- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022950635
感想・レビュー・書評
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京都という業の書.京都至上主義,あるいはある種の原理主義が純化することで辿り着く末路は推して知るべし,半分笑い話と受け取りたい.純化によって保たれる世界もあるだろうが,進路選択を諦めさせられる洛中に生まれた次代達の行には寂しさを覚える.高等教育機関は技術伝承ではなく,知見の有機的体系化とその運用にこそ価値がある.その否定では,伝統にだけ縛られ時間に取り残される.自分達の将来可能性を信じられなければ,子供に家業ではなく研究業を選ばれるのは自然だ.
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大ベストセラーの『京都ぎらい』に続く姉妹編。千年の都、 ことに洛中に住む京都人が見下している「東京」との関わりを取り上げ〝京都至上主義〟の人たちに、もう一太刀浴びせようと気を吐いた『東京ぎらい』ならず『京都まみれ』の巻 ▷東京への出張を「上京」ではなく「東下り」と公言 ▷地方創生事業として「文化庁」の移転先を京都とすることに、京都は「地方」にあらずと、「地方」から「地域」に事業名を変更させる▷天皇一家御在所の京都復帰を表明 ▷京丹波、京丹後、京田辺の出現を皮肉る「洛中京都」など、意気盛んな京都を痛烈風刺。
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いろんなとこからお声かかったけど、結局、
前作『京都ぎらい』の出版社から出した第2弾。
洛中至上主義の京都人は好かんけど
他県と比べられたりするときは
京都愛を感じるという著者。
まぁ、そういうものですわなぁ。
文化庁の移転が決定したり
天皇退位後のお住いとしてささやかれたり
なんやかんやあった最近の京都の話と
で、東京のことはどう思ってんの?という話と
老舗に関する由無しごとが綴られておりました。 -
(借.新宿区立図書館)
『京都ぎらい』の続編。基本は京都的なものを論じる裏返しの京都論なのだが、今回は東京との比較あるいは地名から論じている。とはいえ地名は一筋縄ではいかないもの、細かいことを言えば西京区のところで奈良の西ノ京はどうなのだとか山口あたりが西京を称する理由とか、東京の文京区については全国各地にある文京町はどう考えるとかが書かれていない。そもそも京都至上主義者としてたびたび言及される梅棹忠夫の先祖が江戸末期に近江・琵琶湖の北端菅浦から京都に移り住んだことにも触れていない。あと新宿が東京代表的地名の一つとなっているようだが、もともと新しい宿場の意味の普通名詞だし(都内にも「にいじゅく」が別にある。そもそも「京都」自体が普通名詞だし、その辺から解いていくと大変なことになりそう。
まあ、そんなそもそもは置いておいて、「京都」周辺の京都人が「京都」をどうみているかの論としてはなかなか面白いけど。(「京都」の区別については本文参照) -
京都府や京都市ではなく、「京都」とはいったいどこからどこまでを指すのか、文化庁が京都に移転すること、老舗の子息は京大に進学すると気の毒がられること等。京都にまつわるエッセイ。
「京都ぎらい」の続編。洛中の人を揶揄する姿勢は変わらない。「京都ぎらい 官能編」よりは面白かった。洛中の北限は、1.姉小路通 2.御池通 3.丸太町 という三つの説が登場するが、旅行者としての実感は3だと思うがどうだろう。