オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA/角川書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041041079

作品紹介・あらすじ

「オレは結局スプーン曲げちゃうよ。本音は曲げたくないけど、みんなの期待がわかるから」
“超能力者”はふてくされたように言った。

「わからないから研究したい」
科学者たちは当然のように答えた。

「僕たちはイロモノですから」
“エスパー”は即答した。

職業=超能力者。ブームは消えても、彼らは消えてはいない。
超常現象、その議論は「信じる・信じない」という水掛け論に終始していた。
不毛な立場を超え、ドキュメンタリー監督がエスパー、超心理学者、陰陽師、メンタリスト等に直撃!! 

数年ごとに起きるオカルト・スピリチュアルブーム。繰り返される真偽論争。何年経っても進歩なきように見える世界。
だが、ほぼフェイクだと思いながらも、人は目をそらさずに来た。
否定しつつも、多くの人が惹かれ続ける不可思議な現象。
その解明に挑んだ類書なきルポ。
多くの作家を魅了した、オカルト探索の名作が、ついに文庫化!!

感想・レビュー・書評

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  • オカルトと称されるモノも、量子力学や物理法則を駆使する事で真実のカタチが見えてくる可能性があるかもしれない。しかし、それら全てのカタチが100%判明した世の中は味気ない気がしてならない。

    『多くを見せ過ぎると、見せてない事になる。』ドキュメンタリー映画メットガラに出演した巨匠ウォンカーワァイの言葉である。追求すれば、するほどに、オカルトは真の姿を見せようとしないのか?

    森達也も本書でオカルトを追求しているが、その境地に辿り着こうとしてないのか?または出来なかったのか?オカルト好きとしては興味深い内容だった。

  • ノンフィクション作家・森達也が超能力の謎に挑んだ『職業欄はエスパー』(単行本時のタイトルは『スプーン』)は、たいそう面白い作品だった。

    本書は、その『職業欄はエスパー』の続編。
    続編が出ていたとは知らなかった。先日読んだ澤村伊智の小説『予言の島』の巻末に、参考文献の一冊として挙げられていたので知ったのだ。

    『職業欄はエスパー』は、タイトルどおり超能力に的を絞った作品で、3人の「超能力者」(清田益章・秋山眞人・堤裕司)が主人公となった。

    それに対して、本書はタイトルが示すとおりオカルト全般を扱っており、正編よりも総花的な内容になっている。
    正編の主人公3人も再登場するし、超能力もテーマの一つとして俎上に載るが、それ以外に心霊現象や臨死体験、UFOなどが各回のテーマとなる。

    森達也のスタンスは、正編・続編とも変わらない。オカルトを肯定するでも否定するでもなく、その狭間のグレイゾーンを見つめつづけるスタンスなのである。

    それはオカルトに限らず、ノンフィクション作家としての森の基本スタイルでもある。
    善悪二元論によりかかる思考停止を排し、一方の側に立つのではなく、どちらの側(本書の場合はオカルト否定派と肯定派)に対してもニュートラルな姿勢で臨もうとするのだ。

    また、森のノンフィクションは、取材過程のトラブルや自らの迷いなどのネガティブな要素も、すべて赤裸々に描きこんでしまうところに大きな特徴がある。本書もしかり。その赤裸々さこそが面白さにつながっている。

    オカルト否定派・肯定派のどちらが読んでも面白い本だが、内容が総花的になった分だけ『職業欄はエスパー』より全体の印象が薄いことは否めない。なので、星一つ減点。

  • オカルト的な現象は確かに存在すると思いつつ、それでも信じきれない・なんだかよく分からないと思ってしまう感じめちゃくちゃ分かるなあ。
    霊的な存在や超能力の存在が科学的に証明されたとしても、この掴みどころのなさは消えない気がする。そこからもう一歩進んで技術的に自由にコントロール出来るようになった時にようやく確かにあるものとして実感出来るんだと思う

  • オカルトについて、賛成でも反対でもないニュートラルな視線から改めて見つめ直した森氏のルポルタージュ。
    世の中なんでもかんでも黒か白かみたいな現代において、森氏のニュートラルな視線は冷静かつ論理的で読んでいて安心します。

    山羊羊効果についての考察も面白いし、日本心霊科学協会などの団体のリーダーに直接インタビューする場面はなかなか知的スリルを味わえます。
    てゆうかそんな公益財団法人があるなんて!
    他にも森氏本人が体験した説明のつかない事象など…

    子供の頃超常現象にハマっていろんな本読んだ身としてはこの本でまた考えをアップデートできて読んでる間ワクワクしてとても楽しかったです。

  • 森達也氏の著作は何冊か読んでいるがどれも面白い。

    どんなテーマにおいても客観性、もしくは否定的な問いかけを常に持ち続ける姿勢に共感と信頼を覚える。

    そして今回の本のテーマは「オカルト」

    私自身は超能力、霊、UFO、等々については信じているわけでも信じていないわけでもない。

    ただ、どんな現象も可能性はあると思っている。

    この本ではまさに自分自身の疑問をそのまま本にしてくれたようで読んでいてとても興奮しました。

    以前に読んだ「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」もうそうだったがこの本でも最終的に明確な答えにたどり着くわけではない。

    でも、読み終わった時に何らかの真理に少しだけ触れたような…気がする。

    面白くて一気に読んでしまいました。

  • いつものこの人通り、対象の周りをグルグル回って答えは出ない。でもだからこそオカルトという素材はピッタリハマる。最後の方に登場するメンタリストは、著者の一方のメインテーマでもあるメディアとの関係で捉えても面白そうだと思うけど、どうなんだろ?

  • 森達也の視点はいつも刺激的であり、ラディカルである。

    「なんだかよくわからない」と、あえて白黒はっきりつけずに、わからないことを受け止めることの大切さ。

    世界は、わからないことに満ちている。だから面白い。

  • ゴーストライター騒動で日本中の注目を集めた佐村河内守をとらえたドキュメンタリー映画「FAKE」が素晴らしく面白かった。至上のエンタメ作品として楽しんだ。改めて森達也が気になり「オカルト」を読んだ。
    本書はいわゆる超常現象に密着したルポタージュ作品で、恐山のイタコ、スプーン曲げ少年、陰陽師、UFO観測会、臨死体験者、霊能力者など、「いかがわしい人々」のインタビューと、彼や彼女達との関わりの中で森達也自身が体験する「不思議な出来事」のレポートで構成されている。取材中に起こる心霊体験などは読んでいて思わずゾッとする。森達也が書くと、「本当に起こったんだな」と思う。
    とはいえトンデモ本の類ではなく、森達也氏の半信半疑な絶妙の視点で淡々と「起こったこと」だけが綴られており、「オカルト」に対する確信的な否定も肯定もしない。信じる・信じない、存在する・存在しないを明示することが著者の主題ではなく、どちらかというと「一つの視点」の提示だ。安易に結論を出すことへの警鐘とも解釈できる。

    オウム真理教、放送禁止歌、佐村河内守、そして「オカルト」、メディアによってイメージが固定化されやすい対象こそ、森達也のドキュメンタリー作家としての一貫性は伝わりやすい。善悪、白黒の二項対立ではなく中間地点のグレーゾーンに豊かさがあると。
    「中立的視点」とも解釈されがちだが、著者はそれも否定する。完全な中立はありえない。必ずどこかで作者の主観に傾倒する。
    いかにもテレビ向きでないが、昨今のメディアリンチへのカウンターとして再考されるべき作家ではなかろうか。

  • <目次>
    開演   「でもオレは結局曲げちゃうよ」”超能力者”はふてくされたように言った
    第1幕  「よく来てくれた。そしてよく呼んでくれた】恐山のイタコは語り始めた
    第2幕  「現状は、誠実な能力者には不幸でしょう」オカルト・ハンターの返信はすぐに来た
    第3幕  「僕たちはイロモノですから」”エスパー”は即答した
    第4幕  「いつも半信半疑です」心霊研究者は微笑みながらつぶやいた
    第5幕  「わからない」超心理学の権威はそう繰り返した
    第6幕  「批判されて仕方がないなあ」ジャーナリストは口から漏らした
    第7幕  「当てて何の役に立つんだろう」スピリチュアル・ワーカーは躊躇なく言った
    第8幕  「毎日、四時四〇分に開くんです」店主はてらいがなかった
    第9幕  「解釈はしません。とにかく聞くことです」怪異蒐集家は楽しそうに語った
    第⒑幕  「これで取材になりますか」雑誌編集長は問い質した
    第⒒幕  「僕はこの力で政治家をつぶした」自称”永田町の陰陽師”は嘯いた
    第⒓幕  「匿名の情報は取り合いません」UFO観測会の代表は断言した
    第⒔幕  「今日はダウジングの実験です」人類学者は口火を切った
    第⒕幕  「今日の実験は理想的な環境でした」ダウザーはきっぱりと言った
    第⒖幕  「あるかないかではないんです」超心理学者は首をかしげてから応じた
    第⒗幕  「夢の可能性はあります」臨死体験者は認めながら話し出した
    第⒘幕  「わからないから研究したい」科学者たちは当然のように答えた
    第⒙幕  「僕らは超能力者じゃありませんから」メンタリストはあっさりと言い放った
    終幕   パラダイムは決して固着しない。だからこそ、見つめ続けたい

    <内容>
    超能力・幽霊・予知・ダウジング・UFO・エスパー・イタコなど、”オカルト”とされる様々な事象や人々を取材して回ったノンフィクション。種本は2012年。けっこうな量があるが、意外と淡々と読める。著者の立ち位置が傍観者的なので、是非を語ることもなく、失敗があっても、本当に不思議なことでも著者の観たままに綴られているのが特徴。また科学者たちにも取材をしていて(大槻教授のように全否定ではない)、彼らのスタンスもよくわかる。そういう点で巷の”怪しい”本ではない。これは読んで損はないと思う。

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    森達也
    1956年、広島県呉市生まれ。ディレクターとして、テレビ・ドキュメンタリー作品を多く製作。98年オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画「A」を公開、ベルリン映画祭に正式招待され、海外でも高い評価を受ける。2001年映画「A2」を公開し、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞する。11年『A3』で講談社ノンフィクション賞を受賞。現在は映像・活字双方から独自世界を構築している。16年ドキュメンタリー映画「FAKE」を公開。著書に『職業欄はエスパー』『「A」』『死刑』など。



     恐山の縁起は、今から約一二〇〇年前にさかのぼる。 最澄 の直系の弟子に当たる 慈覚大師 円仁 が 唐 で修行していたとき、「国に帰り、東へ三〇余日の所に行けば、霊山がある」と夢の中で告げられて、すぐに帰国してお告げのとおりに三〇余日の旅で 辿り着いたのが恐山だ。この地で円仁は六尺三寸の地蔵尊を彫り、これを本尊として開山したとされている。

    かつてイタコは盲目であることが当たり前だった。生まれながら目に障害を抱える女の子は、仕事の選択肢がとても限られる。だから幼いころから師匠のイタコへ弟子入りし、苦しい修行を経てから独立する。  いわゆる霊媒体質や超能力者などと呼称される人には、視覚に何らかの障害がある場合が少なくない。欠損した視覚を補うために、何らかの感覚が鋭敏になる。そう考えれば論理的には怪しくない。ただしその「何らかの感覚」が問題であり怪しいのだけど。

     品川が感知した僕と佐藤との共通項は、この声明文からもわかるように、超常現象やオカルトがあるかないかの二元論に埋没することがどうしてもできず、結局はその 狭間(わからない) を定位置にしていることだろう。もちろんできることなら、肯定であれ否定であれ、断定したい。 曖昧 さを持続することは、実のところけっこうつらい。楽になりたいと時おりは本気で思う。でも断定できない。どうしても片端に行けない。専門家になれない。

    オカルトは人目を避ける。でも同時に 媚びる。その差異には選別があるとの仮説もある。ニューヨーク市立大学で心理学を教えていたガートルード・シュマイドラー教授は、ESPカードによる透視実験を行った際に、超能力を肯定する被験者グループによる正解率が存在を否定する被験者グループの正解率を少しだけ上回ることを発見し、これを「羊・山羊 効果(sheep-goat effect)」と命名した。

    人は対象を擬人化する。その自覚もある。もしも女王アリが働きアリを慈愛あふれる仕草で 舐めていたとしても、そこに「感謝」や「ねぎらい」などの感情が働いていると短絡することは、少なくとも科学的な思考ではない。よくよく観察すれば、働きアリの身体から甘い 蜜 が出ていたという場合が多いのだ。  でも同時に、絶対に女王アリには愛情などないとの断言もできない。あるかもしれないのだ。最終的にはアリにならないかぎりはわからない。

    例えばスポーツ選手の成績や歌手の音程、料理人の味付けなどには常に揺らぎがあるように、人間の意識や行為に揺れが生じることは当然のことなのに、こと超能力に関してだけその曖昧さがまったく許容されないこの現状は、誠実な能力者にとっては大きな不幸であるといえるでしょう。

    魔女狩りもそうだったかもしれませんが、相当な昔から特殊能力者は、祭り上げられるか弾圧されるかのどちらかだったから、長い年月の間に、ある意味での防衛本能が形作られたかもしれないというようなことを考えます。

    例えば心霊写真に関してですが、よく私は「プロが持つカメラに心霊写真は写らない」という言葉を使います。フィルム時代、撮影ともなると三六枚撮りのフィルムを五〇本~一〇〇本くらいは当たり前に撮影しました。それを毎日のように繰り返します。アマチュアなら一日三六枚を使い切ることなど滅多にないでしょう。  単純に枚数だけで言うと、プロはアマチュア数千人分の写真を一人で撮っているわけなのに、心霊写真を撮ったというカメラマンの話は、自分も含めほとんど聞いたことがありません。なぜならプロは、その場に合ったレンズを選び、機材にトラブルがないようにメンテし、ガラスなどの写り込みをチェックし、ハレーションが入らないようにフードをつけ、ミスがないようにあらゆる対策を行うからです。

    私個人は、基本的に心霊現象・超常現象とは人間の脳内で起こるもので、そのタイミングにいろんな偶然が重なったものと考えています。ただし昨日の撮影時にもお話ししましたが、いわゆる心霊をテーマにした撮影や編集の際には、機材トラブルやスタッフの災難などが多いことは確かです。でも一つ一つの事象自体は、絶対にありえない話ではありません。脳内でバラバラの事象を結びつけて怪奇現象として認識しているのだろうと普段は考えています。オカルト肯定派は「心霊DVD」を撮影・編集していたからこそ起こったことと言うでしょうが、いわゆる心霊スポットはそもそも埃・カビ・湿気の多い場所で、機材トラブルが起こる確率は高いのです。

    黄色いオーラをベースに持つ人は、基本的に自分の好きなことしかしません。仕事の時間は不規則なほうが性に合うし、好きなことを好きなようにやりたいというタイプなので、やりたくないことをやるということが、とても苦手なはずです。ですから九時から五時までの会社勤めの方では、黄色のオーラを持つ人は少ないです」

     僕はうなずいた。かつて 秋山 眞 人 は、「統合失調症などで入院する人たちの中には、うまく能力をコントロールできないまま見えるとか聞こえるとか周囲に言ってしまったことで、ちょっとおかしいとされてしまった能力者が多いんです」と言ったことがある。秋山自身も周囲にいろんな霊が見えたりいろんな人の思念が入り込んできて抑制できなかった若い時期、ずっと部屋にこもって頭を壁に打ち付けていたという。これだってどう見ても統合失調症だ。

    それに実のところ、僕自身はこの状況を、それほど悲観的に 捉えているわけではない。プロレスとはそもそもが日陰のジャンルだ。華々しいスポットライトを浴びるようなジャンルではない。カーニバルや場末の酒場に発祥した、不健全で隠微で薄暗いジャンルなのだ。

    こうして生きものは進化した。とても当たり前のこと。プロレスは無理をしすぎたのだ。巨大なドームや華やかなスポットライトや肌を露出したラウンドガールやゲストのお笑いタレントなど、絶対に不似合いだ。場末でよい。マイナーでよい。そこに魅力がある。他のジャンルには体現できない魅力だ。それを忘れかけていた。

    基本的には否定する。怪異だの心霊だのと呼ばれる現象のほとんどは、勘違いかトリックの 類 だと思っている。  ただし「基本的には」だ。すべてではない。勘違いやトリックだけでは説明しきれないことが時おりある。時おり起こる。多くの超能力者たちにかつて取材をして、その後も彼らとずっと付き合いのある自分の実感だ。もちろん超能力と心霊現象とは似て非なるものだ。でも共通する領域も大きい。

    「テレビなんかでよく、悪霊の 祟りとか除霊とかやっているじゃないですか」  北村が言う。その表情は真剣だ。 「まあ、はっきり言えば茶番が多いです。元は自分たちと同じ人間なんだと考えれば、そんな凶暴で危険な霊ばかりいるはずがないんです」 「邪悪な霊に会ったことはないですか」 「二回だけあります」 「どんな霊ですか」 「真っ黒です。その中心に目のようなものがある。念を押すけれど、そのように僕には見えたということです。それが実体かどうかはわかりません。とにかくとても 禍々しい。でもそんな危険な霊に遭遇することはめったにないです。世の中に凶暴な人がまったくいないわけじゃないけれど、そんな人に遭遇することを気にして道を歩く人はいないでしょう? それと同じです。霊だって基本的には、誰かのためになりたいと思っていますから。それは生きている人も死んでいる人も変わらない」

    「だって北村さん、左翼でしょう?」  僕のこの質問に、北村は助手席から振り向いた。少しだけ驚いたように目が見開かれている。 「僕は左翼ですか?」 「北村さんの今のポジションと経歴は、どう考えても左翼ですよ」 「仮にそうだとして、左翼がお化けの話をしてはいけないのですか。ああそうか。唯物史観ってこと?」 「妖怪 までならマルクスも容認するかもしれませんね」  言おうとしていたギャグを担当編集者(岸山) に先に言われて、作家(森) は明らかにむっとした。やっぱりヤキを入れねばなどと考えている。我ながら度量が狭い。北村は「ははは」と笑う。

    「共産党宣言ですか。僕は少なくともマルクス主義じゃないから。だってそれを言うなら、オカルトを取材し続けている森さんこそ左翼でしょう?」 「僕が? マルクス・エンゲルスどころか 丸山 眞 男 もまともに読んでいないし、プロレタリアート独裁や世界同時革命なんて信じてもいない。それでも左翼ですか」 「最近の風潮としては、反体制派イコール左翼なんです」 「右翼はオカルトに相性がいいのでしょうか」  岸山が言う。 「なぜ?」 「だって 八百万 の神ですから」 「オカルトかどうかはともかく、天皇が現人神であるとの前提に立つのなら、確かに神道とは相性がいいですよね」

    ひとりでに扉が開く浦安の 寿司 屋を取材したとき、店を紹介してくれた 木 原 浩 勝 のスタッフHから、お化けが当たり前のように存在する場所として、千葉県 松戸市に所在する八柱霊園を教えられた。Hはかつて、この周辺の高校に通っていたという。 「街角でもよく見かけましたよ。当たり前のようにいます。だからあの辺りに住んでいる人は、お化けが特別なものとは思っていません」

    『週刊金曜日』の編集長と角川書店の編集者と映画監督兼作家の三人は、しばらく塀の上の木を凝視する。小声で「見える?」とか「見えません」などと言い合いながら。四人の年齢を平均すれば(たぶん) 五〇前後だ。もしも否定派の学者や保守派の論客がここにいるのなら、こんな奴らが日本の文化をダメにするのだとかカルトがはびこる要因はここにあるとか左はやっぱりクルクルパーだとか、いろいろ言われるのだろうな。

    私はよく冨士谷さんから、だらしないやつだと 叱咤 されていまして、……藤井先生の場合は、その叱咤が効いて、(自民党の) 総裁選に出られてご苦労なさいましたが(会場笑)、私の場合はいつも叱咤されるばかりで、でも冨士谷さんが敬愛されていた 安 岡 正 篤 先生の教え、……何ていうのか、日本主義というか皇室崇敬というか、あるいは神道とか、……そういったことを 滔々 と語られるときがあって、そういうときはやっぱり、冨士谷さんすごい人なんだなと思うことがありまして、……とにかくもうお会いできなくなってしまったということは本当に残念ですが、冨士谷さんのご冥福を心からお祈りいたします」

    「冨士谷先生は常々、日本人に生まれたということは、今のこの地球で現代に生きるものとして、本当に幸せなことなんだと仰っていました。日本人は特別なんですね。だから一人ひとりの日本人は、自分が日本人に生まれたことに感謝しなくてはならない。日本人として祖先を敬い、感謝することを怠れば、必ず罰を受ける、報いを受ける、そして日本全体も大きな失敗をするということを、いつも仰っておりました」

    ナチスだけが特異点ではない。歴史と宗教オカルティズムが融合した西洋系神秘思想は、いつの時代にも政治との親和性が高かった。低俗だとか 胡散臭いとかの理由でこれらの要素を除外してしまえば、うっすらと見えかけているものすら見えなくなる。きっと本質がわからなくなる。確かに低俗で胡散臭い。でも人はこの領域に、どうしても 惹かれる存在であるようなのだ。もちろん政治の場も例外ではない。むしろ親和性が高い。

    質問を投げかけながら、どうやら答えさせるつもりはないようだ。あっさりとそう言ってから冨士谷は、「だから日本は神国なんだよ」と続けた。 「霊界があって現界がある。地球があって世界がある。人間は天と地を結ぶ万物の霊長なんです」 「霊長類、ですか」 「霊長類じゃなくて霊長。その人間の核にあるのは皇室です。その皇室がいろいろ揺れている。 揉めている。……大東亜戦争もね、あれは時代の姿です。世代わり。あの戦争を起こしたのは、 杉山 元(大日本帝国陸軍大将・開戦時には参謀総長) です。……話は飛ぶけどね。飛ぶなと思っているだろう? 大丈夫。最後に元の話に戻るから。とにかく彼はね、開戦前に昭和天皇に、この戦争はよくないと言っていたんです。つまりアメリカには勝てないと。だから御前会議の際に昭和天皇はね、杉山は自分の意を受けて開戦はしないと言ってくれるだろうと思っていたわけです。ところがあにはからんや杉山は、開戦すると宣言してしまった。そして杉山はそれからも、昭和天皇に噓の報告ばかりしてね、約束も守らない。こうして杉山は日本を泥沼に持って行く。そこでね……僕は熊本県の 人吉 出身なんです。そして熊本県にはね、 徳富蘇峰 の信奉者が今も大勢いる。そしてね、話は飛ぶけどね、飛ぶけれど元に戻るからね。徳富蘇峰はとにかく、日本を開戦へ開戦へと持って行ったトップなんですよ。そして終戦の詔勅は安岡正篤です。いいかい? 僕はね、徳富蘇峰を二〇歳ぐらいのときに見かけたことがある。安岡先生からは、ほぼマンツーマンで指導を受けた。安岡先生は、 石原莞爾 の五族協和ね、大陸進出、あれはとんでもない間違いだったと言っている。明治天皇も 伊藤博文 もね、 日韓併合など本当はしたくなかったんです。やむなくしたんです。そこでね、僕は森くんにこれを言…

    「僕はね、皇室を否定する人にふざけるなと言いたいよ。じゃああなたは、自分が日本人であることを否定するのか。自分を否定するのか。僕はね、このあいだ背中に大きなできものができた。ひどく痛い。そこで僕はね、昭和天皇のお言葉をね、ずっと録音しているのだけど、これを聞くことで治しちゃった。何だってできるよ。僕はね、この力で、ある政治家をつぶしたことがある」

    「まあ、そんなところかな。あまり詳しく言いたくない。じゃあひとつだけ例を挙げる。 加藤 紘 一 がね、小泉首相が靖国参拝したときに変なこと言ったでしょう?」 「参拝すべきではないと?」 「そう。僕はこの野郎って思ったね。そうしたらそれから一週間くらいしたら、彼の家が燃えちゃった」 「……あれは自称右翼活動家が放火したわけですけど」 「うん。だからね。僕がこの野郎って思ったもんだから」 「冨士谷さんがこの野郎って思ったから右翼が放火しに行ったんですか」

    「まあ、そういうことになるのかな。僕はね、白血病でもガンでも治せる。なぜなら人生を治療するから。人生が間違っているからガンになるんだよ。糖尿病になるには糖尿病になる人生があるんだよ。僕は人生を治す。だから白血病でもガンでも治せる。いのちを浄化するから。僕は昭和天皇のお声を聞いたことでおできを治しちゃった。人には従うべき声があるんだよ。みんな法則によって生きているんだよ。このあいだね、僕の講演にチェコの人が来たんだよ。僕のホームページを見て、話を聞きたいってね。それほどに感じる人がいるわけだよ。一人ひとりが神なんだよ。今ここにいる森ヒロシがね」

    「確認しますけれど、日本以外の国はすべて、悪魔なのか悪霊なのか、とにかくそんなものがたくさん 跋扈 している国ということですね」 「そうです。日本はね、神国なんです。外国に生まれた人たちはどうすればいいか。因縁です。日本に来ればいい」

    「……まとめますが、日本は選ばれた国であり、皇室は天界と現界をつなぐ、……要するに 審神者 のような存在であるということですね」

    「日本以外の国には悪霊がたくさんいて、日本人が海外旅行をしたら、それがくっついてしまう」 「そうです」 「でもね、今の天皇が数年前、天皇家の先祖は 百済 の子孫と『続日本紀』に記されていると記者会見でしゃべりましたよね。あれはどういうことになるんですか」 「それはね、平面史観なんだ」 「平面?」 「天皇が天皇をわかっていない」 「……それは困りますね」 「そうなんだ。困るんだよ」 「審神者がそんな状態でいいんですか」 「だから混迷しているんだよ。

    「今は森英介とか藤井孝男とか、 平沼 さんとか。あとは 高市 早苗 とか 野田 聖 子 とか 姫 井 由 美 子 とかは、よく相談に来るよ。姫井とは 明日 帝国ホテルで会うよ。このあいだも自民党の政治家たちの会合に呼ばれてね、いずれ 小沢 のスキャンダルが出てくるから、そのときに 乾坤一擲 に解散すればいいと僕は言ったんだ。たぶんそうなると思う」

    「情報はあふれています。特に今はネットがありますから、いろいろな情報を簡単に入手することができる。一昔前は宗教が人気でした。でも今は宗教全般の人気があまりない。そのぶん、精神世界にはまる人は多い。はまっているから冷静に分析できなくなる。だからとにかく、ネットは玉石混淆 です。五次元世界とかハルマゲドンとか、みんなとても安易に信じてしまう。特に日本人はその傾向が強いですよね。周囲の声にすぐに同調して同化してしまう。だから僕は、もしもネットで気になる情報があれば、その情報を発信した人にできるだけ会いに行きます」 「でもネットの場合、情報の発信者を確定することは難しいでしょう?」 「匿名の情報は取り合いません。とにかく実際に見た人に会います。写真などもその場で、できるだけチェックします」

    だからやっぱり不思議になる。本間にしてもフジテレビの小林にしても、このジャンルについてはスレッカラシになって当たり前のポジションにいた。裏も表もよく知っているだろうし、現役のころは幾多のトリックやイカサマも目にしてきたはずだ。ならば現在は否定派の最右翼にいても不思議ではないのに、彼らは肯定どころか確信している。超常現象は確かにある。霊魂は存在している。超能力者は実在する。その確信に揺らぎなど 欠片 もない。

    つまり科学とオカルトを対立概念に置いていない。  一般的には科学という言葉をオカルトに対置する場合は、ニュートン力学に代表される古典物理学を基準にすることが多い。たとえば否定論者のシンボル的存在である 大槻 義 彦 早稲田大学名誉教授は、スプーン曲げや念力などの超能力を否定するとき、作用反作用の法則や熱力学第二法則などに反しているとの論拠を展開する。もちろん間違いではない。古典物理学を基準に置けば、作用反作用や熱力学の法則は大前提だ。

    「現象を肯定や否定するために科学があるのではありません。その過程やメカニズムを説明するためにあるわけです」

    いつも穏やかな石川が、珍しく語気を強くしている。『水からの伝言』シリーズの趣旨は、水が結晶を作る際に「ありがとう」や「平和」などの言葉をかけると美しい雪花状の結晶ができて、「ばかやろう」や「戦争」など悪い言葉をかけると汚い結晶ができるという内容だ。そこから人間の身体のほとんどは水だから言葉に気をつけようとの教訓が導き出される。小学校の道徳教材に引用されるなど、このシリーズはかなり話題になった。数年前に僕も書店で、このシリーズや関連図書が平積みになっているのを見かけたことがある。さすがにこのレベルを取り上げるつもりはない。でも石川が指摘するように、このレベルを多くの人が信じたという社会現象は興味深い。

    「その何かを擬人化してしまうことが問題なんです。たとえばよく、声が聞こえたとかいうじゃないですか。でもそれは本当に声なのか。人間じゃない可能性も十分にあるわけです。ところが人間に類した存在だけを想起してしまう。それが日常感覚です。物理学者はそうは考えません。音を単体で考察します。どんな物理法則があって、どのようにそれらの法則が結びついているかなど、いろんな関係を列挙して考えます。でも日常の意識は、どうしても帰属する主体を探してしまう。意図帰属モジュールですね。人間の子供やチンパンジーでも観察できる認知傾向です」

    「子供のころに透明な人が見えたという学生の話ですが、結局は今、見えなくなってしまっている。これがもし、日常的な規範や常識、あるいは、あまりそういうことを口走ると周りとうまく共存できなくなっちゃうという恐れみたいなものが無意識レベルで働いて、他の人には見えないものが見えるという能力を結果として減衰させてしまうとしたら、たとえば多くの人が霊の存在を信じるアニミズム文化が色濃く残るバリ島とかアマゾンでは、その能力が減衰しないまま成長する人が多くいるという仮説が成り立ちますよね。見えるとか見えないとかのレベルではなく、写真にだってもっと霊や妖怪や妖精などが派手に写り込んでもおかしくないということになりませんか。つまり社会規範としての抑圧が薄いエリアなら、もっと多くの現象が顕在化してもいいはずです。蛭川さんはシャーマニズムのフィールドワークもされているけれど、アニミズムやシャーマニズムが濃厚なエリアで、そんな気配を感じたことはありますか」

    「たまたま怖いという恐怖心と未知のものへの好奇心が、同居する対象だからじゃないですかね。怖いものの背後やメカニズムがわかれば、怖さが減って達成感を得られるから、見たいという衝動が生まれるということもあるかもしれないです。それと、説明や予測ができない怖さも当然あるでしょうね」 「予測不能性が怖いことは確かです。だからこそ人類の歴史は、身の回りのあらゆる現象に何らかの公式や法則を見つけようとする試みの積み重ねです。でも、ことオカルトに関しては、そういった能動的な姿勢がほとんどない」

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著者プロフィール

森 達也(もり・たつや)
1956年、広島県呉市生まれ。映画監督、作家。テレビ番組制作会社を経て独立。98年、オウム真理教を描いたドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。佐村河内守のゴーストライター問題を追った16年の映画『FAKE』、東京新聞の記者・望月衣塑子を密着取材した19年の映画『i-新聞記者ドキュメント-』が話題に。10年に刊行した『A3』で講談社ノンフィクション賞。著書に、『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『ご臨終メディア』(集英社)、『死刑』(朝日出版社)、『東京スタンピード』(毎日新聞社)、『マジョガリガリ』(エフエム東京)、『神さまってなに?』(河出書房新社)、『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)、『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』(ミツイパブリッシング)、『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(講談社現代新書)、『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)、『増補版 悪役レスラーは笑う』(岩波現代文庫)など多数。

「2023年 『あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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