学校ハラスメント 暴力・セクハラ・部活動ーなぜ教育は「行き過ぎる」か (朝日新書)
- 朝日新聞出版 (2019年3月13日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022950123
感想・レビュー・書評
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考えさせられる内容であった。
学校はやはり特殊で、ある意味異質な空間だな、と
最近よく思う。
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「学校ハラスメント」でイメージされるものだけでなく,様々なハラスメントが取り上げられていて,考えさせられた。児童・生徒も教師も加害者にもなりうるし,被害者にもなりうる。ハラスメントは多角的に考えていかなければならない問題だと思う。
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学校現場に改革をもたらした内田氏の本。
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一歩学校の中に入るとあまりに一般社会の当たり前が通用しない異常な世界で驚くことばかり、というのが子供を現代の公立に入れた親としての私の本音だ。校舎というハコの見た目は40年前から変わらないけれども、中身の異常性は増している。
教育学部の学生の頃はまともだったとしても、ひとたびこの異常な世界に入り「先生、先生」と呼ばれ始めると、まともでいられなくなるのかもしれない。教壇に立つ気持ち良さや、人に教育を施すというその形式がハラスメントを内包していることを作者は経験から実感している。それが学校の問題が個人の異常性ではなく構造的な問題と言われる所以だろう。
「体罰」という言葉も撲滅したい。罰という言葉遣いはまるでこの暴力の原因が相手側にあるかのようで卑怯だ。体罰なんかじゃない、単なる教師の気分次第の暴力だろう。
異常な先生などいないという前提で教育がなされる。そんなわけないことはみんな分かっているのに、先生と名がつく人はみんな高潔な人格者だって前提で成り立った世界を崩せない。
この本によると、2013〜2017年の公立教員の処分件数は体罰が6865件と圧倒的なのに、懲戒免職はゼロ。これが許されるのが不思議。体罰によって生徒は骨折・捻挫・鼓膜損傷とそれなりの被害があるのに、「行き過ぎた指導」の一言で何事もなく教師を続けられるこの環境。
懲戒免職になるのは、わいせつと学校外の暴力・傷害、飲酒運転、公費のみだ。
つまり、学校外で人を殴れば職を失うが、学校内で生徒を殴るのは教育的指導だからペナルティがないのだ。異常でしょうよ、これ。
暴力も暴言もわいせつもも全て「教育的指導」という言葉で覆い隠されてしまう異常な世界。
もはや、この学校という治外法権がまかり通るハコの中で親和性高い人のほうが社会に出た時ヤバイのでは、と思うレベル。大きな社会問題。日本人に幸福感が低いのも自殺が多いのも教育問題と言えると思う。一刻も早く学校を解体して、教育方法そのものを変えないダメだな。 -
将来が暗い。とことん教育って頭おかしい世界だなぁと思う。痛いことやしんどいことを、理不尽に行うことに意味はあるのか?それに意味があると思っている人間のほうが実は多数派なんだろうか。
部活動加入強制に地域差があるというのも気になった。 -
● 2001年に児童殺傷事件があった附属池田小学校。総工費約20億をかけて、壁面がガラス張りの体育館を始め、視認性の高い空間へと様変わりした。校舎内には非常用押しボタンが314カ所、警報ブザーが105カ所設置されていると言う。
実はその小学校に、巨大組体操の普及拠点である関西体育事業研究会の事務局が存在していた。
●教育界は暴力に甘い。その理由は、暴力は「効果抜群」だからである。 -
good