科学するブッダ 犀の角たち (角川ソフィア文庫)

著者 :
  • 角川学芸出版
4.09
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044094478

作品紹介・あらすじ

科学と仏教、このまったく無関係に見える二つの人間活動には驚くべき共通性があった。徹底した論理で両者の知られざる関係性を明らかにし、さらに向かう未来をも見とおす。驚きと発見に満ちた知的冒険の書。

感想・レビュー・書評

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  • 科学と仏教。一見すると関係のなさそうなこの2つの間には、世界観を確立する方向性において重要な類似点がある、という。科学は神の視点を廃し、人間の視点によって納得できる物理的世界観を構築する方向に発展してきた(例:相対性理論、量子論、自然淘汰説、実無限など)。一方(釈迦)仏教は、神という超越的な存在をはじめから考慮せず、人間の視点だけで精神的世界観を構築する。神ではなく人間の視点で世界観を構築するという点が両者の類似点である、という考察は非常に面白い。科学は実験というコントロールできるミクロの現実を使って世界を捉えようとし、仏教は禅定によって世界全体を捉えようとする。この方法の相違も、先の類似点を考えると示唆深い。

  • 科学の発展と仏教の発展を重ね合わせて書かれている。
    物理学、生物学、数学の説明でほとんど終わり、肝心の仏教はオマケのように後半に登場する。
    だが、その構成のためより仏教が科学的に分析出来るものであり、現代のコンテンツにおいても仏教の思想は取り入れるべき要素が多いことが感じられた。
    多くの宗教は「救われること」を求められて広がっていった。
    現代でも仕事や何らかの活動を通して「救われること」を求めている人は少なくないのではないだろうか。
    その仕事を通して、誰を助けるかという文脈だけでなく、やる側はどう救われるのかという精神性にも注目していきたい。

  • とりあえず、本書の目次を書き出してみる。
     第一章 物理学
     第二章 進化論
     第三章 数学
     第四章 釈尊、仏教
     第五章 そして大乗
    目次だけだと、何の本だかさっぱり分からない。1章から3章までは、科学と数学の歴史を紐解きつつ、著者独自の史観を提示している。具体的には、科学や数学の発展の歴史は、「神の視点を護持する勢力」と「神の視点からの脱却を目指す勢力」との闘争の歴史でもあり、「神の視点からの脱却」が1つ成功するたびに、「人類は発展した」とみなされてきた、と述べている。(ここでの「神の視点」とは、「人間の認知的直感」と置き換えて差し支えない)
    4章では、仏教が興った歴史的・文化的・地政学的な背景を解説し、原始仏教とは本質的に「神の視点からの脱却」を目指した思想であったことを指摘している。ここで、科学・数学と仏教の親和性として話がつながり、さらに将来、脳科学が発展すれば、仏教を科学的・数学的に説明できるようになるハズ、という壮大な仮説で締めくくっている。5章はおまけ程度の内容。
    …この説明だとトンデモ本のように思われてしまうかもしれないけれど(これは私の説明力の問題)、内容はしっかりしており、説得性も高い。著者は仏教学者でありながら、科学史や数学史に対する造詣も深く、その部分を読むだけでもいろいろ勉強になる本。

  • 身の回りに起きている自然現象、当たり前に受け入れているそれぞれの、改めてみるとなんと不思議なことか。
    初期の哲学者が科学者たり得たこと。

    神が創った世界を解明するための科学から、
    神ではなく人間が知覚する世界を記述しようという態度への変化。

    ヴィパッサナーは本来的な仏教の教えに限りなく近かった

    人間を通して物理的世界を究明する科学、
    人間を通して精神的に世界を追究する仏教(本来の)

  • 1 どんな本?
      仏教を科学的に説明する骨太本。未来の科学と
    仏教の解釈の相関にまで触れているのはこの本だ
    け。

    2 なんで読んだの?
    (1) 仏教の本でレビューが高いから。
    (2) 原始仏教の楽に生きる知見を学びたい。
    (3) 学びを人生に活かせる状態になりたい。

    3 構 成
    全5章296頁
    「科学理論の構築した偉人たちは皆瞑想の習慣を
    持つ」と始まり、「釈尊に心からの敬意を表して
    考察を終わる。」と締め括る。
    1-3章で科学が「神の視点」から「人間化」へ
    の推移した事実と歴史を。4章で原始仏教を。5
    章で大乗仏教について述べている。

    4 著者の問題提起
    科学と仏教の関係を明らかにしたい。

    5 命題に至った理由
    科学と仏教が大好きな著者の考察から。

    6 著者の解
    科学が進化して仏教との関係が学術的に明らか
    になるだろう。

    7 重要な語句・文
    (1) 神の意思
    (2) 人間化
    (3) 合理性だけで全う出来ないのも人生
    (4) アーリア人
    (5) 超越者
    (6) 偉大な学者は瞑想している。

    8 感 想
    私には骨太な本で読破に骨が折れた。
      刺さったのは合理性だけでは人生を全う出来
    ない事。支えが必要だと思う。
    深く知りたいことはヒトラーが迫害をするに
    至った理由。アーリア人のルーツが関係あるのは
    理解した。
    人に勧めるなら科学者達は瞑想習慣がある事。
    瞑想と言うよりも考え事だと思う。
    ビジュアル要素は無し。(図とか)
    タイトルの犀のたちは最後まで読まないと理解
    できない。
      私には非常に骨太な本だった。

    9 TODO
    (1) 再読

    10 問 い
       人生に必要なものは?

    11 答 え
    支え。

  • 科学と仏教という、一見したところどうにも関連づけようのないふたつの分野の隠れた関係性を明確化するというのが本書の目的なのだ

    Location: 182

    その際、デカルトは、探求のための言語として数学を用いることの有用性に気づいた。感覚的経験よりも数学的確実性を重視し、数学を用いれば物質世界の法則を一般化して語ることができるということを指摘したので

    Location: 245

    科学が人間化していくという現象を示すために、典型的な事例を選んで考察していこうと思っている。最初に物理学を考えた。次に生物学、特に進化学について見ていくことにする。ここにも、科学の人間化を示す事例が数多く見出さ

    Location: 1032

    華々しい五年間の冒険旅行と、その後の静謐な四十五年間。この奇妙な人生の流れの中で、彼の進化論はじっくりと醸され、成熟していった。それは一瞬でひらめく類の瞬間的な発見ではない。着実な自然観察によって集められた膨大な情報、科学以外の幅広い分野からもたらされる思考方法、キリスト教が押しつけてくる神の視点を跳ね返そうとする強靭な抵抗力、これらが何年も何十年も継続蓄積された結実点として、彼の進化論は花開いたので

    Location: 1175

    いま言ったような数学的根拠があるとはいえ、私はやはりその根底に、自然淘汰を神に見立てて、その被造物である人間を最上級生物として扱いたいという学者たちの思惑を

    Location: 1485

    しかし数学の歴史を見ていくと、そこには単に学説の進歩、定理の発見といったレベルとは別の、概念そのものの変更が至る所で起こっている。そこに数学の人間化という問題があるのではないかと思うのだが、簡単に結論を出すこともできない。そこで、第一章で語った「下降感覚の原理」というものを手がかりにしてみようと

    Location: 1600

    こういった大変革が起こった時、誰がどういった反応を示したか、それが知りたい。もしそこで数学者の誰かが、その変革に対して「そんな汚らわしい説が受け入れられるか!」と言って厳しく批判しているなら、その変革が新たな人間化を示している可能性が高いのである。ざっと見まわした時、目につく事例がふたつある。ひとつは無理数が発見された時。もうひとつは実無限が登場した時で

    Location: 1622

    自然数でなく、分数でもなく、どうやっても美しく表すことのできない数がこの世にある」と言ってしまったのである。そこでどうしたかというと、ピタゴラス学派のメンバーが集まり、彼を水に沈めて溺死させてしまったと

    Location: 1672

    無理数の登場が当時の数学にきわめて大きな打撃を与えたことを、この逸話ははっきり示している。無理数の出現によって、神聖なる数学が汚されたので

    Location: 1677

    有理数だけでできていた数学世界に無理数が入り込んでくるという現象は科学の人間化であったと想定することが

    Location: 1680

    ではもうひとつの事例、実無限の発見について見ていこう。実無限とは、無限の要素から成るひとつの数学的集合体を、実在の数のように扱う、きわめて斬新な概念である。無理数の発見が紀元前の話であったのに対して、こちらはおよそ百年前のことであるから多くの情報が残っており、登場人物も

    Location: 1723

    いかなる現実世界にも、ほんとうの正義の味方とほんとうの悪役などという区分はない。たしかに狂った殺人鬼のようなおぞましい悪人もいるが、それは例外的ケースとして、たいていの人間は本質的に悪人というわけではない。人それぞれ、自分の道を考え、自分で選択し、自分で行動を

    Location: 1726

    この虚数。最初のうちはまともな数として扱われなかった。それはそうだろう。二乗してマイナスになるというのは演算上の矛盾である。そんなものが数学的実在としてあり得るはずがない。そんなものが出てきたらなにかの間違いである。しかしそうなると、三次方程式が解け

    Location: 1813

    どうしても虚数の存在を認めざるを得ない。しかしそんなものは認めたくない。ギリシャで無理数が登場した時と同じ状況になっ

    Location: 1821

    無理数の導入が数学の人間化なら、虚数を承認したことも当然、人間化の一環に違いない。三次方程式を解くという論理的手続きの中で鬼っ子として生まれ、三百年かかって認知された。それほどに虚数は不可思議で、納得し難い概念だったということだろ

    Location: 1831

    もうここまでくれば、数学の人間化の様相は明らかである。数学も物理学とさほど違うわけではない。人間存在に起因する不可知性が次第に現れてきている。カントールの集合論の導入こそは、数学を決定的に人間化したということが

    Location: 2067

    科学の中にある人間化という現象について見てきた。この本では物理学・生物学・数学の三分野しか取り上げなかったが、科学がおおよそこの三分野を基盤として成り立っていることを考えるなら、科学全般が人間化していることは間違い

    Location: 2397

    仏教と科学の違いは、仏教とキリスト教の違いよりも小さい。科学の人間化を一本のベクトルとした場合、出発点にはキリスト教をはじめとした一神教世界があり、反対側の到着点に仏教がある。もちろん科学が最終的に仏教になるなどと言うのではない。両者はそもそも求める目的が違う。しかし、その目的を求めて我々が活動する、その活動の場が、仏教と科学では同次元なので

    Location: 2495

    私は科学と仏教がどちらも好きで好きでたまらないので、多少は無理をして両者を結びつけたところがあるかもしれない。それでも、両者の根本的世界観が同じ次元にあるという点には確信が

    Location: 3639

    仏教学という学問は、学問としての品格がとても高い。その研究領域は、時間では二千五百年間、空間でみるとユーラシア大陸の東半分である。その広大な領域で、膨大な数の仏教徒たちが生み出してきた思想・文化・芸術・歴史、そのすべてを

    Location: 3664

    仏教が、他の宗教にはない図抜けた合理性の上に成り立っているということは、本書でたびたび指摘してきたとおりである。この仏教の特質が見えてくるにしたがって、若い頃に親しんだ科学の世界がよみがえってき

    Location: 3670

    仏教研究の中に、科学のデジャヴュを見ると言ったら分かってもらえるだろう

  • 第75回アワヒニビブリオバトル「おうち時間DEビブリオバトル」1時間目 算数で紹介された本です。オンライン開催。
    2021.05.02

  • 「犀の角たち」の続編
    科学と仏教のかかわりが興味深い

  • 多層で複雑怪奇な仏教について、ほんの少し知ることができた。というか仏教は多層で複雑怪奇なものであると知ることができた。
    また「なぜ原始的な仏教と日本の仏教は全然違うのか」という謎も少し知ることができた。
    大乗仏教と原始の仏教は随分と異なるものであると、具体性を持って学ぶことができた。それでも、日本の仏教は日本の風土風俗に合った進化を遂げたものだと思うので、それはそれで良いのだと思う(祖先の墓が寺にあることは事実なのだし)。
    それでも現代日本人に「貴方達が拝んでいる仏教と本来の仏教は全然違うものですよ」と言ったら大体反感食らうだろうな。

    パラダイムシフト…流行りのビジネス用語で言えばゲームチェンジが近いだろうか。科学や宗教世界でなくても、今までの常識でありえないことを標榜する人を多数派が「感情的に」攻撃する様は今なおSNSでもよく見かける。
    「科学的にありえない・証明できない」「義務教育内容と付合しない」という考えは正に神の視点ではないか?
    トンデモな意見を全て受け入れようとは決して思えないが、陰◯論・反ワ◯チンというような流行語で、一風変わった意見を一括りにして考えなしに総否定することだけは避けたい。理解できなくとも一度立ち止まって考える訓練だけは積んでおきたい。
    仏陀や著名な科学者が歩んだ軌跡を、一歩だけでも踏み込むことは無駄ではないだろう。 

  • 著者は京大工学部から文学部に転部し、哲学科で仏教学を専攻した仏教学者。実家も福井県の真宗高田派盛立山称名寺である。その経歴から仏教と科学の接点について考察する言説も多く、初めて著者を知ったのも『真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話』(共著)であった。
    著者によれば、初期の仏教の特徴は次のとおりである。
    ①超越者の存在を認めず、現象世界を法則性によって説明する。
    ②努力の領域を、肉体ではなく精神に限定する。
    ③(略)
    これらのうち①は科学が神の視点から人間の視点へとパラダイムシフト(人間化)してきた点と共通する。一方②においては、物質世界の真理を探究する科学に対して、精神世界の法則性を解明し「苦」からの解放を目指す仏教はやはり宗教なのである。しかし、著者の構想は更に膨らみ、もし脳科学が精神世界を科学的に解明し精神向上システムを構築すれば、もはや仏教と科学は一体化することになると夢想する。
    本書の副題「犀の角たち」は、初期経典『スッタニパータ』の「犀の角のようにただ独り歩め」という誦句に由来する。本書では、仏教修行者だけなく科学の人間化のために尽くした科学者たちをも指すのであろう。著者は、「科学も仏教も、一人ゆく勇者の世界である。そこには本当のカッコよさがある」という。科学者でも仏教徒でもなくとも、願わくば多少なりともカッコよく生きたいものだ。

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著者プロフィール

1956年福井県生まれ。花園大学文学部仏教学科教授。京都大学工学部工業化学科および文学部哲学科仏教学専攻卒業。同大学大学院文学研究科博士課程満期退学。カリフォルニア大学バークレー校留学をへて現職。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。著書に『宗教の本性』(NHK出版新書、2021)、『「NHK100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば』(NHK出版、2012)、『科学するブッダ』(角川ソフィア文庫、2013)ほか多数。訳書に鈴木大拙著『大乗仏教概論』(岩波文庫、2016)などがある。

「2021年 『エッセンシャル仏教 教理・歴史・多様化』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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