セブン・イヤーズ・イン・チベット: チベットの七年 (角川文庫ソフィア 235)
- KADOKAWA (1997年11月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (474ページ)
- / ISBN・EAN: 9784042770015
作品紹介・あらすじ
インドで戦争捕虜となったオーストリアの登山家は、収容所を脱走し、想像を絶する過酷な旅のはてに、世界の屋根チベット高原の禁断の都に漂着する。「私は、これほど素朴な信仰心を持つチベット人にはいつも深い羨望の念を覚えた。私自身は生涯を通じて宗教を求めながらついに得られなかったからである。私は、浮世の出来事によって疑惑に陥って右往左往することなく、それを平静に眺めることを、この国で学んだ」。若き日のダライ・ラマの個人教師をつとめた登山家が綴った山岳紀行文学の金字塔。
感想・レビュー・書評
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ダライ・ラマ14世の自伝を読み、チベットの抱える現状と歴史的背景に興味を持ちましたが、ダライ・ラマ自身が、現在のチベット問題の一方の当事者ですのでもっとチベットを公正に認識できないかと思い、本書を読みました。
セブンイヤーズ・イン・チベットは、純然たる中国共産党支配前のチベット風土記に近い内容だと思います。
現在、当時のチベットがどれだけ保存されているかはわかりませんが、ハインリッヒ・ハラー氏の筆により秘境・桃源郷とされた当時のチベットに暮らし、そこに生きる人々が余すところなく伝えられています。
彼が描写するのは、ただただ、信仰に篤い国と人々です。
彼は同時に、チベットを愛し、チベットから愛されたのだ思いました。
終節にはダライ・ラマとの親交と赤色中国人に美しい国が占領されるさまが描かれていますが、それはチベットという国が滅ぶというトーンよりむしろ出国の際に親しき者との別れの情感で書かれているのが印象的です。
異邦人でありながらチベット人のように振る舞い愛された著者ならではの視線だと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本を読んでる間中、何をしてても頭の中はチベットを旅してた。
映画も観ましたが、本の方が当然内容はより詳細。
しかし、映画でしか表せない色の美しさ、空気感、音の感じを知ってから本を読むと、文字がより一層深みを増して入ってくる感じです。
そのため、脳内がしばらくチベットに行ってしまったんだけど…
自分ひとりでは経験できない事を本を通じて経験できると言うのはまさにこの事。
時代も宗教も環境も、何もかも今の私とは違う世の中がある事をしれます。
かしこまったり、覚悟を決める事なく、この本を読み始めると良いと思います。 -
映画を見て、チベットに興味が湧いて、本書を購入(絶版されていて、ネットで中古しかなかった。)。
映画とは違い、ラサにたどり着くまでの冒険が詳細に記録されていて、山岳紀行文としても、冒険モノとしても、非常に楽しめた。
ダライ・ラマとの友情には胸が熱くなり、最後まで没頭できた。 -
壮大なる紀行文。
中国のチベット侵攻はこれは実はいまに始まったことではなく、何回めかの侵攻であることがわかる。
チベット人にしてみれば、天災や何かと同じなのでは。
遠くは吐番も長安を侵攻したことがあったし。
それにしてもずっとダライラマは帰れてない。
もしかしたらずっとみれないかもしれない、チベットでの生活が描かれている。 -
前半はインド北部の捕虜収容所を脱出して徒歩でチベットを目指した著者の旅の記録。
もともと著者はドイツのヒマラヤ遠征隊に選ばれるほどのエリート登山家だったということだが、それでもまともな装備も無い中で冬のヒマラヤ越えを成し遂げたというのは驚くばかり。登山家としての才能だけでなく文才にも恵まれていたようで、極限状況での旅の労苦にしても、道中の神秘的な山々や湖の景色にしても、読んでいて周囲の光景とそれを見た著者の心象風景とが頭の中に鮮明に浮かんできて惹きこまれた。
後半は苦難の末にラサへ着いてからのチベット人との交流を中心にしたかつてのチベット文化の記録が中心となる。そしてダライ・ラマとの邂逅からクライマックスへ。
20世紀の半ばまで宗教を基礎にした独自の国造りで閉鎖的ではあっても人間味の豊かな個性ある文化を維持してきたチベットがかつての姿を取り戻す望みはもはやほとんどなさそうであり、だからこそ在りし日の様子を人々の息遣いまで丁寧に写し取った本書の貴重さが際立っている。 -
映画先に観てるとダライラマ登場まで長く感じた。
当時のチベット人のダライラマへの尊敬の様子、文化が垣間見える文章。
チベットでも動物解体などの被差別民がいる事が驚き。 -
まだ半分なんだけど、おもしろい~
映画は、当時、劇場で見たんだけど記憶薄いんで、また借りてきた。
ハインリヒ・ハラーの別な本も取り寄せ中。 -
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いやはやすでに著者がチベットにいたのはもう60年以上前という事実。
当時は外国人の入国すら許されなかったチベットに、しかも一般人でありながら、最後は活仏ダライラマの教師まで勤めることとなった著者の旅行記であり、チベットの当時の文化、生活を外国人という客観的視点から描いた貴重なルポタージュ。 -
ドイツとイギリスが交戦状態に入り、登山家ハインリヒ・ハラーはインドの収容所に拘留されることになる。数回の脱走を試みて無事に仲間とチベットへ入国することに成功する。この当時、チベットは鎖国のため外国人には未踏の地であった。
彼らが見聞きするチベット仏教を基にする人々の生活は驚くことばかりである。ハラーがダライラマの家庭教師として勤めるくだりは後半の一部、わずかなページに記載がある。本書を読めば漢民族、中国文化が入る前のチベットを知ることができる。 -
戦争をきっかけに、ヨーロッパの登山家たちがチベットをさまよい、戸惑いながらもチベットを愛していく様子に心を打たれる。
しかも、これが実話なのだから、感動はより深い。
チベットの人々は、自然と親しみ、自然を畏れ、自然を愛している。まじない・迷信など信仰深いが、それは他者を否定するためのものではない。当時、周りの国と鎖国しているが、それも欲のない、自助の精神から来るもののようだ。
インドを旅していると、チベタンに出会う機会がたびたびあるが、彼らは本当に優秀な人たちという印象を受けた。語学堪能で、その土地になじんでいるようであったが、誇り高く自分たちの文化を守っているようでもあった。商売でも、成功している、という印象を何度も持った。
それらの人達、チベタン達が、ほんの60年余り前まで、鎖国されたあのチベットの内側だけで暮らしていたのである。
近代化を拒み、自分たちの独自の生活を守り通していたのである。
チベタン、彼らのあのエネルギーがすべて、国の内側に、そして自己の内面に向かっていた、その当時のチベットの魅力が、この本の中に詰まっている。
本当に大切なこととは何だろうか?とたくさん考えさせられる一冊。
中国に支配される以前の、この当時のチベットを訪れてみたい。