ようこそ、おまけの時間に (偕成社文庫 3172)

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  • 偕成社
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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784036517206

感想・レビュー・書評

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  • 小学生の頃に最初だけ読んでなんとなく気になっていた本をみつけたー!
    なんとなく岡田淳さんかなと思って数冊読んでみたところこれでした。
    ===

    6年生の賢は、授業中に12時のサイレンが鳴ると自分が違った世界にいることに気がつく。
    そこはたしかに自分の教室なのだが、自分は茨に巻きつかれて身動きが取れないのだ。夢の世界は毎日必ず12時から始まり、徐々に時間が長くなっている。
    ある日賢は鉛筆の代わりにカッターを持ち12時に備えた。夢の世界に入った賢はカッターで自分に巻き付いていた茨を切り、周りを見ると、同じようにクラスメイトたちが茨に巻き付かれて眠っている。
    賢がクラスメイトの茨を切ってゆくと、みんなは徐々に目を覚ましてゆく。

    現実の賢のクラスは決して仲が良くはない。周りに無関心のガリ勉優等生、いつも遅刻のクラスメイト、昔は仲が良かったのに最近は距離ができた女子幼馴染。賢だってクラスではぼーっとしているやつだって思われている。

    しかし夢から目覚めたクラスメイトはどこか違う。
    気の強い幼馴染は優しく可愛いところがあったし、ガリ勉くんは片思いの相手がいたし、遅刻少年は工作が得意だったし…。

    彼らは日中のクラスでも仲良くなり、夢の世界でのことを話し合っていく。
    どうやら学校中が茨に覆われているらしい。それなら茨を切って全員を起こそう。
     家に大工用具のある者は?
     目覚めた生徒たちへの説明は?
     保健室の出入り口は作ったほうがいいよね?

    目覚めた生徒たちに彼らは放送室から呼びかける。
    「目覚めたみなさん、おまけの時間にようこそ!」

    ===

    おまけの時間、とは、現実では時間が止っている間の、子供だけの時間を自分たちでそう呼んだものです。
    彼らは小学校ではそれぞれがなんとなく取り澄ました関係というか、他の人のためにとか協力とかは行わないでいます。
    それが、そのままのクラスではあっても”子供しかいない夢の世界”で改めて出会ったため、それぞれがすんなりと本心を見せることができます。
    そして自分たち子供だけで何をしようか、誰に何ができるかを考えて実行していきます。
    最後は学校のみんなが目を覚まし、おまけの時間から現実の時間に戻る自身がついたという合図で終わります。
    みんなで少しずつ他の人に興味を持ち、自分が何をできるか、人と一緒に何ができるか考えていけると、世界は生きやすくなるというお話。

  • ぼんやり賢くんが、授業中に夢を見ます。同じ教室の中だけれど、先生がいなくて教室の中はいばらだらけで動けない。他のクラスメートたちはみんないばらの中で眠っている。12時のサイレンが鳴るときに夢を見始めたはずなのに、目が覚めるのはそのサイレンが鳴り終わる時。次の日も同じ時間に同じ夢。やっぱり動けないので、その次の日はカッターナイフを持ったままほうづえをついていたら、カッターナイフを持ったまま夢の世界にやってきていた。自分の周りのいばらを切って、ついでにとなりの席のこのいばらも切ったら、次の日の夢ではその子が目が覚めた。一緒に前の席の子のいばらを切って…。毎日少しずつ夢の世界で目が覚める子の数が増えてくる。みんないつもの世界とは別人で、いつもよりずっと魅力的なクラスメート達。みんなで一緒に力を合わせていばらをとりのぞきます。
     最初は不思議な世界のお話ですが、このお話の一番心を動かされるところは、子供たちが1年生から6年生まで、大人の力を借りずに、自分たちの力を合わせて大きな仕事に取り組むことです。みんなが同じことをするのではなく、自分の力に応じたことをします。力持ちは力仕事を、小さい子ははしごを出してきたり、道具を運んだり。学校中の色んなところでそれぞれが自分の適所と自分の仕事を考えでそれをすることで、全体の仕事が進みます。大きな子が指示を出すこともあります。普段の学校では目立たなかった子が大活躍をします。でもヒーローはいません。みんながそれぞれの仕事をしている、そのこと自体にみんな満足です。そして、やり遂げたときの達成感!最後はほろりとさせられます。

  • 普段の自分とは違う自分を演じてたのがばれた時のちょっと気まずい気持ち、わかるなぁ。

    でも、演じてた自分もじぶん。なぜなら、要素が自分の中になければ演じられない。
    いばらとの戦いが終わって、ほんの少しかっこよくなったみんなをみてそう思いました。

  • 小学校時代の一時期、図書館に通う動機となったのがこの作品でした。この作品には、平々凡々な、とりわけ自分にコンプレックスを抱いている子供たちばかりが登場します。けれどそんな子供たちは、ひょんなことで遭遇することになった『おまけ』の時間で、新しい自分を発見・開拓していきます。『おまけ』とはなんて素敵な響きを持った言葉なのでしょう!けれどその『おまけ』は、お菓子にくっついている、時間の経過とともに存在すら忘れてしまうような軽々しいものではありません。むしろそれこそが宝なんだと思える『おまけ』です。子供たちが生きていく道に張り巡らされた茨に立ち向かう強さを得ていく、そんな作品でした。

  • 授業中12時のサイレンが聞こえてきたと同時に、賢は夢の世界に入り込んでいた。そこでは茨が四方八方に入り乱れており、教室のみんなの体に巻き付いていた。その日から毎12時に夢の世界に行けることを知った賢は、茨を切り体を自由にして周りの友達も茨から解き放つのだった。
    いつもと同じだけど何かが違う、そんな夢の世界で自由に動けることができたならどうするか。そこで目覚めたクラスメイトはいつもと違う感じがしたのは何故か。そう思うと茨が何を象徴するものかが見えてきます。
    夢だと思ったから素直になれた。夢だと思ったから格好をつけられた。夢だと思ったからいつもと違う自分になれた。つまりそれは現実世界ではそうできなかったとのこと。夢で体の自由を奪っていた茨は、現実世界にもあるのかも知れない。
    そんなことを考えさせる部分と、いつもの学校だけどいつもと違う学校、そんな異世界を子どもの力だけで切り開いていく冒険の楽しさが絶妙に絡み合っています。だから読んでいてまず楽しさがあります。どうやって茨を切っていくのか、目が覚めた子らとの連携、先生や親にはナイショの時間。そんなドキドキする気持ちを高めてくれるのは、冒険の舞台が学校という子どもたちにとって何よりの日常だからかも知れません。

  • この世界に行ってみたい。レッグウォーマーと手袋があれば、もう少し何とかなるし。
    あとがきがなるほどと思う。
    おまけっていいよね。S12

  • 小6の賢は、昼の12時のサイレンで別の世界にいることに気づく。そこではクラスメイトは皆、茨の蔓にまかれて眠っていた。次の日、ナイフで茨を切り開いた賢は、隣の席の明子の蔓を切って起こす。サイレンを機に毎日訪れる「おまけの時間」で賢は仲間を増やしていき…。
    『びりっかすの神様』と同系統のものがたり。人には普段見せていない一面がある。

  • なんでこんなにと思うくらい「転生もの」「異世界もの」があふれて溺れ気味の昨今。水底えぐるくらいの強烈な一石を投じる過去からの刺客・岡田淳の名作ですね。

    しかし「教室で茨にがんじがらめになりながら、自分以外のみんなは眠ってる」なんて、めちゃくちゃキャッチーなおはなしなのに……挿絵がシブすぎる……。

    見開きのページとか迫力あって好きだけど……80年代の出版だから仕方ないけど……挿絵を変えるだけで手に取る子はかなり増えそう。いや、これも古き名作の味なのでしょう。

    舞台は小学校。4時間目の途中、12時のサイレンを聴くと同時に、小6の主人公賢は瞬きひとつで異様な世界に飛んでしまう。場所はさっきまでと同じ教室なのに、先生の姿は消え去り、教室のみんなは眠ってる。何より異様なのは教室中をトゲだらけの茨が覆い尽くしていること。クラスメイトは茨に巻きつかれたまま眠りこけている。

    この世界(パラレルワールドの定義からは外れるのかな?)にはいくつかルールがあり…
    ○サイレンで始まりサイレンで終わる
    ○茨から解放されると、次の日のこの世界で目覚めることができる
    ○現実世界から道具や食べ物を持ってこられる
    ○世界の終わりのサイレンが聞こえると、現実世界のサイレンが鳴った時点に戻される
    などなど……

    あちらの世界では大人はいなくて、勘違いからはじまった「素の自分」をさらけ出せる環境でもある。
    現実世界ではあちらの世界の時間経過はなかったことになることもあり、便宜上「おまけの時間」と呼称することに。
    「おまけ」という言葉の甘みについての巻末解説
    もよかったです。

    広げようと思えばいくらでも広げられる魅惑の設定ですが、4年生ぐらいで読めるボリュームであっさりと終わります。
    その分テーマがぼやけることなくはっきりとしている印象もあったり。
    子どもの好きな非日常感とちょっとした背徳感がありつつも、大人が子どもに読んでほしいなと思う健全なテーマも共存していて、さすが岡田淳!といった感じの1冊。

    あとがきがイイですよね。
    みんな「現実」が生きづらいんですよ。体に巻き付いた見えない茨の棘は鋭利すぎて、もう血だらけなんですよ。
    今、転生もののラノベ読んでるのは、「現実」思い知らされた大人の方が多いのでは、なんて考えちゃうくらい。
    でも「転生して、異世界へ飛んで、チートな能力で世界の主人公になって幸せに暮らしました。めでたしめでたし。」・・・じゃなくて!
    向こうの世界での成長は現実世界で活かせよ!と。
    見えない茨は断ち切って進めよ!と。
    できることなら隣の人も茨から解放してやれよ!と。
    ある程度成長できたら、向こうの世界は閉店ガラガラですよ!と。
    シビアじゃないか岡田淳。彼らは茨を除去したらおまけ時間を満喫しようと思ってたんだぞ・・・。

    でも、これからシビアな現実と戦う子どもたちには、やっぱり「主人公、俺ぇ!」の異世界ものより、岡田淳の世界観を見据えてほしいと思っちゃうんですよね。

    そんな年寄りくさいことを考えちゃう面白味のない自分は、おまけの時間では消されちゃう存在になってしまったんだ・・・とも考えてさみしくなったり。

    とりあえず、シブい挿絵と共存しながらも惹きの強いPOPを書こうと思います。

  • 小さい頃に読んだ本を読み返した。
    懐かしかったしおもしろかった!
    これは買って損はないと思う。
    無関心な子供が増えてる現代の小学生には読んでもらいたい1冊だと言えます。

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著者プロフィール

1947年兵庫県生まれ。神戸大学教育学部美術科在学中の1966年に「星泥棒」を自費出版。西宮市内で小学校教師をつとめながら1979年に『ムンジャクンジュは毛虫じゃない』(偕成社)を発表。1981年『放課後の時間割』で「日本児童文学者協会新人賞」を受賞。教壇に立ちながら1年に約1タイトルのペースで作品を発表。数々の賞を受賞する。「こそあどの森」シリーズ(理論社)は国際アンデルセン賞オナーリストとなる。アジア各国では翻訳本も出版されている。岡田淳作品で読書嫌いが治った、本好きになったという人は多い。

「2008年 『人類やりなおし装置』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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