- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043944361
作品紹介・あらすじ
在プラハ・ソビエト学校で少女時代をすごし、ロシア語同時通訳者として活躍した著者が、鋭い言語感覚、深い洞察力で、人間の豊かさや愚かさをユーモアたっぷりに綴る最後のエッセイ集。同時通訳の究極の心得を披露する表題作、"素晴らしい"を意味する単語が数十通りもあるロシアと、何でも"カワイイ!"ですませる日本の違いをユニークに紹介する「素晴らしい!」等、米原万里の魅力をじっくり味わえる。
感想・レビュー・書評
-
このエッセイ集の文庫版は、2011年に角川から発行されたもの。もともとは、同じく角川から2008年に単行本で発行されたものを文庫化したものである。色々な新聞、例えば、読売新聞、日経新聞、神戸新聞、朝日新聞や、その他、雑誌に連載されたり掲載されたりしたものを1冊にまとめたもの。米原万里さんが亡くなられたのは、2006年5月のことなので、死後の発行ということになる。
いくつも印象に残ったエッセイがあった。「ドラゴン・アレクサンドラの尋問」は、印象に残ったものの1つである。
米原さんはお父様のお仕事の都合で、プラハのソビエト学校に小学校2年生から通われている。授業はロシア語で行われるし、学校の公式言語はロシア語だ。米原さんはソビエト学校に入るまでは日本の小学校に通っておられ、ロシア語が出来るわけではない。アレクサンドラ先生は、ソビエト学校の先生。学校の図書館で本を借りると返却の際に、その本の内容を要約させられる、もちろん、ロシア語の本をロシア語で要約する必要がある。その要約をアレクサンドラ先生が厳しくチェックする、まるで尋問のように。
レベルも内容も違うが、私も英語の個人レッスンをイギリス人の先生について受けていた時に、同じようなことを経験した。英字新聞の中から1つ記事を選び、それを要約して先生に説明するのであるが、「新聞で使われている単語は原則として使用禁止、要するに全ての単語を別の単語に言い換える必要がある」という厳しい条件がつくのである。このレッスンが毎週数回、数か月に渡って続いた。やっている時には、とても大変だったけれども、これほど役に立ったレッスンはなかった。英語を理解することと、自分の理解を表現すること、これが出来ないと会話が成立しない。その訓練を個人レッスンとして受けることが出来ていたのだ。米原さんはそれを、まだ小学生低学年のうちから練習させられているわけで、随分とロシア語の上達には役に立ったのだろうな、と思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
嘘つきアーニャに衝撃を受け、米原さんの著作を読み進めています。ご存命のうちにこの人の本に出会いたかった。歯にもの着せぬ軽快な文体と鋭い視点、憧れます。
ただ、この本は新聞や雑誌に載せた記事のまとめということで、繰り返しや使い回しのエピソードが多く途中で飽きそうになりました。
元がコラムですので、腰を落ち着けて通読するよりは1日1遍をサクッと、という読み方が適していたのかもしれません。 -
本書は米原万里さんが新聞や雑誌に連載していたコラムを集めたもの。2006年に癌で逝った著者最後のエッセイ集です。話題はロシア語通訳として活躍しながら考えたこと、少女時代の家族との思い出やソビエト学校で学んだこと、日本人のアイデンティティについて、食や四季の花々に関する蘊蓄、などなど多岐にわたります。最後には「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」の楽屋話にあたる対談が収められている、大変充実した文庫本です。
米原さんが趣味で住宅の設計図を描いていたというのは初耳!小説や映画に出てくる家は、全体像を再構成して平面図や立面図を描いていたそう。招かれた知人の家、新聞広告や折り込みチラシの間取り図を見る度に手を加えたくなり、あれこれのリフォーム・バージョンを図面化していたとのこと。しかも仕事そっちのけで建築雑誌を愛読し、建築材や住宅設備、新しい工法に関する情報を絶え間なく取り入れていたというから病膏肓に入る。建築家さんでもここまで情熱的なプロはなかなかいません。
ソビエト学校でのドラゴン・アレクサンドラの話が印象に残りました。彼女は図書室に君臨する司書で、子どもたちに大変恐れられています。それは本を返す時にあれこれ厳しく尋問するからでした。まだロシア語が話せなかったマリを相手に「どんな内容だったの?話して聞かせてちょうだい。」と追及の手を緩めません。質問に身振り手振りで何とか答えようとするマリのつたないロシア語を、ドラゴンは辛抱強く正しい文章に直してくれました。
いつの間にかマリは、返却する時にドラゴンに語り聞かせることを想定しながら本を読むようになります。内容をできるだけ簡潔にかつ面白く伝えようと悪戦苦闘しているうちに、いつも絶句していた授業での口頭質問もこなせるようになり先生や同級生を驚かせました。読むことよりも覚えることよりも、自分の言葉で内容をかいつまんで話すことこそ子どもにとって必要な訓練なのだなあと、帰国して日本のマルバツ式テストにぶっとんだという著者の経験を重ね、しばし考え込んでしまいました。
著者が、スターリンによる粛清の嵐吹き荒れるソ連の女囚ラーゲリー生存者を取材した際の記事「花より団子か団子より花か」は、胸に迫るものがありました。女囚たちは暗く狭いバラックで、疲れきった体を休める寸暇を惜しみ、読んだことのある文学作品や寸劇を披露しあっていました。生存者はその楽しみこそが、飢餓と不潔に苦しむ彼女たちの尊厳を守ってくれたと語ります。この収容所でのエピソードは「オリガ・モリソヴナの反語法」に取り入れられているそうです。絶対に読みます! -
米原万里さんの最後のエッセイ集。コラムなのかな?ショートショートくらいの長さです。でも、短いなかにもピリリと光るものがあるし引き締まる。本の中で自分の日本語が堅いって言ってたけど、これが好きかな。最後にお母さんの告別式で読んだもの、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』についての対談があって、これが本当に読めて良かった。
-
解説でも触れられていたが…
地続きに近隣国がある国の人たちの、国や民族に対する考え方は、純日本人には一生分からないんだろうな。と思ってる。 -
つまみ読みにぴったりな小話たち。
巻末の池内さんとの対談も、とっても面白かった。 -
誰かがFacebookに書いたようなライトでブツ切りのエッセイからかなり硬派な内容のものまでバラエティに富んでいたが、著者の性格が表れているのか、サバサバとした男前なものが多く、また思わず声を出して笑ってしまったものも多々あった。一番最初のオホーツクでの話は、思わず地図で確認しながら読み始めたけど、結局言いたいところはそこではないのかと、肩透かし的で逆に印象に残ってしまった。
-
嘘つきアーニャが面白かったので読んでみた。面白かったが、一話が短いこともあるのか、比較的普通のエッセイのような気もした。
-
1990年代後半~2000年代前半に書かれたショートエッセーの数々。巻末にプラハ・ソビエト学校の思い出をめぐる対談を収録。
印象的だったのは「きちんとした日本語」。著者の切れ味のある明快な文章、好きなのだが、ご自身は「き帰国子女のわたしには、まだちんとした正しい日本語が精一杯。それを崩せるほどまでには身につけていない」とコンプレックスを抱いていたようなのだ。贅沢な悩みだなあ。
対談の中で著者は、東西冷戦期のイデオロギー対立は実はカソリックとギリシャ正教系の宗教対立の仮の姿だったのかもしれない、と語っている。競争・努力を無駄と考えるロシア正教的なの宿命論が、社会主義体制を産み出し発展させたのかも知れないなあ。対談はとても深い内容でした。