自分自身への審問 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043417100

作品紹介・あらすじ

「新たな生のための遺書」。04年に脳出血、05年に大腸癌と、ある日突然二重の災厄に見舞われた著者が、入院中に死に身で書きぬいた生と死、国家と戦争、現世への異議、そして自分への「有罪宣告」!

感想・レビュー・書評

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  • 初読。病に倒れる前と後で辺見庸は変わったのか。考えることににブレがないから変わらないともいえるし、切り捨てる、突きつける刃の鋭さがいよいよ増していて、変わったともいえる。自らに迫る刃の鋭さがますます容赦ないことにも驚嘆する。死を前にしてなお強靭な姿勢には平伏するしかない。

  • 「今ここに在ることの恥」の次に読んだのだが、順番を間違えた。こっちが先で、あっちが補足と解説のような本だったのだ。

  • 「死、記憶、恥辱の彼方へ」と「狂想モノローグ」、「自分自身への審問」がずば抜けて良かった。死の淵に近づき、あるいはそばで触れ合うことで磨きぬかれ表層を粉砕し闇へと迫る思索。見ることについて、あるいは、異界について、生きる意味についてこの上ないほどに誠実に考え抜いている。衒いに率直であるほどに衒いがない思索は心を掴んで離さない。
    ただ、それが政治的イシューになると切れ味が落ちるという印象。仮に資本主義やら何やらを批判しさっても、それがどうにかなるわけではない(思索は個人を変えうるにしても、政治にはならない)。それで政治嫌いなのかもしれないけれど。
    ともかくこの書き手には延々と付き合う必要がありそうだ。

  • ドキュメンタリー作品「もの食う人びと」が面白かったので、
    それにつられて、何となく買った作品。

    が、内容は世界各国で記号化された土地を
    わざわざ訪問したリアリティと博愛が混在する同じ著者とは思えないほど、
    次々と研ぎ澄ました刃で自傷するかのような暗鬱な内省を展開している。

    「もの食う~」の取材から帰ったのち、脳出血と腸ガンを立て続けに患い、
    文字通り、死と隣り合わせになった著者。

    その半身不随の身体と記憶の多くを消失した脳みそで、
    世界を、経済を、思想を、文化を、システムを、文学を広角な目線から批判し、
    その批判の急先鋒にいつも著者自身の自己を据えている。
    自分が自分を批判する構図。

    本書を通じて挙証されるテーマは無数にある。
    恐らくは、読んだ人の数だけ、解釈を許す多義性があるが、
    僕が最も心惹かれたのは、文書を書く人間として「衒う」という営為。

    この衒いが、必然的に、唯只管に自己を内面を見つめるだけの眼の存在を焙り出し、
    「無自覚な罪障」と名付けた、自らの深い罪過のありようを見つめる。

    内省によって新たな内省を求められ、その内省が別の内省を要請するが、
    本当に最後の部分は、僕が読んでも書ききれていないと分かる。
    けれど、その書ききれてない様も詳らかにすることで、
    人間としての自己の浅慮と愛と虚無の混在する多面性を浮き彫りにしている。

    「語ること、行うことの底方の不実」の罰は「生涯にわたる沈黙」。
    どこまでも衒いがつきまとう。

  • --「賢明でありたい、と思わぬこともない。/むかしの本には書いてある、賢明な生き方が。/...どれひとつ、ぼくにはできぬ。/そうなのだ、ぼくの生きている時代は暗い。」(『ブレヒト詩集』野村修訳から)...いまという時代はたぶん<ぼくの生きている時代は明るいのに何も見えない>とでもいうべき時代なのだろう。--

    本書が書かれた時代より、さらに歩を進めた現在は、<ぼくの生きている時代は明るい>と言うより他ないのかも知れない。
    「暗い」どころか「見えない」と言う人も冷笑されるという点で。

    ::::

    久しぶりに落ち込みたく、辺見庸を手に取った。
    鵺を見に来て、鵺に見られる。それをやらないと進めない。

  • この国の政治家の多くは中国や朝鮮半島を見るときに、みられていることをほとんど念頭におかない。
    国家という幻想は記憶の改ざんや消去に深くかかわることをもって、その本質とするものだから、いかなる国家でも歴史を真摯に反省するということはないと思う。
    今に生きる究極のルールとは人間をうち捨てること、または人体を消去することになりかねません。
    在日朝鮮人たちの屍は原爆投下後も放置されっぱなしだった。
    自分が世界とどう関わるかは、あらかじめ定まっているのでなく、個人の想像力が決めると思う。
    問題は人が生きることの内奥の重みや光がはたしてここにあるのか、ということだ。
    自殺は21世紀世界の主要なシンドロームを形成していくのではないか。実際、死の逼迫は各所で爆発している。

  • 人は大病を患ったあとその苦境の果てに目の前の視界が今までとはまるで違ったように開けるという。まったくの同感である。考え方や思考の広がりが病の淵においてなお深くこんなにも生きていることが幸せに思える瞬間はないという。これは借物の肉体だと妙にありがたく思える。自分への審問は日常なかなか到達できる行為ではない。病床において捧げられるせめてもの救いだと思われる。苦しいのに何が救いなの?それは傷が癒えてからやってくる。地下水脈から湧き上がるようなその褒美は何物にも変えがたい指針を手にしたような救いになる。だからそれまでは耐えて耐えて待ってろと。病気は単に苦しいだけのものではない。

  • 09.08

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著者プロフィール

小説家、ジャーナリスト、詩人。元共同通信記者。宮城県石巻市出身。宮城県石巻高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部社会専修へ進学。同学を卒業後、共同通信社に入社し、北京、ハノイなどで特派員を務めた。北京特派員として派遣されていた1979年には『近代化を進める中国に関する報道』で新聞協会賞を受賞。1991年、外信部次長を務めながら書き上げた『自動起床装置』を発表し第105回芥川賞を受賞。

「2022年 『女声合唱とピアノのための 風』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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