって、すべてをさらけ出すのは美しくないということなのだろう。
文体へのこだわり、もしくは敏感さといったものは、さすがだ。このくらいのこだわりがあるからこそ、超絶技巧的な句読点の使い方をしている「春琴抄」のような作品が書けるのだろう。
ただ、平安時代の文章も口語体であり、当時の人は実際にああいう文章と同じ口調で話していたのだろうと書いてあるくだりは、ちょっと首をかしげた。
人づきあいについても、もはやあまり交友関係を広げたくないと語る。
大阪の暑さや、それに適した生活のことなども。
角川ソフィア文庫で読んだのだが、「解説」がおもしろい。
本作で「陰翳」への礼賛を熱っぽく語りながら、実際には谷崎は明るい間取りの家を建てたりもしていて、かならずしも本書に即した生活を送っていたわけではないようだ。種明かしを見ているようで、最後まで楽しめた。 -
陰翳に美を見る感性は、1930年代当時は勿論、現代を生きる自分にも充分説得力があった。暗さによって引き立つ美、という視点はいわば逆転の発想で、そこに今なお通じる新しさがあるのかもしれない。著者は文明開化の時期に生まれた人だけに、西洋との比較対照がものの見方の前提としてあり、その点古さや時代を感じるものの、よく考えると今も大して変わらなかったりする。表題のほか、小エッセイが続く構成だが、読み進めるうちに、年寄りの現状批判の弊も感じ、陰翳礼讃が好インパクトだっただけに、読後感として残念。
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私はこの書を読んで気づけなかった日本の美しさを知り、古典的な考え、便利になりすぎない考えを私は自分の人生の中で大切にしたいと思った。日常のあれこれから陰翳を見つけられたらステキですね
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電車で読んだらダメリストにランクインのニヤニヤ本。
繰言もぼやきも偏屈も、文筆家の手にかかれば美しいフレームに嵌められた美術品のようにツンとすました一級品。
あー、ほんとそれ!そうですよねーと激しく首肯したくなることをスパッと過不足なく言い表しているところは胸がすく。
今のご時世ではそんな言い方できないだろうということを小気味よくバッサバッサと悪様に言う様はむしろ爽快なほど。
建築界のバイブルということだが、むしろ料理の捉え方に瞠目した。
【引用始】
日本の料理は食うものではなく見るものだと言われるが、こういう場合、私は見るものである以上に瞑想するものであるといおう。そうしてそれは、闇にまたたく無言の音楽の作用なのである。
【引用終】
羊羹の描写は左党が平伏す一級品。
【引用始】
玉のように透明に曇った肌が、奥の方まで火の光を吸い取って夢見るごときほの明るさをふくんでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。
【引用終】
同じく収録されている現代口語文の欠点について、のデアルの考察は長年の謎に一つの角度をくれたし、懶惰の説の運動による健康至上主義への抵抗は私が常々唱えていた屁理屈が筆者の手にかかればいかにも尤もらしく昇華されているのがおかしかった。
【引用始】
しかしながら不精な人間の眼から見ると、刺戟性の食物を大量に摂取するために、否が応でも運動しなければ消化しきれないということになっては、スポーツも一種の苦役である。それだけの時間を静かに読書にでも費やした方が、あるいはもっと有益であるかもしれない。
【引用終】
そしてどのパートにも見られる厠への考察が面白すぎる。どんだけこだわってんの、と突っ込みたくなるほど、何かにつけ厠を引っ張ってくる。世代的に見たこともないがもう眼前にありありと出てくるような記載でそのこだわりぶりに笑ってしまった。 -
1933年に出版された書
建築、インテリア、照明を専門とする者においては今なおバイブル的な存在である
日本的な美のあり方を陰翳を軸に語られている
改行が少なく読みにくい文体ではあるが丁寧に読み進めると、文章の美しさから情景が浮かび上がってくる