- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041075456
作品紹介・あらすじ
山で遭難したシェフの潮田を助けてくれたのは、無愛想な猟師・大高だった。オーナーの意向でジビエ料理を出していたもののうまくいかない潮田は、大高の仕留めた獲物を店で出せるように交渉するが――。
感想・レビュー・書評
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大自然と共生する生活。
都会暮しの軟弱な私は
耐えられないきびしい
世界だと思いますが、
人ごみから解放されて
猟犬と共に山をめぐる
日々は、
自律神経系にとっても
良さそうです♪
本作に登場する猟犬は
ポインターと北海道犬。
その表情や動きの描写
がとてもリアルで、
彼らの息づかいを間近
に感じました。
ところで個体数管理や
鳥獣被害を防ぐために、
捕獲した動物の多くは
焼却処分されていると
いう実態。
できればジビエとして
もっと流通してほしい
と思います。
そういえば、
昨年秋にロッテリアが
鹿肉バーガーを全国で
限定販売。
今後の取組みにも期待
しています♪詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
表紙のタイトルと絵が、キャンプを楽しむ二人に見えたけど、
内容は、ジビエ料理と、野生動物の狩猟の話と、
そして、やっぱりミステリー。
「いただきます」
とは、生き物の命を頂くこと。
生きるために必要で、感謝して食する事。
自分でさばかなくても、誰かが大変な作業をしていることに、感謝しなければ。
近年、山の自然が侵され、エサを求めて熊や鹿などが人間の居住区にたくさん出没して、ニュースになっている。
だいぶ昔は、熊鍋や獅子鍋など山の生活には当たり前にあった。
増えすぎては駆除し、少なくなると保護し、人間の都合で立場の変わる野生動物たち。
「山には山のルールがある」、はしみじみ納得。
フレンチシェフと狩猟者の出会いから心の交流に、
2匹のワンちゃんがいいスパイスを加えている。
ちょっとスリリングで、暖かい話だった。 -
心地良い時間だった。
狩猟もジビエ料理も未知の世界。その世界が静かに柔らかく綴られていく物語は今の気分にぴったり。心地良い時間を味わえた。
人って常に命をいただいて生きているっていうこと。
当たり前に食しているものの裏側を見つめてみること。今一度心に大切に留めたい。
ちょっとしたミステリを絡ませながら、心の葛藤と共に育まれていくシェフ、ハンターの二人の友情、そして一歩先を見つめていく姿も良かった。
そして眺めるたびに心がホッと落ち着く、二人の時間が溢れ出ているこの表紙カバーが何よりも好き。 -
近藤史恵さんの本では、ちょっと変わったお料理と出会える。さらっとさりげなく、でも美味しそうに描かれているので、どんな料理なんだろう?!と創造力をかきたてられるし食べてみたいと思う。
物語はフレンチの料理人と猟師の出会いから始まる。
料理人の店はあんまり流行っていないようだし、いい加減なシェフなのかな?と思わせるようなスタートなのに、実は真摯に料理と向き合っていて、たぶんかなり腕もよいことが分かってくる。
猟師はいかにも世捨て人という感じで、どういった背景の持ち主なのか、こちらも読み進むほどに興味をそそられていく。
ミステリな要素も持ちつつ、ラストは希望に繋がる感じで良かった。
ジビエにはあまり興味はないけれど、このレストランには行ってみたい。 -
陽のあたる縁側に、何度綿を打ち直してもすぐにぺたんとなってしまう縞木綿の座布団を敷いて、その上に座る一人の老女。庭の奥には亡夫が丹精した蜜柑の木に木守めいて残る黄金色の果実に一羽の鵯がきて止まり、さかんに実をついばんでいる。手にした湯飲み茶碗に、斜めになった茶柱がそこだけ陽を浴びて揺らめいている。そんな光景が目に浮かぶ表題で、字面だけで想像するなら随筆か何かと取り違えそうだ。
かな書きの題名だけを読んだとき、ふとそんなことを想像した。近頃では書店も減って、新刊の表紙を目にすることもなくなった。まして、ベストセラーででもなければ平積み、面陳という形で、表紙が目に留まることもない。本を手にして初めて、表紙に描かれたマウンテン・パーカを着込んだ男二人が、ワイングラス片手に季節外れのキャンプを楽しんでいる姿が目に留まる。手前にいるのはポインターか。枯れ木に吊るしたランタンはおしゃれだが、焚火でもバーベキューコンロでもなく七輪というのが微妙だ。
『タルト・タタンの夢』や『ときどき旅に出るカフェ』で料理とミステリをうまく融合させた独特の路線を行く近藤史恵の新作である。例に挙げた二作が連作短編集で、いわばアラカルトだとすると、今回はやや短いものの長篇のフル・コース。野性的な男とどちらかといえば線の細い男性、それに生きのいい女性という三人の組み合わせは『タルト・タタン』を思わせる。今回のテーマは近頃何かと話題になっている「ジビエ」である。
腕はいいのだが、経営手腕に欠けているのか、店をつぶしてばかりいるシェフの潮田は三十五歳。今は女性オーナーにジビエ料理を食べさせるという契約で、店を一軒任されている。野鳥を撃ちに山に入った潮田は道に迷い、遭難しかけたところを猟師の大高に救われる。その日の獲物を解体する大高の手際に魅せられた潮田は、それ以降大高が仕留めた野鳥を引き取ることになる。
フランスなどでは季節になると供されるジビエだが、日本では害獣駆除という目的が先になって名前が知られるようになったようだ。野生の鹿や猪を、こちらの都合で勝手に害獣扱いするのはいささか気になるところだが、山間で農業をしている友人がいて、近くのカフェでお茶しているとき、林から鹿が出てきたことがある。ふだんは優しい男なのに、鹿の害を口にする口吻の激しさに驚いたことがある。町の人間には見えていない部分があるのだ。
店を軌道に乗せるため、潮田がどんな料理を作るのか、という愉しみが一つ。そこに、潮田が泊めてもらった大高の山の家が放火に遭うという事件が起こる。人づきあいを避け、猟犬と山に籠る大高にはどんな経緯があるのか、という興味が話を引っ張る。二人の男はほぼ同年輩で、まだ不惑には遠い。自分の生き方に対する悩みもあるし、他者との軋轢もある。対照的な男二人の出会いは二人の成長にどう影響を与えるのだろうか。
閑話休題、少し前に中島敦の『山月記』がネットで話題を呼んだことがある。長年にわたり教科書教材たり続ける理由は、全文転載可能な短篇であり、代表作であることの他に、人を虎に変えるほどの執心を戒める奇譚を「臆病な自尊心、尊大な羞恥心」という作家のアイデンティティの核となる主題を絡めることで普遍的な主題に再構成した工夫にあるだろう。
超エリートの主人公が己の才を恃み、職を辞して詩作に励むが、困窮し下級官吏と成り果て、遂に発狂し山野を馳せるうちに虎に変身を遂げる。偶々出会った旧友にその苦衷を打ち明けるという話だ。自分の才能を恃んで次第に生活が苦しくなっているという点で潮田に、人と交わらず独り山に籠る点で大高に似ている。とかく、若いうちは自分の生き方にこだわるあまり、周りが見えず独りよがりに執して身動きが取れなくなるものだ。
潮田は調理学校では自分の方がずっと成績がよかったはずなのに、あまりぱっとしなかった同期のシェフが大きな店を成功させていることに嫉妬する。このあたりの落ち着かない気持ちには覚えがある。優等生の陥りやすいところで、師匠のお覚えめでたく何でもそつなくこなすのは得手だが、さて、自分独りになった時、何ができるかというとそれはまた別の問題である。むしろ、しくじって頭を打った者の方が周りをよく見て失敗からの脱出法も知っているものだ。
大高の車が当て逃げされたり、友人の猟師が銃を盗まれたり、と不穏な空気が漂い出すあたりで話は一挙にサスペンスが高まる。動物の命を奪うという点で、猟師は環境保護を訴える運動家には目の敵にされる。ジビエ料理を看板に揚げるレストランのシェフも同様だ。しかし、一方では作物を荒らす鹿や猪、鳥を駆除してほしいという近隣の農家の願いもある。また、せっかく仕留めた獲物も、衛生管理の点で許可を得ていない施設で解体したものは店で提供できないなどという縛りもある。
ミステリではないが、サスペンス風味を利かせて読者を引っ張ることで、他の生き物の命をいただくジビエ料理を切り口に、料理、環境保護、農業、狩猟といった各種の間に横たわる確執をどう考えればいいのか、というヒントを与えてくれる。ひとくちに解決できる問題などはありはしない。その中で、他者との間に生じる軋轢を逃げることなく受け止め、誠実に対処してゆくよりほかにやれることはないだろう。二人の青年の交流がその糸口となる予感がする。
フランス語をあしらったメニューに見立てた目次は今回も健在。第一章「夏の猪」に始まり、第十一章「ヒヨドリのロースト みかんのソース」に至るまで、全十一品。どれも実際に口にしてみたい料理ばかり。それにもう一つ、愛犬家の近藤らしく、潮田の飼うイングリッシュポインターの雌犬ピリカと大高の北海道犬のマタベーが人間たちに負けずに活躍する。頼りない潮田ではあるが、ピリカを案じる気持ちに嘘はない。犬に限らず動物と暮らす者として、うんうん、そうだよね、と何度もうなずかされた。シリーズ化できそうな気もするが、ジビエに限ると難しいか。とまれ続編を期待したい。 -
ジビエ料理を安定して出したいと思っていたシェフが猟師の大高と出会い、お互いに成長する話。自分のポリシーだと思っていたようなことでも、新しい考え方を知って違うとらえ方や価値観になることがある。そんな柔軟さを持っていたいと思う。
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山で遭難していたところを助ける形で出会った料理人の潮田と猟師の大高。ミステリー要素に誘われ、先が気になり一気に読み進める。
狩猟を通して‘命をいただく’ということを考えさせられた。そして生き方やポリシーを問われる物語でもあった。料理人と猟師の他にもオーナーやサービス係の若葉、料理学校の同級生など、それぞれ自分が選択した自分らしい道を生きている。生き方は人それぞれだし、それを選ぶのは本人の自由なんだと改めて思った。
人生を複雑にしたくない大高の考えも分かる。それもいいと思う。でも人と関わったり行動を起こすことで何かが好転することもある。それもまた素敵だなと思う。
それにしても、近藤史恵さんは美味しいものをよく知っているなあと感心する。『パ・マルシリーズ』然り、『ときどき旅に出るカフェ』然り。聞いたこともない食べ物も登場するが、読んでいくうちにその場面にぴったりの一皿だと納得する。そして、とにかく美味しそう。今作でも読みながらジビエのお口に・・・ -
最後まで読むとタイトルがしみじみする。現代の都会の暮らしへの疑問、現代食に対する問題提起、いろんな価値観における過激派となってしまって耳が塞がれてしまうこと、インターネットでの女性の盗撮共有、害獣問題のことなど、作者の問題意識が見える作品だった。ミステリ要素も美食要素もあり、好み。