記者たちは海に向かった 津波と放射能と福島民友新聞 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (468ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041049570

作品紹介・あらすじ

2011年3月11日、一人の新聞記者が死んだ。福島民友新聞記者、熊田由貴生、享年24。福島県南相馬市で津波の最前線で取材をしていた熊田記者は、自分の命と引きかえに地元の人間の命を救った。その死は、仲間に衝撃を与えた。それは、ほかの記者たちも同じように津波を撮るべく海に向かい、そして、生命の危機に陥っていたからである。なかには目の前で津波に呑まれる人を救うことができなかった記者もいた。熊田記者の「死」は、生き残った記者たちに哀しみと傷痕を残した。取材の最前線でなぜ記者は、死んだのか。そして、その死は、なぜ仲間たちに負い目とトラウマを残したのか。非常用発電機のトラブルで新聞が発行できない崖っ淵に立たされ、さらには放射能汚染で支局も販売店も避難を余儀なくされた福島民友新聞を舞台に繰り広げられた新聞人たちの壮絶な闘い。「命」とは何か、「新聞」とは何か、を問う魂が震えるノンフィクション――。

感想・レビュー・書評

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  • 門田隆将『記者たちは海に向かった 津波と放射能と福島民友新聞』角川文庫。

    門田隆将の描くノンフィクションは人物描写の上手さ故、登場人物の息遣いを感じると共に様々な風景やシーンを容易に思い描くことが出来る。あの未曾有の大災害、東日本大震災と真っ向から向き合った地方新聞の記者たちの闘う姿を描いた本作も、まるで映画を観るかのような臨場感のあるノンフィクションであった。

    『紙齢をつなぐ』ため、何としてでも多くの人びとに情報を伝えるという新聞社の使命のもと、命懸けで大震災の渦中に飛び込んだ記者たちの姿…救えなかった命、守れなかった命…

    余りにも壮絶な闘いと結末に、目頭が熱くなった。

    福島第一原発事故の被害が大き過ぎたためか、福島の沿岸部の津波被害は余り知られていないように思う。巻頭に収録されている記者たちが命懸けで撮影した被災地の写真は初めて見るものであった。

  • 東日本大震災から10年が経とうとした今、改めて沢山の人に読んで欲しい本です。震災後でしたが、福島県に住んでいた時の光景が思い出されます。

  • 記事を毎日提供しなければならない新聞記者であると同時に1人の人間であるが故の苦悩。
    災害時にはこの両者の行動は相反するものとなり、そこでの経験が葛藤を生んでしまう。特に地域に根ざしている地方新聞だからこそ、そのスケールは等身大である。
    しかし、行動や結末は違えど、1秒1秒が運命を分ける瞬間に各々が導き出した答えは決して間違いではないと感じた。誇りを持ってこれからも活躍して頂きたい。

  • 東日本大震災で大きな被害を受けた福島県に本社を置く福島民友新聞。地震、津波、原発災害と立て続けに大きな被害が出た地域の地方新聞は停電や原発災害による避難指示で新聞の発行さえも危ぶまれる状況となりました。そんな逆境の中、地震翌日の3月12日に地震被害を伝える福島民友新聞は発刊され、しかも驚くことに既に住民の大半が避難した地域に配達までされました。避難指示が解除となったとき、自宅に戻った住民の方が目にしたのは、被災翌日に自宅の郵便受けに配達されていた3月12日付の福島民友新聞だったのです。3月12日付の朝刊を配達するに至るまで、記者やデスク、そして配達員の方がどのように”あの日”を行動したのかを追うノンフィクションです。当たり前のように私たちの手許に毎日届く新聞ですが、それを支える人たちの心意気が伝わってくるノンフィクションでした。

  • 「記録者であり、同時に人間であること」の難しさ…新聞記者の苦悩、葛藤が痛いほど伝わってくる。あとがきにある後日譚も胸を打った。

  • 新聞記者とはなんと因果な商売なのだとつくづく思いました。『何かを伝えようとする使命と責任、人々と触れ合うことで逆に生じてしまう軋轢や重荷、人間の喜びや哀しみと向き合う覚悟……そこにあるのは、一体、何なのだろうか。』(414ページ)もうすぐ震災から9年、門田隆将さんのこの本に出会えて良かった。

  • 〈私たち福島県民にとって、これまでに経験したことがない、想像を絶する揺れだった〉


    2011年3月11日。東日本大震災。最初の激震のあと、当時福島県浜通り地方に点在する福島民友新聞社の支局に勤務していた記者たちは取材のために海に向かった。相馬、鹿島、浪江、小名浜……漁港や海岸に到着した彼らに想像を絶する大津波が襲いかかり、ひとりの若い記者が消息を絶った――。

    記者たちの目の前で、大津波は港を、町を、人々を次々に飲み込んでいった。そして記者自身も、支局をも。
    その惨禍を生き残った記者と、帰ってくることができなかった記者。誰かを救うことができた記者と、救うことができなかった記者。彼らの明暗を分けたものは何だったのか。

    一方、福島県中通り地方、県庁所在地でもある福島市内にある福島民友新聞社本社は、地震による停電で、新聞記事を作成するためのシステムも、各地に散る記者たちから文章データや画像を受け取るネットワークも失っていた。
    支局と本社の間を、人を直接行き来させることでつなごうとしても、土砂崩れや地割れによって寸断されている道路も多々ある。
    3月12日の朝刊の発行が危ぶまれる、非常事態であった。

    “紙齢をつなぐ――”
    紙齢とは、新聞が創刊以来出し続けている通産の号数を表すものである。これをつなぐことは、新聞人の使命ともいうべきものである。

    大震災、津波、原発事故と続く複合災害によって、浜通り地方では、新聞社支局、新聞販売店、そして読者が被災者となり、販売地域が消えるという前代未聞の事態に陥った。地方紙の中でも有数の存在である、創刊百年を超える福島民友新聞社。その存続の危機と、難局に立ち向かった新聞人たち。
    しかし記者はである前に人間だった。誰かの息子であり、夫であり、父親であり、友人であった。そして最後まで記者だった。これからも、記者であり続ける。
    編集者、配達員、その家族たちの姿を追うノンフィクション。

  • 福島民友新聞記者たちの怒濤の記録。
    津波で人の命を救って亡くなった記者、おじいさんと孫を救えず今も罪悪感に悩まされる記者。生き残った人たちにも震災は今も苦しめ続ける。震災を生き延びても、その後亡くなった記者もいる。紙齢を絶やさないという執念と何が起きたか伝えねばならない使命感のすさまじさ。16、17章は目頭が熱くなるのをおさえられなかった。
    おじいさんと孫を救えず苦しんでいる記者が今も続けておられたらいいのだが。福島民友新聞の記事を読んでみたい。
    本書の読後は背筋を伸ばさずにはいられない。

  • 購入から読み始めるまで一年以上かかりました。
    何が正しいのかなんて誰にもわからないことだけれど、極限状態におかれた時に、仕事に対する思いと、生きること、生き続けることの大切さと難しさなど考えることなんてできなくて、本能的に動いてしまう、というのが人なのだろうなとつくづく思います。ただ、人間も自然の中に生きるものなので、自然の脅威と素晴らしさを感度よく感じられるような生き方をしていたいと思いを新たにしました。

    東日本大震災に関連した本をきちんと読むのは『紙つなげ』に続いておそらく2冊目。手元に残しておきたい本です。

  • メインの登場人物で、東日本大震災の津波で亡くなった福島民友新聞社の熊田由貴生さんは、私の高校の後輩でした。
    今まで知らなかったことが恥ずかしいし、こんな素晴らしい後輩がいることを誇りに思います。

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著者プロフィール

作家、ジャーナリスト。1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社入社。『週刊新潮』編集部記者、デスク、次長、副部長を経て2008年独立。『この命、義に捧ぐ─台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、後に角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。主な著書に『死の淵を見た男─吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫)、『日本、遥かなり─エルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」』(PHP研究所)、『なぜ君は絶望と闘えたのか─本村洋の3300日』(新潮文庫)、『甲子園への遺言』(講談社文庫)、『汝、ふたつの故国に殉ず』(KADOKAWA)、『疫病2020』『新聞という病』(ともに産経新聞出版)、『新・階級闘争論』(ワック)など。

「2022年 『“安倍後”を襲う日本という病 マスコミと警察の劣化、極まれり!』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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