自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く (角川ソフィア文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044006204

作品紹介・あらすじ

「今日の健診でみた自閉症の子も、お母さんバリバリの津軽弁なのに、本人は津軽弁しゃべんないのさ」――津軽地域で乳幼児健診にかかわる妻が語った一言。「じゃあ、ちゃんと調べてやる」。こんなきっかけで始まった「自閉症と方言」研究は10年に及び、関係者を驚かせる結果をもたらすものとなった。方言の社会的機能を「意図」というキーワードで整理するなかで見えてきた、自閉症児のコミュニケーションの特異性に迫る。

【目次】
 発 端   
第1章 自閉症は津軽弁をしゃべんねっきゃ
第2章 北東北調査
第3章 全国調査
第4章 方言とは
第5章 解釈仮説の検証
第6章 方言の社会的機能説
第7章 ASD幼児の方言使用
第8章 ASDの言語的特徴と原因論
第9章 家族の真似とテレビの真似
第10章 ことばと社会的認知の関係
第11章 かず君の場合
第12章 社会的機能仮説再考
第13章 方言を話すASD
第14章 「行きます」 
第15章 コミュニケーションと意図

文庫版あとがきを新規収録(2020年7月)

感想・レビュー・書評

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  •  「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ」と、妻がなにげなく一言。筆者は弘前大学の教授で、奥さんは臨床心理士。そして、10年にわたる自閉症と方言の研究が始まった。
     学者の調査研究の方法がよくわかる。そして「学者魂」というべきもの垣間見られる。ことばと心の関係が平易に書かれており、非常に読みやすかった。

  • 著者は教育心理学者。著者の妻は臨床発達心理士として現場で働いている。
    2人は弘前に住む。
    著者は博多生まれだが、妻は津軽生まれ。津軽弁に関しては妻がネイティブである。
    ある日、仕事から帰ってきた妻が、何気なく「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ(話さないよねぇ)」という。著者は、「それは津軽弁をしゃべらないのではなく、自閉症児の音声的特徴が方言らしく聞こえないということでは?」と反論する。自閉症の人は一本調子の独特の話し方をするのだ。
    そこで収まるかと思うと、妻は気色ばんで、いや、そういうことではない、と言い返す。
    お互い、専門家同士の意地もあって、思わぬ口論になってしまう。
    一呼吸おいて、著者は考える。
    「じゃあ、ちゃんと調べてやる」
    そこからこの研究が始まる。

    「自閉症児は津軽弁を話さない」は本当なのか。妻によれば、現場では共通認識なのだという。
    著者はまず、周囲への聞き取りから始める。どうやらそういう認識はあるらしい。
    ではアンケートを取ってみる。まずは青森県で。そして秋田県で。
    著者は途中までは、この話を根拠のない噂と捉えていたが、調査を進めていくにつれ、徐々にどうやら本当らしいことが見えてくる。
    しかも、当初著者が考えていたような、自閉症者特有のイントネーションのせいではなく、方言特有の語彙も自閉症者では使われないようだ。
    ではそれは、津軽あるいは北東北のみで見られることなのか。
    調査対象を全国にしてみる。
    方言が特徴的である京都・舞鶴・高知・北九州・大分・鹿児島をピックアップする。そして自閉症(自閉スペクトラム症:ASD)の子ども、知的障害(ID)の子ども、地域の子ども一般で、方言使用に差があるかどうかに関して、特別支援学校の先生を対象にアンケートを取る。子どもの発現を直接調査するのではなく、先生の印象調査としたのは、比較のペア形成が困難であることや、方言であるかどうかを判断する評定者の確保が難しいことなど、いくつか理由がある。地元の先生であれば方言の判別は簡単だし、ある程度の傾向は見えてくるはずだ。
    結果として、全国各地で、IDの子ども・地域の子どもに比較してASDでは方言使用が少ないことが見えてきた。

    この結果を学会発表してみると、反応は大きく2種類だった。
    1つは、美しい興味深い結果だというもの。もう1つは、そんなことは当たり前でわかりきったことだというもの。
    しかし、著者以前にこうした研究を体系的に行ったものはなかった。
    現象がわかっていて、それが「当たり前」で放置しておいてそれでよいものだろうか。

    著者はさらに、歩を進める。
    ASDが方言を使わない傾向があるとして、その原因は何か。
    そこから話は、方言というものの特性、使用されるシチュエーション、そしてASD自体の特徴へと移っていく。
    方言が語られる状況というのは、改まった場よりも、家庭の中や近所の気心の知れた人、つまり、親密さを現す場が多い。一方で、ASDの人は他人の感情を推し量るといったことが苦手だ。相手がどう思っているかを感じ取り、それに合わせて自分の態度を変化させることが不得意なのだ。
    そうなると、あまり感情が入り込まない公の場で話される言葉の方が、なじみやすく模倣もしやすい。テレビやビデオなどで(特に「繰り返し」)提示されるものを吸収する傾向があるのではないか。
    そこから派生して、ではASDでも方言をまったく話さないわけではないがそれはどういうことか、ASDの子ども相手に何かを教示する場合、「~して」や「~しなさい」より「~します」「~です」を使うことが多いがそれはどういうことか、といった話題も盛り込まれる。

    結論としては、どうやら、夫婦喧嘩は妻に軍配が上がったようである。
    「自閉症は津軽弁を話さない」は本当だった。
    だが、そこは著者も専門家、転んでもタダでは起きない。実はこの命題は、当初の印象以上に、ASDへの理解や、方言と標準語の使われ方の違い、ひいては人のコミュニケーションの根底にあるものといった、奥深い洞察へと続くものだったようである。
    心理学の調査・研究というのはこのように組み立てられていくのか、というのも興味深い。

    ちょっと疑問なのは、標準語という概念がないような昔、よその地域との交流も稀だったころ、そしてテレビやビデオなどなかったころでも、ASDの人というのはいたのだろうし、そうした人はどうだったのだろうかという点だ。そしてまた、標準語というのは、元は関東の一地方の「方言」であるわけで、そうした地域ではどうなのかということ。明確ではなくても、何らかの「差」は出るのか。

    この研究はさらに続いていくのだろうし、今後の展開が発表されることがあるのであれば、楽しみにしたい。

  • ネットで流れてきた記事を見て興味を惹かれて読んでみた。
    いや、面白かった。
    なかなか一般の人が知ることのない自閉症の人の言葉に関する研究で専門的な内容なのにとても分かりやすく書かれていて読みやすい。
    乳幼児健診にかかわる臨床発達心理士である妻の「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ」という言葉に反論するために調査研究し続けた特別支援教育士スーパーバイザーであり同じ臨床発達心理士である夫の10年の結果報告。
    自閉症児の発達過程、生じる問題を言語を中心に解きほぐしていく。だがしかし、ここに結論はない。あくまで仮定であり、多分今後さまざまな調査比較検討が行われていくのだろう。
    いろんな意味で好奇心を刺激される。ここから言語学とか心理学とかどんどん手を伸ばしていきたくなる。

  • 「自閉症の子は津軽弁を話さない」という妻の言葉から始まった、自閉スペクトラムと方言についての全国調査と、その結果から確かめられた自閉スペクトラムの子供は定型発達の子に比べて明確に方言を話さない傾向があるという事実に対する考察をまとめたもの。そのような話があるとはまったく知らなかったので驚くとともにとても興味深い話であった。この本にあるようにASDの子の言語獲得にテレビやラジオといった(主に共通語が使用される)メディアの影響があるとするならば、そのようなメディアが存在しない過去においてASDの言葉がどのようなものだったのか気になる。

  • 内容としてはとても勉強になり、なるほど〜と思うことも多かった。しかし、重複する文章が多くてちょっと斜め読みしてしまった…

  • 保健師や特別支援教育関係者の間で暗黙の了解として知られていた「自閉症児は方言を話さない」現象。
    これを研究テーマとして全国調査した結果をまとめた本書。
    タイトルに惹かれて読み始めたが、アンケート結果の羅列が続くので読み物としては面白くなかった。

    斜め読みとなってしまったが、ASDは相手の意図を理解する力が弱く、そのコミュニケーションの問題から相手に合わせた言葉遣いをするのが難しい。
    ことばの学習も周囲からではなく、テレビやビデオなどから学習するため結果的に共通語になる傾向にある、ということなのだと思う。間違っていたらすみません。

    全体を振り返って最後に結論をまとめた章がたぶん「おわりに」なのだと思うが、これも筆者が何を言いたいのかがいまいち伝わってこず、ただ実施した調査を時系列で並べたのみという印象を受けた。
    どの調査でどういう結果が出て、こういうことが考えられるということを明記して欲しいなと感じた。

  • 自閉スペクトラム症(ASD)の子が方言を話さないというのは、自身の息子の印象とも合っており興味深く読んだ。

    息子は小1で三語文程度の発語はあるが、本書に書かれているようにビデオや本からその場に応じたセリフを抽出したような話し方をする。
    そのような現象が、ASDが持つ意図理解の困難さに起因するという説が述べられていて、なるほどと思った。
    本書の段階ではまだ仮説の段階のようだが、言語能力障害の原因の検証が進むことを願っている。そして、息子とのコミュニケーションがもっと取れるような日がくればうれしい。

    次は本書の続編の「リターンズ」を読んでみる。

  • 発達障害児に関わる仕事をしているので、興味深く読みました。
    私は首都圏出身で職場も首都圏なので、「自閉症児は方言を使わない」を肌で感じることはありませんが、なぜ方言を使わないのかについてエビデンスを示しながら書かれており、とても勉強になりました。
    ただ、やはり大学の先生の研究結果を書いたものということで内容は難しく読了までにだいぶかかりましたが

  • 論文かってくらい読みづらい
    アスペが方言を話しにくいことのエビデンスが並べられている

  • 途中までワクワクしながら読んだのだが、最終的には隔靴掻痒の感強し。 
    非常に面白かったのは、とりわけ前半の緻密な調査の部分。
    自閉スペクトラム症(ASD)の人達が幼い頃から方言を使わない、という気づきからその現象が全国的に見られるのか、どのような原因が背景にあると考えられるのかを炙り出すため、質問内容やその対象の選び方などがさまざまな角度から考えられており、周到な調査の手法には興味をひかれた。また、ASDの人たちの思考様式を考えることで、自分達の認識方法がより整理される点は面白かった。
    しかし、結局ASDの人たちの実態がよく描かれておらず、しりすぼみな感じが否めなかった。この分析はASDの専門家向けゆえ、ASDに関する記述はこの程度で済むのかもしれないが、一般の素人としては、この現象を切り口に、ASDがどんな症状なのか、その分析はどのような切り口でなされ、療育はどのようになされているのかについて読みたかった。

    個人的な記憶の話。幼い頃I君というASDの人が身近におり、不思議な、そして奇妙な存在として深く記憶に刻まれている。全く個人的な欲望として、あの奇妙さ不思議さがどこからくるのかを私は理解したいのかもしれない。

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著者プロフィール

1957年生まれ。博士(教育学)。公認心理師、特別支援教育士スーパーバイザー、臨床発達心理士。1987年、北海道大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学。1987~89年、稚内北星学園短期大学講師。89~91年、同助教授。91~2000年、室蘭工業大学助教授。00~03年、弘前大学助教授。03~16年9月、弘前大学教授。11~14年、弘前大学教育学部附属特別支援学校長。14~16年9月、弘前大学教育学部附属特別支援教育センター長。16年10月より、教育心理支援教室・研究所『ガジュマルつがる』代表。

「2020年 『自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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