- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784044003456
作品紹介・あらすじ
230年の長きにわたり、信仰を守った潜伏キリシタン。2018年6月には世界遺産登録も予定されている。しかし本当に彼らはキリシタンを唯一の宗教としていたのだろうか。潜伏キリシタンの驚きの姿を明らかにする
感想・レビュー・書評
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潜伏キリシタンは命がけで信仰を守り通したという「物語」は世界遺産登録で一層浸透している。しかし潜伏キリシタンが信仰したものは、キリスト教というよりむしろ伝統的な神仏信仰、もしくは土着の先祖崇拝に近いものだった。教えを伝える「専門家」がおらず、聖書のような「聖典」もない状況では、教えも儀礼も変容してしまうという指摘。丸や(マリア)や出臼(デウス)、オラショなどの「入れ物」は残ったが、信仰の本質は失われていた。
現代日本のキリスト教徒に比べ、戦国時代のキリシタンの数がとても多いのが不思議だったが、お殿様に命じられてよくわからないままキリシタンになった農民たちがほとんどだったというのに納得。大名や武士などのインテリ層が力と幸運に惹かれてキリシタンとなったが、その多くは望んだ幸運が得られなければすぐに方向転換した。むしろ農民のなかに形としてのキリシタンが残っていった点が興味深い。これを著者は先祖崇拝と位置付ける。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「先祖崇拝」と「義理と人情」
よくわからなかった隠れキリシタンについてこの言葉でスッキリした。
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禁教の時代に仏教を隠れ蓑にして命がけで信仰を守り通したとされる潜伏キリシタン。
しかし導く者もなく、日本人には馴染みのない用語も多い教えを、識字率も高くない平民が正しく伝え信仰していたのだろうか。
信仰を否定するものではない。彼らがどういった経緯でキリシタンとなり、何を守ってきたのかを紐解いていく本だ。
禁教が解かれ宣教師と邂逅し、正しいカトリックの教えに帰った者たちもいる。が、先祖からの教えをそのまま受け継ぐ者もいる。
潜伏キリシタンとカクレキリシタンの違い、オラショの解読、信仰の対象となったものなど、実に興味深い内容だった。
ただ、最終章の「日本ではなぜキリスト教徒が増えないのか」というのは少し疑問。
新興宗教団体の人数の増加を挙げてこれだけ世間に受け入れられているというが、そうではないように思う。
それこそ家族が引きずり込まれるからだろうし子供は否応なしに入れられるからなのでは。
敬虔で教義がそのままでなければならないという厳しいイメージがあるキリスト教が受け入れられるためには、日本人の先祖崇拝を受け入れて土着化が必要とあったが、それこそキリスト教とは異なるものと著者が提示したカクレキリシタンの姿なのではないのかと思う。 -
いわゆる隠れキリシタンと呼ばれた人たちについて、考察を深める一冊。著者が述べるように、「禁教期においてもひたすら純粋なカトリック信仰を守り抜いた」、と世間で流布されがちな、多分に浪漫的なイメージに一石を投じる。というより、この著作を読めば、いかにそれが誤った見方なのか(この著者の説も一つの説であるという前提はあるとしても)、ひしひしと伝わってきます。じゃあどんな存在なのかって、それはもうこれを読むしかないでしょう。終章では、例えばちまたには膨大な数のキリスト教系の学校があるにも関わらず、なぜにキリスト教人口は増えないのか(実に日本の全人口の1%にも満たないという)?という疑問に直截に切り込む。読み応えのある一冊だ。
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読了。「カクレキリシタン 現代に生きる民俗信仰」の流れで、そもそもの信仰の内容が気になったため。
大多数のキリシタンは当時のキリシタン大名の命令で選択の余地なく改宗しており、キリスト教の教義もそもそもよく理解していなかったのではないかという内容だった。しかもキリシタン大名のおおむねの目的はカトリック諸国との貿易だったりするし、ロマンのなさが逆にイイ…と感じた。
それでは殉教者達は何に殉じたのかといえば、「先祖が大切にしていた何か」であり、そこに見えるのはどちらかというと祖先崇拝ですよねーという話。
拝む対象に対する魂入れの儀式があったことからものの見事に偶像崇拝していたことも分かるし、教義の伝わっていなさが興味深い。
以前ネットで見かけた「日本人の信仰のOSは神道」というのを何となく思い出した。(実際には神道ほどにも体系化されていない何かだろう。)
前回読んだ本と同じ著者の本を選んでしまったので、別の著者の視点からもカクレキリシタンについて学びたい気もするのだけれど、まあ急がなくて良いのです。
あと本書は参考文献や引用元の表記が充実していてお得感がありました。
(読んだあとスーパーに行って七夕みたいに願いごとまみれにされているクリスマスツリーを見て、「信仰とは」という気分にはなった。) -
「隠れキリシタン」とは、幕府の厳しい弾圧に耐え、仏教を隠れ蓑として命がけで信仰を守り通した、敬虔なキリスト教徒のことである、というのが、一般的にイメージされるもの。
しかし当時、外来語も日本語の文字の読み書きもできなかった民衆は、本当にキリスト教の教えを完全に理解していたのか?
彼らが本当に信じていたもの、守り続けていたものは何だったのか…
既存の説に異を唱える本作。
禁教時代の思想がテーマなので、参考となる資料が少なく、わずかな文献から著者が推測で補っている部分が多いのだが、今までとは違った視点で考察されており、面白かった。 -
江戸時代の禁教期、隠れキリシタンは命がけでカトリックの信仰を守った、著者はこんな美談に異を唱える。
キリスト教への理解が不十分なまま、先祖崇拝や民族宗教と融和し、キリストは八百万の神の一つになって信仰が続いていた、というのが著者の主張だ。言われてみれば確かにそうであろう。
しかし、情緒的かもしれないが、わずかな姿を留めながら大切に語り継ぎ、守り続けてきたことを美しいと思う。
全般的に推測と決めつけが多く、先に「消された信仰 最後のかくれキリシタン」を読んだ影響もあってか、好意的になれなかった。 -
2018/06/05