- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041043189
作品紹介・あらすじ
この本は、オレ、つまり、テリー伊藤が初めて明かす、自伝的ノンフィクションです。
最初の舞台は、オレを生み育てた街、築地。小学2年生のとき、初めてテレビが伊藤家にやってきた日からオレの心に住み続けたテレビという愛しき怪物。
築地小学校の伊藤輝夫君が大人になってテレビの国に飛び込むまでの間に、オレの人生を変えた人たちとの出会いがあった。
昭和24年生まれのオレは「戦争を知らない子供たち」だけれど、まだ東京の街のあちこちに戦争の傷跡が残っているなかで育った。
戦後10年がたち、20年がたち、復興と経済成長が進み「もはや戦後ではない」と言われるようになっていったとはいえ、だれもが大なり小なり不幸を抱えて生きていた昭和という時代。
でもそれは、みんなが明日を信じて生きていた時代だった。 <中略>
オレは、この本を、40年前に出会った1人の女性、渋谷のファッションヘルスで働いていた片腕の美少女、マリンちゃんに捧げたい。
彼女こそ、オレの人生をもっとも大きく変えてくれた天使なのだ。 (「プロローグ」より)
感想・レビュー・書評
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テリーさんの半生記である。かれは東京の銀座に接する下町で育った。親は卵焼きで生計を立てていた。両親ともに働き者である。その中でテリーさんは、すなおにすくすく育った。一つの特徴は女の子に目がなかったことで、小学校でも美少女、転校してきた美少女に憧れた。実はぼくとテリーさんは同い年で、時代的にもたくさん共通のものを感じるし、美少女の家を訪ねていったというのも共通する。ぼくは何人かで行ったが、テリーさんは最後は一人で出し抜いて行ったりしている。なにしろ、女の子がすきで、それが大きくなってもやまず、たくさんの彼女をつくる。ところが、当時の女の子というのは、「22歳の別れ」という歌に代表されるように、つきあう以上最後は結婚だった。だから、いつまでもふらふらしているテリーさんは振られっぱなし。これもよくわかる。小さいころ、近所の家にテレビが入るとみんなで見に行く。かれの家などはテレビを通路に面したところに置いていたそうで、それはスティタスを示すと同時に、助け合いの精神でもあった。ぼくのところも、近くのいとこの家へ見せてもらいにいった。お風呂も入りに来た人があったほどだ。そうこうするうちにテリーさんも大きくなり、テレビ局で働きたいという夢を持った。それが現在に繋がるのだが、テレビ局ではかなりきわものの番組をつくっている。今のテリーさんが想像できないほどだ。タイトルの「片腕少女」は、事故で片腕を失った少女がけなげに風俗で働き、テリーさんは彼女を救いたいと思い、何度か尋ね、ようやく結ばれそうになったのに、彼女は突然姿をくらましてしまった。こんなふうに、本書はテリーさんの淡い女性遍歴の物語でもある。
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戦後の築地の変遷や、テリー伊藤の豪華ではないが比較的余裕のある学生時代の暮らしぶり
人生の転機になった学生運動と左目の怪我による斜視
またテレビの制作会社で働き始め、製作にのめりこむ姿などがうかがえて興味深い