- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022951533
作品紹介・あらすじ
哲学者のウィトゲンシュタインは「すべての哲学は『言語批判』である」 と語った。本書では、日常で使われる言葉の面白さそして危うさを、多様な観点から辿っていく。サントリー学芸賞受賞の気鋭の哲学者が説く、言葉を誠実につむぐことの意味とは。
感想・レビュー・書評
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一冊まるまる、面白かった。
中でも、娘さんの奇妙な言葉遣いから、どうしてそのような言い方になるのか、大人はそうは言わないのかを、愛おしみながら探る話が幾つかあって、とても良かった。
コロナ禍における、イメージのしにくいカタカナ語の氾濫。けれど、単純に日本語に置き換えれば良いわけでもない、難しさ。
「自粛解除」のように、言葉の意味を考えるとおかしいことが、メディアを通してまかり通っていく。
言葉は思考の枠組みを決めている。
「発言を撤回する」ことが根付く社会では、コミュニケーションの在り方もまた、変化するだろう。
「言葉を哲学する」意味の、面白さと不安が両方書かれていた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『理由を問い、それに答える、という対話の場が確保されていることは、私たちの社会にとって決定的に重要である。為政者による理由の説明の拒否を市民が許すことは、自由と主権をみずから手放すことに直結する。逆に言えば、私たちが専制的な社会を望まないのであれば、常の為政者に対して応答の義務を課し、それを果たすよう求めなければならないということだ。』
期待以上に踏み込んでいて良かった!
私も言葉(思考にせよ発話にせよ)という大きな力を持っているのだなと勝手に励まされた気分。
もちろん、それはどの言葉で考え、どの言葉を口にするか選ぶ責任の重さを痛感することでもあるけれど。
コロナ禍での「自粛要請の解禁」なんていう言葉も取り上げられており、新鮮なうちに読めたことも嬉しい。 -
言葉は生活であり、社会であり、そして政治だ。言葉が劣化すれば政治も劣化する。がんばれジャーナリスト。
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言葉にして伝えるって難しい。何気なく使っている言葉の定義や語源を十分に理解することなく、気づけば軽い気持ちでコミュニケーションをとっている自分がいる。人と会話する機会が増え、コミュニケーションがフラットになりつつある今だからこそ咀嚼するように読み直したい新書。ウィトゲンシュタインの「言語批判」をベースに、日常的に使用される言葉の側面について深く考察がなされている。
p125
ステレオタイプで話すというのは、何でこんなに楽しいんだろう。
この一文は全体を通して最も印象的だった。言われてみれば、日常生活においてカテコライズを通して物事を単純化したり、あるいは相手に伝わりやすいように比喩を用いたりする。この行為自体が絶対的に悪というわけではないが、このような"わかりやすさ"にはミスリーディングな理解・伝達を誘発したり、最悪の場合、差別・排斥といった形で人を傷つけてしまうことすらある。
p281
私たちの生活は言葉とともにあり、そのつど表現と対話の場としてある。言葉を雑に扱わず、自分の言葉に責任をもつこと。言葉の使用を規格化やお約束、常套句などに完全に委ねてはならないこと。これらのことが重要なのは、言葉が平板化し、表現と対話の場が形骸化し、私たちの生活が空虚なものになることーひいては、私たちが自分自身を見失うことーを防ぐためだ。
単に語彙力や読解力を高めれば良いという話ではなく、多様な言葉のもつ多様な側面を見渡し、他者との対話を重ねていく中で「言葉を哲学する」こと。批判的な精神をもって探究を続け、言葉に対して責任を負える人でありたい。 -
古田徹也(1979年~)氏は、東大文学部卒、同大学院人文社会系研究科博士課程修了、新潟大学教育学部准教授、専修大学文学部准教授等を経て、東大大学院人文社会系研究科准教授。『言葉の魂の哲学』(2019年)でサントリー学芸賞受賞。専門は現代哲学、現代倫理学。
本書は、2020年9月~2021年5月に朝日新聞に連載されたコラムのテーマをベースに、内容としては大半を書き下ろしたもの。
内容は、私たちが今、日常の生活の中で使っている様々な言葉について、それらの持つ多様な側面を考察した(著者はその行為を「哲学する」と表現している)ものであるが、34に分けられたテーマは、新聞連載から取られていることもあり、常日頃感じていることも多く、とても興味深いものとなっている。
私が面白いと思ったのは、例えば以下のようなテーマである。
◆近年若者がよく使う「○ガチャ」という言葉について
◆「まん延」、「ちゅうちょ」、「あっせん」、「ねつ造」、「改ざん」、「ひっ迫」等の平仮名書き、漢字との交ぜ書きについて
◆特定の障害のある人や在日外国人にも習得・理解がしやすいように調整された、いわゆる<やさしい日本語>について(人工的な共通言語は、G・オーウェルの『1984年』に登場する全体主義国家の公用語「ニュースピーク」に通じることに注意が必要である)
◆対話の「当意即妙さ」、「流暢さ」は言語実践において称賛されるべきことなのか
◆自由で民主的な社会において、「なぜそれをしたのか?」という問いに政治家が答えないことをどう考えるか
◆政治家・有名人が謝罪会見で使う「私の発言が誤解を招いたのであれば申し訳ない」、「ご心配をおかけして申し訳ありません」、「私の不徳の致すところで・・・」等は謝罪の言葉といえるのか
◆「スピード感」のような「○○感」という言葉について
◆氾濫するカタカナ語をどう考えるか
◆性差や性意識にかかわる言葉(「母」のつく熟語、「ご主人」、「女々しい」、「彼ら」等)をどう考えるか
◆コロナ禍で現れた「新しい生活様式」、「自粛を解禁」、「要請に従う」等の言葉をどう考えるか
◆政治家がよく使う「発言を撤回する」ことはできるのか
読了して、改めて、言葉の大切さ、「<しっくりくる言葉を慎重に探し、言葉の訪れを待つ>という仕方で自分自身の表現を選び取り、他者と対話を重ねていく実践>」の重要性を認識することができた。
(2022年1月了) -
言葉は言葉でしか理解出来ないから言葉って伝わっているか分からない
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その人が話す、使う言葉が、思考の解像度を反映して、価値尺度は露になる。だから、泥臭く読書をして言葉を手にしていくこと、磨いていくことは尊う。そもそも不完全なコミュニケーションの精度をそれでも上げて、伝える技術、言葉を運用していく作法を手にしようともがくこと。
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哲学そのものの本ではないが、哲学する~考える、批判するが十分に堪能できた。
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古田先生のエッセイ.こういう知性を磨いてきたひとの雑談みたいのは面白いね.どんなふうにそれぞれの言葉や語が使われてるかよく考えようね,じゃなくて,どの言葉をつかうかよく考えて選ぼうね,のほうに行くところが古田先生の面白いところで,私なんかにとっては意外なのである.
あくまでエッセイであって,きちんとした議論がある本じゃないから,自分の不満や苛立ちを正当化してくれるものとして読まないように注意しなきゃいかん.「新しい生活様式」とか「自粛要請」とかの章は,読んでて何も考えずに頷いてしまいそうになる.
3章あたりで紹介されてた国立国語研究所の資料も面白い.
https://www2.ninjal.ac.jp/gairaigo/
https://www2.ninjal.ac.jp/gairaigo/Report126/report126.html