ミッションスクールになぜ美人が多いのか 日本女子とキリスト教 (朝日新書)

  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022737953

作品紹介・あらすじ

【文学/日本文学評論随筆その他】局アナ、CA、読者モデル界でキリスト教系大学出身女性たちの活躍が目立つ。「美人論」の井上が提起したキリスト教と美人の関係を、川村は日本のミッション系女子教育が採った才色兼備路線が成功し、郭は日本に流れるキリスト教への憧れを検証して、新文化論が誕生。

感想・レビュー・書評

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  • 【日本女子とキリスト教】局アナ、CA、読者モデル界でキリスト教系大学出身女性たちの活躍が目立つ。「美人論」の井上が提起したキリスト教と美人の関係を、川村は日本のミッション系女子教育が採った才色兼備路線が成功し、郭は日本に流れるキリスト教への憧れを検証して、新文化論が誕生。ーーー

    井上の薄っぺらな第1章は、厚かましくも女性ファッション誌の学生モデル数のみを根拠にミッションスクールの3K(かわいい、金持ち、キリスト教または賢いの頭文字)を論じていく。ある程度予想の付く調査なのに、長々と要らぬ説明をつけるから余計胡散臭い。川村や聖心、白百合、昭和女子大などは学校方針でファッション誌などで学校名を出すと退学の恐れさえあるというデータの限界についても言及するも、この程度の資料価値しかないことを自ら認める。
    郭担当の第2章は、学生から社会人の就職先に視点を移す。果たして、何をもって成功とみなすかということだが、アナウンサーとCAを選択したのは妥当なところか。とはいえ、多くの商社は自社の嫁さん対策で美人学生を採用している噂もあるので、この辺にも目配りしてほしかった。キリスト教系大学で一番早く日本で開校したのがフェリス女学院大学(1870年)だったのは初めて知った。
    第3章4章を担当した川村からやっと新書らしい読み応えのある内容になる。ここでは、キリスト教イメージの変遷やお嬢様感を醸成したカトリックについて展開する。曰く、「キリスト教と結びつく美人とは、単にヴィジュアルがいいというだけではなく、貞操や貞淑という要素も深く関与している」「日本人の持つ拝欧意識(高級、上流)と相まってキリスト教に対して漠然とかわいい、金持ちという意識からある種のあこがれへと変遷」などの考察が面白い。
    お嬢様に興味がある方は一読を。

  • 解り切った事なのだが読んでしまった。

  • キリスト教が普及していないのに、ミッションスクールが溢れる不思議。明治の昔から、良家の子女が教育を受ける場として機能してきたため、今もブランド力がある。今でいうインターみたいなものかな。カトリック系とプロテスタント系で校風が違うのが、個人的には発見。

  • 不思議なことがありました。
    しばしばカーリルで「神奈川のどこにあるか」調べていたら
    真っ先に日体大の二つのキャンパスにおかれたのです。
    この3か月間に貸し出し中になったことがなくもないけど、
    おかれてしばらくは誰にも借りられることはありませんでした。

    今回やっと手にしても「なぜ日体大に?」と思う内容。
    日体大の学生さんで読んだ方がいらしたら
    ぜひ感想をきかせてほしいです。

    国際日本文化研究センターの井上章一教授による
    「プロテスタント校はあなどれない
    ―読者モデルを量産するわけ」
    郭南燕准教授による
    「ミッション系大学の成功物語
    ―なぜ女子アナの多数を占めるのか」
    も面白かったけど、
    川村信三上智大教授のところ、
    一番夢中になって読みました。

    明治になったからといって、簡単にキリスト教が普及するわけではないんですね。
    鹿鳴館で欧化を謳いながらも、その文化背景としてのキリスト教を牽制し、影響力は極力排除しようとする明治政府。
    さまざまな努力で「淫祠邪教」というネガティブイメージを払拭できたものの
    「貧者と弱者の宗教」というイメージが強すぎたり。
    「教育勅語」「文部省訓令十二号」による逆風がふいたり。

    ところが突然、日本社会のほうからカトリックに接近するという事態が発生!
    きっかけは、なんと日露戦争勝利!
    日露戦争、マイブーム!

    〈もちろん、勝利であっても実際には辛勝であり、あるいはアメリカ合衆国の仲介がなければ戦争継続は困難な状態であったが、国民は世界列強の一角であるロシアに対する「勝利」に酔いしれた。
    大国ロシアに勝利をおさめるなどということは、たとえてみれば、サッカーワールドカップで決勝戦に進むぐらいのインパクトが日本人の中にはあっただろう。
    そのとき、日本人は「列強と肩をならべた」「今後はヨーロッパ的な生活を実現できる」「日本は列強の一員だ」と思ったかもしれない。
    そうした風潮が、明治以来地道に活動を広げていたキリスト教系の教育機関に直接間接の影響を与えた〉

    そのころから「宗教部分を抜いた」「羽目をはずしていい」「大騒ぎの祭りとなる」「世俗的な」(愛と狂瀾の)クリスマスが日本に定着していったということ。

    〈「世俗的」クリスマスはこれまで「キリスト教」に対していだいていた偏見や遠慮といったものを次第にうすめる契機となった。
    これは、「邪教」から、「貧者に寄り添う」というカトリックのイメージから、さらに「諸外国と結びつく契機」であるととらえる心情を後押ししたということである〉

    「日露戦争とクリスマス」がこんなに関係があったなんて思いもしなかった。
    そうすると冒頭に書いた「日体大とミッションスクール」の関係も
    何か重要なものがあるのかもしれないと思った私。

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