今日も一日きみを見てた (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
4.24
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本棚登録 : 1162
感想 : 92
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041057018

作品紹介・あらすじ

どこか飼い主に似たアメショーのトト。このやわらかくてあたたかい、ちいさな生きものの行動のいちいちに目をみはり、トイレの掃除をし、病院に連れていき、駆けずりまわって遊び相手をし、薬を飲ませ、いっしょに眠り、もしこの子がいなくなったらどうしようと家の人と話しては涙ぐむ日々――愛猫へのやさしいまなざしが、誰かを愛しく思うすべての人の心を揺さぶる、感涙のフォトエッセイ。

感想・レビュー・書評

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  • ひょんなことから角田さんちにやって来たトト、犬の要素も満載で可愛い。
    トトは2010年1月6日生まれのアメショー♀。
    心臓に問題があるのに長生きで今はもうおばあさんだ。

    「トトが角田さんを一日見てた」でも「角田さんがトトを一日見てた」でも成立するエッセイです。

    マンガやドラマなどに時々出てくる「捨て猫」を角田さんは見たことがないそうだ。
    だけど捨て猫には遭遇したくないと思っている。
    理由は、そのままにできるわけがなく、連れ帰ってしまうに違いないから。

    実は、角田さんは犬が大好きなんだそうです。
    犬派か猫派かと問いかけられたら「どちらも好き」が本音だが、大人の対応で話に加わっているそう。
    私は犬猫を飼えない住居暮らしが長かったので鳥派だけど、犬も猫もパンダも好きだ。
    もし「犬派か猫派か」と問われたら「どちらも好き」だが、(飼ったことがある)「鳥派」と答えることにしようと思う。

    角田さんが、「至福の時」を感じたのは、
    トトが自分の脇の間に入ってきて、腕の付け根に頭を載せて寝息をたてて熟睡している時。
    トトの顔を見て、寝息を聞いて「楽しい夢を見てね」と願っているなんて、想像したこともなかったと思った時。

    角田さんとトトが見つめ合っている写真がある。
    何も言わなくてもお互い信頼しきっている雰囲気。
    この写真からも至福の時が伝わって来ます。

    文中によく出てくる「香箱座り」という言葉。
    猫好きには常識なのでしょうが、これまで聞いたことがなく、この本で初めて知りました。

    続編『明日も一日きみを見てる』の刊行が待ち遠しいが、まだ先になりそうなのでWebで読もうと思います。
    https://yaseijidainote.kadobun.jp/n/nf6dd2b694886

  •  ネコ好きの作家角田光代さんのエッセイ。漫画家の西原理恵子さんからもらったアメリカンショートヘアの雌猫トトとの暮らしぶりを書いている。ネコを飼ったことがる人なら、「あるある」と納得できることが多々出てくる。ネコ愛にあふれた一冊だ。

     あと最後の方に、初対面の西原さんが角田さんに、「ネコ、要らない?」と声をかけた理由が明かされている。病んだ人(?)を身近で見てきた西原さんらしいなあ。

  • 2010.4.19 著者のおうちに猫のトトが、やってきた。
    文句無しにかわいい。
    トトと暮らし始めてから、少しずつ変わっていく著者。トトの存在が著者のなかで少しずつ変わっていくのがわかった。
    人を幸せにすることに、ものすごい威力を発揮するトト。
    エッセイを通じて、私もトトと過ごす、擬似体験ができました、幸せな気持ちになれた時間でした

  • 泣いた。でも別に悲しい話は一切無い。精神的に疲れてる時に、意外な人から親切にされて泣きそうになる気持ちを大きくした感じ、胸にくる。人から猫への静かな愛情が丁寧に書かれていて素晴らしかった。対象が猫じゃなかったとしても共感できるかもしれない。

    トトちゃん(猫)が小さい時に家にきて、病院に行って、おもちゃで遊んで、トイレ騒動があって、人に預かってもらって、とか猫との暮らしのエッセイ。猫はもちろん可愛い。

    でもこの本で好きなのは、著者が知り合いに、おかあさんに甘えてるのね、と言われた時「飼い主です」と訂正したくなるとか、家族だとは思うけど・・、と口ごもってしまうとか、心の中では一緒にいてくれて嬉しい、幸せ、もう何もいらない、みたいになるのに猫は猫であるとも思ってるところが読んでいてすごくいい。
    ここで、猫の‘’奴隷‘’と書いちゃうエッセイだったらきっと買ってない。

    著者自身の子供の頃のエピソードも驚きがあってよかった。トイレを我慢して我慢して、具合が悪くなってオヤツのココアを吐いてしまう。そして母親に「我慢してたら上から出ちゃうのよ」と叱られる話。一瞬マジか、、と私も信じるとこだった。

    最後にどうしてもらえることになったのか、が分かってよかった。仔猫をホイホイあげちゃうなんてー、と最初の方で薄っすら幻滅しかけたけど、読んでるうちに忘れていた。のがキレイに回収されてすっきりした。

    初めて読んだ時、もう涙が止まらなかった。なのでちょっといったん落ち着こう、たぶん、自分のそばにいる犬猫と重ね合わせ過ぎているんだろう、と思って一気に読まず毎日少しずつ読むことにした。
    それで著者の話に集中して読んでも、やっぱりエピソードの中で毎回のようにぐっときてしまうので、これは良い本なんだと思う。

  • NHKオンデマンド | ネコメンタリー 猫も、杓子(しゃくし)も。 「角田光代とトト」
    https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2020106835SA000/

    トトほほ日記 角田光代
    http://totohoho.kadobun.jp/

    「今日も一日きみを見てた」 角田 光代[角川文庫] - KADOKAWA
    https://www.kadokawa.co.jp/product/321702000602/

  • 角田さんが飼っている猫のトトについて綴った、優しい優しいフォトエッセイ。

    ペット愛に溢れていて個人的には大好きだけど、恐らく動物を飼ったことがない人には理解しがたいので★4で。

    私も初めて犬を飼い始めてからもうすぐで2年になるから、ペットに対するあるある、共感の嵐。犬猫の飼い主の皆さまは角田さんと楽しくお話してる気分になるかもしれない。

    最後のおまけ短編は、ほんとに短いのに泣きそうになった。命あるものは必ず死を迎える。
    その長さに関わらず、共に過ごす時間が充実し、お互いが幸せであれたらいいなと思う。

  • 猫好きなら共感の雨あられを浴びること間違いなしの猫エッセイ。もうかれこれAC(After Cat)歴は四半世紀を超えたが、猫愛は止まることを知らない...。我が家の猫ちゃんは姉妹だが、性格も甘え方も全然違う。そこにいるのが当たり前の存在なんですよね。

  • 出だしから泣きそうでした。何がって、トトがあまりに可愛いのと、角田さんの想いが純粋過ぎるのとで。お腹や背中から快楽物質が放たれている、という表現には笑いました。分かるなぁ
    続巻も楽しみです!

  • 角田光代さんの愛猫トトとの暮らしを綴った猫エッセイ。写真もかわいい。
    「人生で初めて猫を飼う」という私と同じ状況だからか、猫という生き物に対する純粋な驚きという面で、共感できることだらけだった。私もBC(Before Cat)とAC(After Cat)で自分の世界がすっかり変わったものな。
    うちの猫もアメショだけど、トトちゃんみたいに奥ゆかしくも大人しくも無いな〜
    やはり、猫も、猫それぞれなんだな〜と思った。

  • 笑ったところ、泣いたところ、好きな表現の引用

    夜はよく私の隣にきて寝ているのだが、あるとき、寝返りを打ったトトがそのまま床に落ちるのを目撃してしまった。しかも両前脚で空をかきながら落ちていったのである。テーブルで寝ていて同じように落ちたこともある。私たちのほうが先に気づいて、落ちる寸前で支えたことも。猫はもっと俊敏な生きものだとばかり思っていた。

    トトはつまるところ、私の人生にはじめてかかわった猫なのである。

    トトがきてまだ一年もたっていないし、トトはめったに鳴かず音をたてることもないのに、トトのいない家は不気味なくらい静かだった。その不気味に静かな家で、私と夫は、うちにきたのがトトでよかった、本当によかった、運動神経が鈍くて心臓が悪くてスポイトを隠したりして、あんなにちいさな声で怒るあの猫で本当によかったと、まったく阿呆のようにくりかえしくりかえし話したのである。

    「犬のような女」「猫のような女」という表現が使われるとき、前者は従順で愛情深く、後者はわがままで人をふりまわす、という意味であることが多いように思う。若き日、私は猫の形容を使われたいと心から願う、犬のような人間だった。

    根拠も必要もない心配に、とらわれることもある。バンジージャンプのときに脚に結わえるゴムみたいなものが、切れたらどうしよう、と私は急激に不安になる。落下していく感覚が、やけに生々しく体じゅうに広がる。
    けれど私はバンジージャンプをする予定もないし、しろ、と言われてもぜったいにやらない。だから心配することなど何ひとつないのに、一度思い浮かべてしまうと、想像し、心配せずにはいられない。

    私はこの先たぶん、どんどん心配性になっていくだろう。愛するものができるということは、こんなにもこわいあれこれが増えるということだし、こんなにも非理性的な想像力が鍛えられることであると、私はふかふかのちいさな生きものに、日々教わっている。

    こちらの言っていることも、トトはたいていわかってやっているようである。「ごはん」は確実に理解していて、ひゅーっと近くにきて額を脚にこすりつける。おいで、と呼ばれるのも、理解している。「待って」も、「ごめん」も理解しているように思う。「それはやっちゃだめ」は完璧に理解していて、相手にされたいときに、わざとこちらの顔を見ながらやる。

    ごはんを食べたのに、もっと食べたくて、でも鳴いて要求することはせず、じっとごはん処に座って、ひもじい表情を作り、私が気づくまでこちらを見ているいじましいトトの姿は、まるで自分を見ているかのようだし、

    ようやく毛の乾いたトトに近づき、顔を押し当てると、いつものもふもふ感に最上級をつけたくなるほどのすべらかさ。そして、うちにやってきたころのような清潔で甘やかないいにおいがする。「あー」とため息が出る。夫もトトの背や腹に顔を埋め「あー」と言う。交互ににおいを嗅いでは「あー」「あー」、と呆けたようになる。阿呆にならざるを得ないような触感とにおいなのだ。

    ある取材で、飼い猫はあなたにとってなんであるかと訊かれ、なかなか言葉が出てこなかった。家族だけれど……、と口ごもる、その空白のなかにトトはいる。その空白は、人間は入れない領域なのだと思う。

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著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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