- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041026403
作品紹介・あらすじ
2019年7月19日公開!全世界待望の新海誠監督最新作『天気の子』……監督みずから執筆した原作小説が7月18日刊行!
新海誠監督の2019年新作アニメーション映画『天気の子』は、天候の調和が狂っていく時代に、運命に翻弄される少年と少女が自らの生き方を「選択」する物語。監督みずから執筆した原作小説。*表紙画像は仮のものです。(C)2019「天気の子」製作委員会
初回限定特典あり。初回限定書籍カバーの裏には、購入した人へ向けて新海誠のメッセージ&サインが印字。さらに8月下旬頃都内にて開催予定の限定イベントへの参加券、シリアルナンバー&新海監督のサイン入り特別版『小説 天気の子』(文庫サイズのハードカバー)などが当たる抽選券封入。
感想・レビュー・書評
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君の名はと同じで、空が綺麗だから映画向きかなぁ。(´・ω・`)
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とっても良かったです!映画や小説の中でも天気の子は特に好きで感動しました。特に心に残ったのは「だから、泣かないでほだか」です。声優さんの暖かい声が文字に宿ったようで凄かったです。皆さんも是非読んで見て下さい
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映画と小説とが互いに補完し合ってるように、映像では表現できないこと、映画の尺では収まらないことがこの小説の中にはたくさん詰まっている。勿論、映画を先に観た人には真新しいことはそれ以外にないし、どこかライトノベル感があることも否めない。だけど、誰かや世界も気にすることなく、自分の本当の想いをぶつけるまでに成長する姿に、忘れてしまっていた勇気を思い出す。
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自分的には君の名はより面白かったけどなぜか公開されてない時に低評価など押されてたからそれが許せないあと何度見ても映画でも本でも最後がよくわからない
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劇場で初めて見たときは、前作の『君の名は。』以上に、荒唐無稽でめちゃくちゃな話だと思ったけど、あの結末を描きたかったなら、さもありなん、なのかなあと思った記憶があります。
小説版『天気の子』で久々にこの物語に触れましたが、やっぱり相変わらず荒唐無稽で、でもこれまでになくさっぱりと、晴れ晴れした気分になる物語だと、改めて感じました。
数十日以上、降水を記録する異常が襲う日本。故郷の離島から家出し東京にやって来た高校生の穂高は、東京行きのフェリーで出会った須賀の仕事場に転がりこみ、なんとか居場所を確保する。
そんな穂高に訪れた、陽菜という少女との出会い。彼女は祈ることで、空を晴れに出来る能力を持っていた。陽菜が弟と二人暮らしで、生活費に困っていると知った穂高は、陽菜にあるビジネスを提案する。
映画『天気の子』の小説版。新海さんは映画では映像や音楽、そしてシーンの切り替えなどで、物語に勢いづける印象だけど、小説ではきっちりとそれぞれの内面を描く印象があります。
映画では基本穂高視点が中心でしたが、小説では晴れを祈るときの陽菜の内面の描写や、須賀、須賀の下でバイトする夏美など、それぞれの心理も要所、要所で切り取りつつ、物語に弾みをつけていく。
このそれぞれの内面描写であったり、小説ならではの比喩表現であったりが繊細で、改めて新海さんは、映像と文字というメディアを理解しつつ、それぞれの受け手に刺さるものを目指しているのだな、と感じます。
これまでにない、さっぱりとした晴れ晴れさ、というのは、穂高の選択の明快さにあるのかもしれません。
数十日降り続く雨という異常気象は、クライマックスでは夏なのに雪を降らせるというさらに異常な事態に。そして世界から姿を消してしまう陽菜。穂高は大人たちや社会を振り切り、再び陽菜に会うため逃げ続け……
先に書いたけど、物語はやっぱり荒唐無稽。陽菜のファンタジー要素は抜きにしても、これだけ警察を敵に回して逃げ切れるのか、と思うし、逃走の場面もツッコミどころはいくつも感じます。
でも、身も蓋もないことをいってしまえば、ファンタジー要素も、警察も全ては象徴にすぎなくて、究極的にはこの物語は、たった一つのことしか尋ねてきていないようにも思います。
「世界を選ぶか、日常を選ぶか」
サブカル評論でよく出てくる『セカイ系』というジャンル。世界の運命と、主人公たちの日常が地続きで、普通の日常を送っているはずの主人公たちが、いつの間にか、世界の運命を握ってしまう、というのが自分の理解。
『新世紀エヴァンゲリオン』『涼宮ハルヒ』シリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』と、そのセカイ系の系譜の作品の基本どころや、それに関する評論もそこそこ読んでいたけど、『天気の子』は、そんな名作たちとまた違う、清々しいまでに正直で、ある意味狂っている選択を、受け手に突きつけます。
この選択が、自分には衝撃的でした、そんな真っ直ぐに選択できる物語があるんだと、いう衝撃。その選択がもたらす不思議な晴れ晴れとした気持ち。荒唐無稽さも、ツッコミどころも、予定調和な物語の落としどころも全てを「そんなの関係ねえ!」と吹き飛ばされたような、そんな感覚。
常識とか、良識とか、調和とかを突き抜けた物語は、荒削りではあるんだけど、全てを突き抜けて、それでも残った思いというものは、狂おしいほどに真っ直ぐでキラキラと、受け手の中で忘れがたく輝き続けます。
『天気の子』は自分の中にあった物語における常識を、突き抜けてしまった作品なのです。 -
文句なしに面白いです。
これはぜひ、映画も観てみないと。
「君の名は。」の映画は一度観たけれど、やはり似通ったものを感じた。これが新海ワールドなのか。
ひとつの作品を映画と小説、同時に製作するのは珍しいことなのかどうなのかよくわからないけれど、全く違う媒体のエンタメなので、その製作作業は本当に大変なのではないかと推測できる。と思っていたら、まさしく、映画と小説の表現の仕方の違いにあとがきで触れられていて、そうかそうか、そうだろうよ、と分かった気になった。
映画鑑賞はまだこれからだけど、小説では、情景描写がとても丁寧で、キレイで、私の想像した情景が映画でどう表現されているかとても楽しみ。
あとがきで、新海さんのエンターテイメントの定義というか、エンタメ製作にあたっての決意のようなものが書いてあるのだけれど、まさにその通り、と思ったし、そのあとがきを読んで、この物語の終わり方もすとんと自分の中に入ってきた気がする。 -
まだ読んでないですが、映画の中で1番好きな作品なので小説も読みたいと思っています。本当に感動する映画だったので小説も楽しみです!
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>彼女とともに過ごした、あの年の夏
>東京の空の上で僕たちは、世界の形を決定的に変えてしまったのだ。
巷では「俺たちの新海誠が帰ってきた」だの「2000年代前半に原作ゲームをやった記憶が蘇ってきた」だの「セカイ系は死んだ」だの「センパイが呼んでる」だのオタクたちの叫びが溢れかえっているし、あんまり詳しくなさそうな人が商売上の要請で書いたようなのも散見されていて、賑やかです。
今回は、なんだかんだ今までずっとあった「切ない諦観」から突き抜けたな~というのが一番の感想。須賀さんがちょっと担当したのかしら。
君の名は。と比べて、過去のセンシティブな作品群の作りに戻った、という見方にはあんまり賛成できない。むしろまた別のほうへ行ったなと思った(そもそも独立した作品群を比べて考えることに意味はないよねということもあるけど)。
あとはもう言うことなしのボーイミーツガールでほんと素晴らしかった。
前半のわくわくパートと後半のシリアスパートの配分も好き。後から崩れるとわかっている幸せが、須賀さんとこと姉弟のとことでふたつあるのがまた、後の落差を生むというか。
あとやっぱりアレ、クライマックスで走る映画は名作になるの法則。先日のユーフォ劇場版でも走ってたなあ。
賛否分かれる物を作ったと言っていたけど、どうかな?
クライマックスの選択が物語的に賛否分かれるとは感じないけど・・・あの小道具を使うかどうかという点では好き嫌いは分かれるかも。
――ここまで映画の話。以下小説版の話。☆の数も小説について。――
さて小説版。
「君の名は。」同様、映画製作と平行して執筆され公開直前に出版されたもので、ノベライズではないので映画とほぼ同じ。そのように書いたと著者は言っている。
ノベライズ物に良くある番外要素・語られなかった設定が好きなのでそこはやはり物足りない(ちょっとはある。そこは表現媒体の違いで表に出てきたものであって映画は映画で過不足なく作ったとのこと)。
記しておきたいのは、あとがきと解説が必読だということと、夏美さんの背景がちょっと語られているということ。
楽曲が物語の根幹にこんなに影響を与えているとは。
こんなあとがきと解説読んじゃったらそりゃサントラ買いますよ。グーグルミュージックで買うと一部タイトルが英語なのは何故なのかしらん。
当然だけど小説家ではないので、筆力に唸らされるような楽しみは無いし、あくまで追体験をしたい人向け。これ以上劇場に行くとお金がいくらあっても足りないので、ありがたいことです。前回のようなスピンオフ出して欲しいな。
>「映画は学校の教科書ではない」ということだ
>「老若男女が足を運ぶ夏休み映画にふさわしい品位を」的なことは、もう一切考えなかった。遠慮も忖度も慎重さもなく、バッテリーが空っぽになるまで躊躇なく力を使い果たしてしまう主人公たちを、彼らに背中をたたかれているような心持ちで脚本にした。
それっぽいこと言おうとしている批評家たちにめちゃくちゃディスられるといい。そうしたら我々、有象無象の「新海誠の元カノ」たちは大変喜ぶ。 -
2019年7月角川文庫刊。書下ろし。天気の子という不思議な気を惹かれるタイトルです。アイデア的には、目新しいところが感じられませんが、二人の想いと存在の有り様を物語の核心ととらえると、新海さんらしい表現だと思います。