江田島海軍兵学校 世界最高の教育機関 (角川新書)

著者 :
  • KADOKAWA/角川書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041025437

作品紹介・あらすじ

かつて世界三大兵学校のひとつと称され、若者たちの憧れとなった最高の教育機関が広島・江田島に存在した。卓越したリーダーシップと世界でも通じる人間性を養うその教育を、最後の生徒だった著者が克明に再現する。

感想・レビュー・書評

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  • 日本海軍が誇った江田島海軍兵学校
    かって、若者たちが東大以上にあこがれた学校とある。
    戦時中の空襲の対象からも外され、戦後に諸方面で活躍をされた人材を生み出した学校を、最後の卒業生が振り返る。

    ・士官である前にまず紳士であれ
    ・義務を全うすること、それをイギリスでは、ノブレス・オブリージュといい、日本の武士道にも通じる。
    ・外国人と接する機会の多い海軍将校は、国際的な視野を持つと同時に、エチケットやマナーの面でもスマートでなければならない。
    ・一般社会から好感と尊敬をもって迎えられる良識ある行動とれというのが海軍の規範でもあった。
    ・五分前の待機 「五分前」ルールの徹底
    ・シーマンシップという海軍堅気を養うための躾を、「訓育」といい、3S精神という
    ・Smart , Steady , Slient キビキビとして手際がいいこと、着実であること、発令者以外は静粛にすべきことである。
    ・海軍兵学校の校長であった井上は、教育上あまり意味のない慣行を廃止し、自由であおらかな空気を吹き込もうとした。
    ・教育方針は、「覚える」より、「考える」を重視。八分は生徒に考えさせ、二分だけを説明する。
    ・語学センスを重要視し、「自国の言葉しか話せない海軍士官など、世界中どこにいっても通用しない。」
    ・外国語を日本語に置き換えて考えるのではなく、その言葉で考えなければならない。そのために、全生徒に英英辞典を貸与した
    ・日露戦争の参謀、秋山の薫陶。「戦争というものは、大国的な戦略、局部的な戦術、それらを確実に行うための事務的専務の3つからなる」
    ・秋山は、兵棋演習という、シミュレーションゲームもアメリカから持ち込んだ。
    ・まず自分ができなければ、部下にも教えることができない。部下の仕事を知ることは重要である。

    ・士官のマナー集「礼法集成」、たとえば他人に不快の感を起こさないように慎みなさい。これが海軍は陸軍より行儀がよいといわれたゆえん。
     福地大佐の「百題短話」という心得もあった。アイデアや意見が思い浮かんだら、わすれないうちに要点を書きとめること。人前で部下を叱らないこと。等

    ・海軍兵学校の教育理念は、徳育、知育、体育の三つにバランスをとれた人間を育成すること。

    ・リーダに必要な四つの条件
     ①将来、多数の部下を指導することになる責務を自覚し、栄辱、利害を超越して修練に全力をつくすこと
     ②苛烈な戦闘に備えて平素から心と体を鍛え、剛健な性格の陶冶に努めること
     ③あらゆる科目を好き嫌いなく修得し、実力の蓄積に最善の努力をすること
     ④礼節を重んじた立ち居ふるまい、端正にして活発で規律ある容疑の習慣を養うとともに、気品を尊び、下品な行いを戒め、洗練された風格品性の陶冶に努めること

    ・真の勇者とは、命しらずの無鉄砲な者でもなければ、声高に自己主張するものでもない。いかなる困難に遭遇しても、毅然として、自分の任務からはみだすことなく、これをまっとうしようとする者である。

    ・五省も江田島でした。
     ①至誠に悖るなかりしか(不誠実な言動はなかったか)
     ②言行に恥づるなかりしか(言行に恥ずべき点はなかったか)
     ③気力に缺くるなかりしか(気力にかけるところはなかったか)
     ④努力に憾みなかりしか(悔いを残さないよう、あきらめずに努力をしたか)
     ⑤不精に亘るなかりしか(不精をせずに最後までものごとに取り組んだか)

    ・三ぼれ主義
     ①仕事にほれろ
     ②任地にほれろ
     ③女房にほれろ

    ・オイアクマ
     ①おこるな
     ②いばるな
     ③あせるな
     ④くさるな
     ⑤まけるな

    ただ最後に、日本人というのは、あれだけ負けたのに記録をとらなかったこと(反省しなかったこと)を残念に書いています

    目次は以下です。

    はじめに
    序章 最後の生徒
    第一章 海軍教育の真髄
    第二章 日本海軍と兵学校の歩み
    第三章 士官である前に紳士たれ
    第四章 江田島の極意
    第五章 失敗から何を学ぶか
    第六章 特別対談 半藤一利×徳川宗英 教育の根本は江田島にあり

  • 最後の江田島卒業生の著者。
    本来3~4年で卒業するところを、敗戦で4か月ほどで学校を終える。
    その意味では、本来の兵学校生活とは違うのだが、
    だからこそ、想いも強かったのだろう。
    実に整理され、読みやすい。

    参考資料として、手元に置きたいのだが
    残念、絶版だそうだ。

  • 20221012

  • 海軍兵学校77期、江田島最後の生徒かつ田安徳川家の当主が語る海兵教育。

    江田島教育を全く知らない人にはよい本かも。豊田讓愛読者的には新しい情報があまりなかった。
    在校中に終戦。4か月しか在籍していないからやむを得ないところだろう。校長だった井上成美の話が多いが、直接教育を受けていないなど、聞き書きがほとんど。

  • 江田島兵学校最後のの七七期生である著者が現代にも通じる江田島兵学校の教育について書いた本。
    この時代は良かったみたいな単なる賛美ではなく、彼が常に現代の教育にも参考できる点があるという視点で話していることにすごく好感を持てた。失敗は原因を探り繰り返さないこと、良いところは良いと認めて受け継いでいくのが歴史から学んでいくべきところだと思う。

  • 江田島海軍兵学校 世界最高の教育機関
    徳川宗英
    2015年4月10日初版発行
    2017年7月29日読了

    德川宗英(とくがわむねふさ)田安徳川家11代当主。「御三卿」の一つ。御三卿とは8代将軍徳川吉宗の次男の流れを組む田安徳川、四男の流れを組む一橋徳川、9代将軍徳川家重の次男の流れを組む清水徳川、の三つを指す。

    筆者の体験、視点を基に記された終戦間際の江田島海軍兵学校の様子について書かれている。
    筆者は代77期江田島海軍兵学校生徒であり、この77期が最後の学年であったという。終戦の年である1945年4月に入学しており、たった半年足らずの期間であったがその記憶は色鮮やかに残っているらしく、細かな兵学校時代の様子まで書かれていた。
    主な要点としては、「井上成美(しげよし)」という人物が校長を務めた時代に打ち立てた教育理念が如何に優れたものであったか。そして、それは現代にも通じる人としての教育の根幹になり得るものだった。
    なお、井上は山本五十六、米内光政らと共に太平洋戦争に猛反対したことや、明治以来の海軍の大艦巨砲主義を批判したことでも有名。時代は航空兵力が主力と説いていた。
    江田島では軍事教育の前に一流の人間を育てる躾教育が形成されており「軍人である前に紳士であれ」という教えや、敗戦を見据えて戦後の日本を再建するリーダーとなる人材を育てていたという話は含蓄もあり勉強になった。
    基本的に海軍贔屓の目線。陸軍に比べて海軍の方が、行儀がよく端正で、威張り散らかしておらず、合理的で理路整然とした考え方を持った優秀な人が多かったと折に触れ書いてある。
    この本を読む限り当時の海軍の魅力が伝わってきて海軍贔屓になってもおかしくない。
    他にもターニングポイントとなった戦闘の紹介もあり「失敗の本質」を補完させる内容もあってよかった。「レイテ沖海戦、謎の反転」の真実について一石を投じる推測も興味深かった。
    戦争前の日本の海軍史、戦中戦争末期の海軍兵学校教育、当時の日本の様子を伺い知ることのできる良書です。

  • 実体験に基づく話で説得力がある反面、終戦間際の話がメインであり、人数が増える前どうだったのかはよくわからない。
    本当に役立つ技術とは掃除であったあり服の畳み方であるとういのは、最後のすべからく物事は小さなことの積み重ねの上に成就するという校長の話につながっていると思う。
    ある意味信念に沿ったぶれない教育が戦後にも生きたのだと思う。

  • ■五分前の大気
    ■操艦十則
    ・計画は細心に,実行は大胆であれ
    ・心を一時に囚われるな。目は八方に配れ
    ・初心者に過失少なく,慣れて怠る者に怪我多し
    ■3S精神
    ・Smart
    ・Steady
    ・Silent
    ■井上成美校長の「思考雑感」
    ①志向の効率を高める手段として重要なのは注意力の集中。そのためには室内の静寂を保つだけでなく視覚的にも騒がしくならないよう整頓に留意し,気の散るような雑物を置かない。
    ②室内と同じように机の上を整頓し,ノートにも文字や数字を整然と書く習慣を付けること。整然と書かれたノートは復習の際の時間と労力の節約になり,誤りを発見・修正するときにも大いに役立つ。
    ③以上のような外的条件を整えた上で,雑念を排除して一つの問題に集中して考えるよう習慣づける。集中力は天性のものではなく,あとからの訓練によって養われる。
    ④注意力の集中は記憶を増強するために必要なばかりでなく,思考のためにも必要な要件である。
    ⑤数学の問題を考えること,良質の探偵小説を読むこと,麻雀,トランプ,碁,将棋は思考力を増強する訓練となる。
    ⑥思考力と記憶力とは互いに助け合う関係にある。なぜなら人が思考するときには,自分が持つ知識の中から当面の問題に関連しそうなものを呼び起こし,これと対比・分析・総合してものごとを考えるからである。豊富な知識(質の良い記憶)は,よい思考の一条件といえる。一方,思考は記憶を再生・更新・総合して,更に質の良い知識として記憶される。つまり,多くを考えることは,多くを記憶する結果を生じることにもなる。
    ⑦思考も読書も気分が大切で,どちらも気乗りしないときには効果が少ない。特に思考は,気分の醸成が難しいので,考える気分にならないときは読書に向かうのがよい。
    ⑧思考が行き詰った時は寝てしまうのがよい。一晩ぐっすり眠ると,よい知恵がわき,難問を簡単に解決できるような経験はよくあることである。
    ■「五省」は昭和7年に海軍兵学校教頭兼監事長だった三川軍一中将が起案し,校長の松下元中将が裁可した。
    ①至誠に悖るなかりしか(不誠実な行動はなかったか)
    ②言行に恥づるなかりしか(言動に恥ずべき点はなかったか)
    ③気力に缺くるなかりしか(気力にかけるところはなかったか)
    ④努力に憾みなかりしか(悔いを残さないよう諦めずに努力をしたか)
    ⑤不精に亘るなかりしか(不精をせず最後までものごとに取り組んだか)
    ■一挙動膝屈伸
    ■栗田健男校長の「別れの訓示」
    ■「今後の生徒心得並びに参考事項について」
    ・社会に出れば,海軍生徒だった時のように懇切丁寧に面倒を見てくれる者はない。今後は依頼心を起こさず,独力で自己の進路を切り開いていかなくてはいけない。その際は緊褌一番,新生の第一歩を力強く踏み出しなさい。
    ・冷静沈着に常識を働かせ,ものごとを考察,判断し,流言蜚語に惑わされないようにしなさい。将来を悲観的に想像し,意気消沈することのないように。運を天に任せて,明朗闊達に生きていきなさい。
    ・新聞やラジオの報道に注意し,時世の流れに敏感でいなさい。
    ・正式に生徒を免ぜられるまでは海軍生徒なのだから,きちんとした服装をし,正々堂々と行動しなさい。曖昧,乱雑な言動は慎むように。

  • なんとなく、説教好きの近所のおじさんの話を聞いてる感じ。説教といっても、頭ごなしというよりは自分の経験とか、過去の事実からこういう所見をもった、という感じで、そういうおっさんの話を聞くのも嫌いではないので、楽しく読めた。
    日露戦争の数次の旅順港閉塞作戦で、士官以下は一度決死の閉塞作戦に赴いた者は次回は参加出来ないが、士官は何度でも参加しなければならない、これが士官というものだ、という話がフーンという感じ。
    戦争の戦い方について、日本の、剣道や剣術に見られる、その身を危険にさらして相手の懐に一気に飛び込んで急所をひと突きする短期決戦型と、欧米の、フェンシングの、間合いをとって自らの安全を優先しつつチマチマと相手に傷を負わせていっていかに相手を消耗させていくかという持久戦型、という見方は面白いと思った。
    最後に半藤一利と著者の対談があったけど、なんかこういうのは好きになれない。以前、半藤一利の東京裁判についての鼎談見たときにも思ったけど。対談ってやっぱり対話者の自己満足になりがちで、本を書くときには、自分はこう思う、という押し付けがましくない書き方の人でも、対談では、対談の相手と自分たちの考えの正しさを確認しあって、これが正しいんだと押し付けがましくなってることが多い気がするからかな。それか、半藤一利が自分は受け付けないのかな。

  • 読んで良かったと思える一冊。戦時の学校など、誰かに聞かなければ想像もできない。規律厳しく、礼節をわきまえ、紳士たれ。時代か、やはり後輩を殴るという事はあったようだ。しかし、事実は、偏見を取っ払ってくれる。自分にとってやはり、この本から学んだ部下を育てるためのキーワードは、自尊心を育てる事と、覚えるより、考えさせること。

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著者プロフィール

とくがわむねふさ 1929年ロンドン生まれ。御三卿筆頭・田安徳川家第11代当主。学習院、江田島海軍兵学校を経て慶應義塾大学工学部卒業。石川島播磨重工業にて海外事業本部副本部長、関西支社長、石川島タンク建設副社長などを歴任。95年に退職。

「2017年 『徳川家が見た西郷隆盛の真実 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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