覘き小平次 (角川文庫 き 26-12 怪BOOKS)
- 角川グループパブリッシング (2008年6月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (418ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043620067
作品紹介・あらすじ
押入で死んだように生きる木幡小平次は、天下随一の幽霊役者。ある時、旅巡業の声がかかるが、それは凝り続けた愛と憎しみが解き放たれる修羅の幕開けであった。女房・お塚を始め、小平次の周りに蠢く生者らの欲望、悲嘆、執着が十重二十重に渦巻き絡み合い炸裂し-やがて一つの異形の愛が浮かび上がる。人間という哀しい華が圧倒的に咲き乱れる、これぞ文芸の極み。古典怪談に材を取った『嗤う伊右衛門』に続くシリーズ第二弾。第16回山本周五郎賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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百鬼夜行シリーズを発売されるとすぐ読んでいた頃から随分と時は過ぎたんだな。ずいぶん久しぶりの京極夏彦。
生と死の狭間にいる小平次の物語。後半に向かうにつれどんどん面白くなる。結局、小平次を本当に見ていたのは終始嫌っていたお塚だったんだな。それも愛だったのだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
古典階段をベースにした京極さんの真骨頂。
安積沼での殺人やその後の江戸の自宅でのクライマックスは、まるで文楽の芝居を見ているような気分になりました。
人間の欲の深さや執着のおどろおどろしさと、執着を持たずに行きている人間への嫉妬・羨望。
逆に執着を持たないで生きる人間の心の殺伐さ。
生きるっていろいろあるのだよなぁ…と思わせられる作品でした。
素直に好きな人と好きだよって言い合いながら、他人をうらやまず、今ある日常を受け入れて、シンプルに生きていられるしあわせを感じたよ。 -
『嗤う伊右衛門』とおなじく、切ない読後感に酔いしれています。
小平次の様子に、異様さ、不気味さを感じつつ、なぜか、お塚がののしるほどの嫌悪は感じませんでした。読み進めていくにつれ、彼を「強く頼もしい」存在に感じ、好意を持ってしまうのは、なぜでしょう。彼ら以外の登場人物は、あるべき自分の姿を探し、ないものを埋めようと必死です。人々の、あさましさや愚かさを描きながら、なぜか彼らを憎めないのは、自分の中にも同じものがあることを自覚させてくれるからかもしれません。そして、自分にはない強さを感じるから、小平次に好感を持ってしまうのかも。いずれにせよ、京極さんの、異形な者への優しいまなざしが、この切なく温かい読後感に繋がるのだと思います。あくまで主観ですが、お塚は小平次が愛しくてたまらないのだと思います。それゆえの、もどかしさ、腹立たしさを、ひしひしと感じました。こんな、不器用な夫婦愛を描かせたら、京極さんの右に出る者はいない、と私は思います。 -
この物語への引きこまれ方は、「嗤う伊右衛門」のあの心地よさだ。
登場人物が少しずつつながりを見せてくるときの爽快感や、妻であるお塚のラスト近いセリフの小気味よさ。
このストーリーは素晴らしいデザインのポスターに魅入られたときの感覚に似ている。
ストーリー全体がデザインされているかのように、芸術的な素晴らしさ、心地よさがある。 -
「妾は嫌がらせしたかったンだ。厭な厭な小平次にね」
だから一緒にいるんだというお塚のセリフに、潔さを感じます。
どんな形であれ、相手の存在がある事で自分の存在が認められる。
相手に依存してしまったり、思うが故に自分を見失ったり。そんな愛の形より、よっぽど深い想いを感じました。
愛憎は表と裏の紙一重なんだなぁ。 -
登場人物それぞれが抱える心の闇が、話が進むにつれ、1つにまとまっていく構成が巧み。
読了後の解説で知ったのだが、小幡小平次は、江戸時代の怪談話に登場する架空の歌舞伎役者。
物の人が書いた作品の登場人物を、別の切り口で組み立て、世界観に厚みを増す、京極夏彦の技術は名人芸の域だと思う。
ちりばめられる雑学も、描写が豊かになり、また非常に勉強になる。 -
京極夏彦は噛み合わないけどなんだかんだ良い夫婦っていうのが好きなのかなって…
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素晴らしすぎて言葉も無い。
さすがの京極夏彦の禍々しさだけど
勧善懲悪的なキャラが存在しないことによって
世界観が剥き出しでした。 -
江戸怪談シリーズ第二弾。これの元となった話自体は知ってはいたものの題名までは覚えていなかった。学生の頃に触りだけ読んだ覚えがあるものの、どうにも地味に感じられて途中で読むのを放棄してしまった。しかし今最後まで読んでみると中々に味わい深い。お塚は小平次を嫌いだ大嫌いだ好きにはならぬと言いながらも、そこには奇妙に何かしらの情が感じられて仕方がない。きっとこの二人の関係は愛でも情でもないナニカではあるんだろうが、私にはそれを表せるだけの語彙がないのが口惜しい。
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静かな物語。読者が小平次の世界を覗いているような錯覚に陥る。