芸人人語

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  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784023319202

作品紹介・あらすじ

芸能人の薬物、新型コロナウイルス、安倍首相退陣、そして菅新首相誕生……話題となった出来事を取り上げながら、「言葉」「表現」「テレビ」について考える。世の中のあらゆる事象は、すべてつながっている。朝日新聞「天声人語」よりも深くて鋭い渾身の作。

感想・レビュー・書評

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    https://www.oricon.co.jp/news/2219182/full/

    太田光の新著『 芸人人語 』発売(2020/12/18) | TITAN
    https://www.titan-net.co.jp/r20201218

    朝日新聞出版 最新刊行物:書籍:芸人人語
    https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=22437

  • 芸人人語

    太田光著

    1.言葉
    家庭内虐待で亡くなった女の子の話。
    異常であると気付ける人間はその社会にはおらず、だから自分が所属してる社会でハタから見たら異常なことも、内側の人はその異常さに気づけない。
    事が済んでから、その事象は完全悪だったよね。って違う社会が騒いでも、当事者の社会はその異常さ、悪に気づけないものだ。
    だから自分の価値観は社会に依存せず自分で作っていかなければならない。
    自分が異常だと感じたものに【それは異常である】と意を唱える人間にならなければならない。
    そんな人間達が作る社会でないと、女の子は救えないし、その女の子も助けて欲しいと懇願できる社会だと認識できないだろう。女の子もまた、異常な社会の一員だから。

    2.罪
    ピエール瀧の麻薬逮捕から始まり
    笑いとは常識からスレスレで逸脱した部分を狙う事であるという帰結に持ってくる。
    なんか章の中で言ってる事がたくさんあって統一感がないのがちょっと読みにくいなって思った。
    あと理由はどうあれ、坂本龍一さんの言葉に批判から食ってかかる太田の感じもあんまり好きじゃない。
    確かに、【音楽に罪はない】って言葉は太田さんから見たら単純で思考停止してる表現だ!って思うのかもしれないけど、あくまで太田さんの考えです。ここで目的としているのは、音楽に罪はない、って語呂の良さと目を引くインパクトから読んだ人を魅了し自分の記事を買わせようという記者の思惑やらなんやらが入り混じったものだ。
    ここに真実はいらないし、セリフ言葉一つ一つにこうやって揚げ足を取る様に立ち回る太田さんのこの物言いは、なんか好きじゃない。
    麻薬をやれば面白くなるとか、教科書に載せられない様なもの(悪)だから魅力があるだとか、
    自分から言わせてもらうとそれは2流の笑いで。
    要は人の悪口とか下ネタとか言って手前の笑い取ってるだけの、程度の低い笑いだ。
    しっかり考えて場面ごとに応じたセンテンスを選べば、教科書に載ってる様な内容だけで十分笑いは取れるはずだ。そこには罪も悪も危険もいらない。
    太田さんの笑いはどうや罪や悪を孕む程度のネタらしい。
    ↑何書いても自由よね?!思ったこと書けないならこうやって感想をメモに残す意味もない。

    3.形
    やはり太田さんの文章の書き方はあっちにいったりこっちに行ったりで少々分かりづらい。
    それに時たま入れてくる汚い言葉がただただ汚い言葉として頭に入ってくるので少し不快な気分になる。
    さて自分も疑問に思った。数ある武将が天下一を取り合い、そして時は流れGHQマッカーサーによる統治が始まった後、そして今に至るまで。天皇という形はそれを維持してきた。歴史が流れる中で天皇だけはその形を変えずに来た。
    なぜか。欲を持たないから?ただそこにいるこ自体に意義があるから?
    むー不思議だ。

    4.存在
    5.芸人
    全然違う。見当違いだ。人を傷つけない笑いをとってみろってのはそういう意味じゃない。
    人の失敗を笑わない高尚な人は赤ちゃんが犬にベロベロ舐められて泣くシーンを面白いと思うのだろうって太田さん言ってるけどこれも全然違う。えなんでそういう考えになるのか。
    貧困な想像力って自分で自分のことを蔑むならなぜ貧困な想像力を伸ばそうと思わないのか。貧困な想像力のままあえて勝負しようとする太田さんのその考えは分からん。
    チャップリンって倫理的で高尚な人達が好む笑いなのか?じゃあ自分は間違いなく非倫理的で卑猥な人間だな。正直チャップリンの街の灯りが面白いって言ってる人のきがしれない。あれば映像技術の時代がチャップリンをいらんだだけだ。映像技術が進歩すれば目新しいものはなくなり面白みもなくなる。少なくとも自分は【目新しい】以外にチャップリンの魅力は分からなかった。

    太田さんのいうハイレベルな笑いのセンスを持つ倫理的な人達がこぞって好きな街の灯りに魅力を感じない。もちろん太田さんの人を傷つける笑いにも魅力を感じない。なら自分はどこに属するのか。太田さんのこの5.芸人は、視界が狭い気がする。漏れてる人が多すぎる。

    6.表現
    自分のお金で本を買って。
    そして最後まで読まなかったのはこの本が初めてです。
    人それぞれに好き嫌いがあるように、本に対してもそれが言えるみたいで。
    なんか分からないけど上手く頭に入ってこない文構成に感じてしまう。
    自分の文章読解能力が拙いのが原因なので、この本がダメだとか読みにくいだとかそういうこもを言うつもりはないのだけど。
    だから太田さんの言葉にならっていうなら
    高尚で頭のキレる人が好きなこの本は無能な自分には合わなかったらしい。
    5年後とかにもう一度手に取ってみたい。

  • ぼくも教養つけるぞ?

  • 太田さんの著作はこれが初めて。

    良かった点をたくさん書いて締めたいので、良くない点を先に書くと、まず、本の後半がコロナの話題ばっかで結構飽きる。

    そもそもこの本は2019年から2020年の期間で月一連載のエッセイを書籍化したもの。なので、半分過ぎたあたりからコロナの話題が始まるのだが、途中からこの話題一辺倒になる。本人も話題にするの辞めたいけど触れないのも違うとしてるし、且つ、月一連載なので新型コロナの状況にも多少の変化があるため触れられなくもないみたいなニュアンスがあるから仕方がない。この煮えきれなさみたいなものが、文の熱量として直に伝わってくる。ゆえにキレ味も少し悪い。これが一つ目。

    そして二つ目が、全体的に政治に触れた箇所は内容が薄いと感じた点だ。視点は面白いなと思うものの、揚げ足取りが多いなと思うことが多々あった。悪かった点は以上だ。

    良かった点はとても多い。これは厳密に本の評価ではなく太田光に発見したことと前置きしたいが、一つ目は、やはり引き出しが多くて話として面白いこと。

    毒のない優しいお笑いを求める人種が好むチャップリンを、代表作「街の灯」から設定や話のディテールを元に、チャンプリンの笑いに毒がないなんてとんでもないと言い、その他萩本欽一のコント55号や、はじめてのおつかい等の具体例を挙げ、論理を展開していく様は痛快だ。ここまでバラエティ豊かな引き出しを持つ人は、芸人で他に見たことがない。

    二つ目に、タブーを言葉にする努力を常にしている真摯な姿勢。

    太田さんは世間の顰蹙を買ってしまうキャラだ。しかし、ワイドショーに目をやると、世間の反応を意識し、自分のイデオロギーを曲げてでも迎合主義なコメントを徹するコメンテーターのなんと多いことだろう。太田さんは反論されることをよくも悪くも恐れておらず、本書では自分の考えを形にする気概にあふれていて、私はそういった姿勢を買いたい。

    三つ目に根っこにある優しさが感じられたこと。

    教師のいじめ問題に触れた記事は、この加害が本質的に誰にでも起こりえる現象であることを指摘していて、そういった言及も本当に色んな人が誤解し、一定数「そんなわけがないだろう」と太田さんを馬鹿扱いするだろうし、今までもされてきたと思うけれど、これをこのポジションにいる人が言ってくれることに視野の広さを感じる。なんと優しくていじらしいオッサンなんだろうと思う。

    芸人人語はまだまだ連載が続いてるようなので、2021年の選挙特番でのやらかしの解説を期待し、次巻も読みたいと思う。

  • この本は読み続けると思う。太田さんの主に芸に対する気持ちだったり姿勢を知れるので芸や太田好きにはお勧め。途中からコロナの話題が多くなり飽きもくるので自分に必要なところだけ読むのもあり。

  • たまに、若手のお笑い芸人が「太田さんの本読んでまーす!」とバラエティで話題に出しているのを見かけたりするけれど、バラエティにおける爆笑問題のテイストを想像して読むと予想以上にお笑い要素の少ない、時事ネタ漫才の「時事」部分を漫才要素抜きで話題にした内容で驚くのではないか、と思う。
    連載時期が連載時期なだけに後半ほぼコロナ関連の話で(太田さんのエッセイ類の中でもこの構造はかなり異色)かつて阪神淡路大震災やオウム事件が起きた時漫才の内容変更を余儀なくされた話なんかも触れられていて、それだけセンセーショナルな時期なんだと話題だということも、その状況下で締めはやはり志村けんのことになるところも、太田さんなりの思考が見えて興味深い。

  • 爆笑問題のラジオが好きで、特にカーボーイは毎週欠かさない。くだらないトークで盛り上がるのも好きだが、太田さんが時折熱くなって話し出す内容に、いつもいつも関心し、「この人は、いったい何なんだろう?」と思っていた。

    じゃあ著書を読めよということで、今回初めて、著書から太田光という人に会ってみた。

    テレビで大学教授に食ってかかる姿とは対照的に、その気持ちや思考は落ち着いていて、覚悟を持って世界を見つめ、挑んでいる。優しさと厳しさと純粋さと哀しさと、いろんなものが混ぜ混ぜの状態だけど、ああこの人は世界や人間を愛しているんだ、と思った。

    カオスな物事、予定調和を壊して混沌とする状態を楽しむ(楽しんでいるように、私は思う)本人の芸質と同様に、その愛は一辺倒の意味はなくカオスなのだけど、私はこの愛の形が大好きだ。

    恋人同士が、良いところだけじゃなく、悪いところ、良い悪いもない混ぜに、ただただ相手の存在を大切に感じ抱きしめていたいと思えることが、ままあるように、太田光という人は、自分が生きている世界と付き合っているし、命を生きている。

    とても面白く、支えになり、刺激され、尊敬する姿だ。

    ニッポンの教養というNHKの番組も大好きだった。あんなふうに、ディベートとは違う、共同登山のような対談を、もっと書籍化して欲しい。知れば知るほど、爆笑問題は面白い。

  • 2021年1月25日読了。

    P14
    <小林秀雄が語る柳田國男のエッセイ「山の人生」の親の子殺しから>
    民俗学だけではない。
    学問というものは、本来全てを言葉や数字で
    表すものだが、同時に言葉や数字にできないというもの、それを感じ取る感性を持たない者は学問など出来ないのだと強く言うのだ。
    科学的に説明せよ。とよく言うが、“科学的”という
    言葉ほど、非科学的な言葉はないと私は思う。
    科学的に説明出来ることはこの世界のほんのわずかだ。逆に言えばだからこそ、科学という学問が存在する。科学の周りを科学できないものが包んでいるのだ。科学とは、“問い”だ。問わずにすむようなわかりきった世界なら科学はもう必要ない。

    P16
    <“どうにかできませんか”の相談をし、
    自殺した少女・家族の話から>
    システムやルールを変えればおそらく環境も改善されるだろう。システムやルールとは、言語化され、
    数値化された、科学だ。
    しかし、我々が問い続けなければならないのは、
    科学の中に存在する人間の中の、言葉で言い表せない部分だ。改善された環境にいる人間の中にある、
    論理的に説明できない残虐性だ。
    外側を変えても人間の内側は変わらない。
    ルールを作り環境を整え、安心した瞬間、
    私達は異常な世界の入り口に立つことになる。
    これで大丈夫なはずだと、言葉に出来ない部分を
    見なくなるからだ。

    P22
    私には彼らが(ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディラン)ドラッグをした事実よりも、
    彼らの作り出した音楽そのものの方がよほど罪深いと感じる。彼らの音楽は確実に人を悪くした。社会や宗教の提示する倫理におさまらないものを表現したのではないか?だからこそ魅力的で人々は魅了されたのではないのか?でも同時に、彼らの音楽は聴く人を悪くしただけではなく、表現する自由、生きる自由、生きていく力、を与え、今も人を感動させ続けている。強い表現は人を生かしもし、殺しもする。罪深い作品ほど、人は惹かれるものだ。

    P26
    何が言いたいのかわかりにくかもしれないが、
    要は真っ当な人間が創ったものよりも、堕落し不道徳で狂った人間が創ったものの方が人の心を打つということは、いくらでもありうるということだ。

    P29
    残酷ではあるが、全ての判断は大衆の側がするものだ。

    P36
    そもそも神道は、他の宗教のように教えようとしていない。説明されることを拒んでいるのだ。言葉で理解されるのを拒否しようとしている。理解されたくない、と言っている。「言挙げ」というのは「言葉にして表明する」ことだが、神道はこれを恐れる。
    議論なしに伝統を続けることは「思考停止」という意見もあるが、思考停止が必要なことも世界には存在する。

    P37
    名優と言われる人たちの本を読みあさっていた時期がある。宇野重吉、滝沢修、チャップリン。それぞれの演技論があるが、全てに共通していたのは、
    「感情で芝居をするな」ということだった。
    「まず形を決めろ。感情より形を優先させるな」
    その名優もこう言っていた。

    P41
    この国がずっとこだわってきたのは男か、女かではなく、「父親の形」を感じることなのではないだろうかと思う。性別ではなく「父」という「形」。
    〜だとすれば「形」は「血」や「遺伝子」すら超越する。


    P47
    ピカソ“難しく考えるな。何だっていい”

    「自分は、チャップリンの立場も好きだが、
     作品も好きだ」

    P59
    チャップリンは実にしたたかで冷酷で、だからこそ優しさを表現出来る芸人だ。人を傷つけないものを創ろうなど一ミリも考えていなかっただろう。そんな心配は無用だ。天才とはいとも簡単に芸でお客を騙せるのだ。

    P63
    立川談志は、「落語とは業の肯定だ」と言った。

    ★P78
    「表現」とは覚悟であり、なりふり構わない態度であり、自分の恐怖心を伏せて人に笑顔を向ける勇気であり、道化に徹する決意であり、信念を捨てる柔軟さであり、捨て身で本心を晒す姿勢であると、私は思う。

    P81
    本・「お前はただの現在にすぎない 」

    P89
    <ウルトラマンセブンのとある回に込められた
    社会的メッセージに触れて>
    それでもずっと私の中に直接何かを話すより、物語に変換して喜劇を演じたいというジレンマがあった。物語にすることでこそ、「芸」なのではないか?と。

    ★P102
    「無限に存在する工夫の自由」こそが
    私にとっての「表現の自由」だ。

    P114
    萩本さんは、「人間が本気で困っている様を見て
    はじめて客は笑う」という信念を貫いた人だ。

    ★P232
    司馬さんは歴史を「それは、大きな世界です」と言う。「かって存在した何億という人生がそこに詰め込まれている世界なのです」と。そして司馬さんは歴史の世界の中にたくさんの友人を持っていると書く。「そこには、この世では求めがたいほどに素晴らしい人たちがいて、私の日常を、励ましたり、慰めたりしてくれているのである。/だから、私は少なくとも2千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさはーもし君たちさえそう望むならーおすそ分けしてあげたいほどである」と。

  • お笑い芸人、太田光のコラム。エッセイというよりは、コラムだと思う。

    エッセイとコラムの違いって何だろうと思ってたけど、一番これを感じたかも。

    連載してた時期がコロナの流行り始めた時期に直撃したというのもあるが、少し説教臭かった。その割には、内容としてハッとさせられるようなものも少なかった印象。コラムのような形式を取るなら、もっと主張にエッジが効いていてほしい。あんまりマーカーをつけたところがなかった。

    後、話が凄く飛ぶ。編集者よくこれでOK出したな。まぁこれが太田節なのかもだけど。話を戻そう、みたいなフレーズが頻発する。ぺこぱか。

    意外と繊細そうだったのが一番の驚きかな。この感想文もエゴサして読んでそうな気配すらある。

    悪い人ではないし、太田のことを少し好きになれたけど、作家としては自分に合わなかったなー

    以下、良かった箇所

    小林はこの話を書き残した柳田を尊敬するという。民俗学というのは、こういうことを感じる感受性を持たなければ出来ないのだ、と。民俗学だけではない。学問というものは、本来全てを言葉や数字で表すものだが、同時に言葉や数字に出来ないもの、それを感じ取る感性を持たない者は学問など出来ないのだと強く言うのだ。

    太田 光.芸人人語(p.12).朝日新聞出版.Kindle版.
    →いいことば。太田のことばではないけど


    国の芸能は、まさに「形」を継承してきたものだ。

    太田 光.芸人人語(p.33).朝日新聞出版.Kindle版.
    →宗教はことばがありきである、という前置きから。これは気づきがあったいい主張

    安倍総理の、これ以上ないほどの楽しそうなツーショット写真がほじくり返され、「ほら見ろ、やっぱり太田はこの様だ」と、罵られ、現在の私は「権力に弱い元左翼芸人」といった位置づけになっている。不愉快きわまりない。

    太田 光.芸人人語(p.107).朝日新聞出版.Kindle版.
    →意外とこういうの気にするのね。可愛いところある。

  • 時事ネタの漫才をやり続けて、政治やニュースにも臆さず斬り込む、けどいざバラエティーに出れば手に負えないおじさん的な、独特な雰囲気を持つ芸人、爆笑問題の太田光さん。
    先日、たまたまyoutubeで「爆笑問題のニッポンの教養」を見て、太田さんの視点にハッとして、感銘を受け、改めてファンになってしまいました。太田さんの思想や笑いに触れたくて、ラジオを聞いたり、動画を見たり、そして、この「芸人人語」という本を手に取りました。
    この本は雑誌「一冊の本」での連載が掲載されているものです。その本を読んで、私が感じた三つのことを書きました。


    ①感情から入るのではなく、形に感情が宿る、命が宿る。
    ——
    (本文一部抜粋)
    まず「形」が決まる。その後に言葉や思考がその形に注ぎ込まれる。生物学的にもそうだろう。初めに「体」ができ、「思考」はその後だ。
    神社に参拝するときに重要なのは、例えば二礼二拍手一礼と言った形式である。
    神職が唱える祝詞は、神に豊穣するもので、人に向いてはいない。祈祷で重要なのは形式だ。
    演技においてもまず形を決める。そこに感情を宿す。
    ——
    50年前と今の生き方の一番大きな違いって、私は「選択肢」の多さだと思います。普通の世間が敷いたレールにのって会社員をやってもいいし、自分で会社を立ち上げてもいい。故郷に住んでも、東京に出ても、縁もゆかりもない土地に引っ越しても、海外に住む選択肢もあります。
    例えば、野茂英雄がアメリカの大リーグに行くと決めたとき、当時「無謀」と言われた大リーグでプレーするもいう選択肢は、今なら「あなたの自由」「そういう選択肢もある」と言われるだろう。前例もあるし、経済的にも、政治的にも、あらゆる選択肢をとることへのハードルが低くなっています。それは過去に多くの人が様々な成功のレールを残してくれたことと、その記録を世界中で見ることができるテクノロジーがあり、情報は誰でも簡単に手にとることができます。
    今は、選択肢がたくさんあるからこそ、無駄に考えてしまう。「自分の本当にやりたいことはなんだろう」「自分に向いていることは?」、何が最適解なのか。そもそも最適解を取る必要もあるのか。
    でも、考えても答えなんて出ない。自分に向いているか。自分のやりたいことは何かなんて、やってみないとわからないし、やってみてもわからないことも多いです。そんな中で自分の運命を受け入れ、形から入って、その中から自分らしさを追求していくのだと、改めて思うことが出来ました。もっと事は単純なんだということを短い言葉でこの本を通して伝えてくれているように思います。



    ② 自分が好きなものに出会うことはそれを好きな自分を好きになること

    川崎の20人の殺人事件の話で、犯人は最後に自殺をしてしまうのだが、「一人で死ねばいい」という世論に対して、太田さんが持論を述べています。
    最後にこの犯人は大量に人を殺した後に自分の命を経つ。なんで一人で静かに死なず、沢山の人を殺す必要があったのか。それは自分の命を大切に思えなかったから、だから他人の命も大切に思えなかったのではないか。
    太田さんは高校時代、食べ物の味も感じなくなるほどに、無感動になり、無気力、そしてこのまま死んでしまってもなんとも思わない、そんな時期があったそうです。
    その時に彼に感動する気持ちを宿らせたのは「ピカソ」の作品だったそう。
    それまでも好きなものはあったけれど、本当にそれを好きかどうか自信を持てなかったという。ただ、それが好きな自分に自惚れているだけなのではないかという想いがあったそう。
    だけどピカソの作品に出会った時に、好きなもの、感動するものを感じれる自分を愛していいことに気がついたという。
    私はこの話にすごく共感しました。先日、青森の美術館に行ったんです。私は美術館に行くのが好きです。でもアートだ、歴史だ、ということは全くわからない。だけど、休みの日は何をしているんですか?と聞かれて、「美術館」といえばなんだか大袈裟な感じがしてしまいまが、現代アートの奈良美智の作品を、青森のは空いている美術館で独り占めのようにみられてとっても嬉しかったのは本当です。
    だけど、アート作品はネットで自宅でも見られるし、奈良美智が描いたブスったれた子供の絵を見て喜んでいる私は、奈良美智の作品を見た自分に酔っているだけなのかとつくづく思い、好きだなと思う気持ちに自信を持てずにいました。だって、奈良美智の本質なんて全然わからないし、作品の背景だってなんとなくしかわかっていない。
    ただ、太田さんの本を読んで、「ああ、私は美術館を楽しめる自分が好きなんだ」って開き直っていいんだって思ったら、もっと純粋に作品を楽しむことができました。



      
    ③先生どうにかできませんか?

    「先生どうにかできませんか?」この言葉は、千葉で虐待をされていて亡くなった少女が先生に書いた言葉です。太田さんはこの小学四年生にしては大人びた書き方から、この子の置かれた状況や気持ちを推測しています。
    虐待をしていた両親を人の心のわからないモンスターのように取り上げて罵ることは容易に出来たでしょう。太田さんはそれは誰の心にも起こり得るし、自分の中にもそういう一面もあるかもしれないというところから考え始めます。
    社会で起きたことを、切り取って、「そんなのあり得ないだろう」「私だったら、そうしない」「普通じゃないことが起きた」という言葉で片付けてしまったら、きっとこれからもこういう悲しい事件が起きてしまうだろうと思います。
    これは社会のニュースでも、会社の出来事でも、電車の中でも、自分が同じ状況だったらどうするだろうということ。そこにいろんな思慮が溢れているし、受け取り方と見方によって、その言葉を受け取った誰かを簡単に傷つけてしまうこともできるし、状況を知ろうとする過程でたくさんのことを学ぶこともできる。
    「芸人人語」は爆笑問題 太田光さんの考えていることの一部が垣間見れる本ではあるが、それはラジオでも、番組でも、著書にも見ることができる。そしてそれは一貫している。それが間違っているかもしれないということも前提において、一貫している。

    とても読みやすく、短時間で読むことのできるエッセイになっていて、重くならず、軽く読むことのできる一冊です。

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著者プロフィール

一九六五年埼玉県生まれ。八八年に田中裕二と「爆笑問題」を結成。二〇一〇年初めての小説『マボロシの鳥』を上梓。そのほかの著書に『違和感』『芸人人語』『笑って人類!』などがある。

「2023年 『文明の子』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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