あちらにいる鬼 (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022650177

作品紹介・あらすじ

父・井上光晴、母、そして瀬戸内寂聴をモデルに、逃れようもなく交じり合う三人の〈特別な関係〉を、長女である著者が描ききった衝撃の最高傑作。朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞、週刊現代、週刊朝日、女性自身、週刊ポストほか各紙誌で大反響の問題作いよいよ文庫化。一九六六年、講演旅行をきっかけに男女の仲となる二人の作家、白木篤郎と長内みはる。繰り返される情事に気づきながらも心を乱さない篤郎の美しい妻、笙子。みはると笙子、二人の愛と〈書くこと〉に貫かれた人間たちの生を描ききった傑作。至高の情愛に終わりはあるのか?瀬戸内寂聴さん絶賛!モデルに書かれた私が読み 傑作だと、感動した名作!!作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった。五歳の娘が将来小説家になることを信じて疑わなかった亡き父の魂は、この小説の誕生を誰よりも深い喜びを持って迎えたことだろう。作者の母も父に劣らない文学的才能の持主だった。作者の未来は、いっそうの輝きにみちている。百も千もおめでとう。--瀬戸内寂聴

感想・レビュー・書評

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  •  読了し今敢えて言えることは、作品のモデルは、必ずしも真実ではないということ。モデルになった人たちは既に他界しており、故人の名誉を毀損するようなことは書きたくない。微妙な関係で繋がってきた三角関係は、不道徳な行為が作品に書かれていたとしても本人とイコールではなく、デフォルメによって成り立っているということが、この作品の大前提です。

     ネットで検索すると、関連するブログや広告が嫌というほどヒットする。この作品の人気度が窺える。

     物語は、気鋭の作家白木篤郎をめぐり作家みはると妻笙子が語り部となって構成され年代を追ってほぼ同時期に心の内に秘める思いを吐露しています。

     白木の性格は、大風呂敷を広げて見栄を張り注目を集めるのが好きなようだ。女性ファンが多く親密な関係を築いてしまう。みはると白木の出会いは、講演旅行がきっかけで、それ以前は名前だけ知っている間柄だった。

     みはるが白木に魅力を感じたのは、彼の短編小説を読み終えた後、胸がざわつくのを感じ、自分もこんな風に書けるようになりたいと思ったのと白木そのものである。

     白木の行動は、笙子がだいたい把握していた。随行をしていたわけではなく、家で彼の帰りを待っていた。自宅には、出版社等から文芸雑誌が届いていた。
    当時巷で話題のみはるの著作を読みかけたが、篤郎に止められた。元々国語教師だったので、作家の真意まで読むことにたけているという自信があるそうだ。一方白木の著作は、彼がノートに下書きし妻が清書している関係で全て読んでいる。しかし、笙子には夫の私生活を微塵も読み取れないのだ。

     白木の女性関係の不始末を、笙子に対処させていた。その無頓着ぶりには閉口するが、妻の不満が爆発しない。離婚という選択肢もあったのに…。僕には、笙子が「耐える女」という印象が強く篤郎を愛さずにはいられない存在だったのか。

     白木はみはるを旅行に誘い、故郷の崎戸島に連れて行った。嫁以外はみはるだけだという。その時、みはるは白木との関係を終わりにしたいと思ったという。

     みはる(寂光)は、愛した男のために主人と娘の家から出奔し、白木をも捨てた。出家理由は現世からの離脱だけなのか、理由は他にも書いていたが、寂光は「誰にもわかりはしないのだ」、その思いはわたしを孤独にした、と書いていたのを思い出す。

     白木は二人に対し何も語っていない。

    ん?なるほど、ここで白木に語らせない「荒野流の懐刀」が炸裂しているのか!と原稿を書きながら勝手に思った。(爆)

     読書は楽しい。

  • 夢中で読んだ。そして我ながらこういうものに感じ入る歳になったものだと、しばらくぼうっとしてしまった。一人の作家がいて、その妻と、作家の不倫相手の心の内が交互に描かれている。はぁ……。愛とはけっして清く美しいものではなく、とても独りよがりであるような気がするわ。

    奥さんと愛人を、それぞれ月と太陽のような違いをもって書き分けていながら、共に女なのか母なのかはたまた鬼のように無慈悲なものなのか分からなくしてしまっている。静謐ながらある種の凄まじさを感じる小説。母にも読ませたいな。

  • いい子ぶる訳ではないが、理解ができない。
    のに、あまりにも別世界過ぎて興味を惹かれてページを繰る手がとまらなかった。

    正直、子供や配偶者を捨てて異性にのめり込むこと自体個人的には不幸なのではないかと思える。更にいつも一緒に居られないし、独り占めできない相手に人生を費やすことなんて自分の時間が勿体ない、なんて思ってしまうけれどもそれが幸せ、って言う人もいるのだろう。ただ、自分の「好き」に恋愛対象以外の人を巻き込むことは決して良いことではないと思う。

  • 善き。
    やっと読めた。映画になった時からの積読…

    瀬戸内寂聴と井上荒野のチチ、井上光晴とその妻、1人の男を巡る女達の生涯の物語。
    実話?とも、小説?とも言われ、どちらで読んでも深い。娘の立場で取材し文章にし、そして解説でもあったが、そうやって初めて小説家はそのテーマとの訣別ができるのではないだろうか…と。

    なんともダメ男に思えるが、常に女が周りにいるオス。どこまでも男な父と同じ職業になり、父もそれを喜びながらも病魔に襲われて亡くなる。人間らしく生きた、昭和の時代だな、とも思わされる。

    ドロドロした内容だが、清々しさも感じる文章で、他作も読んでいきたい。

  • 篤郎の本妻である笙子と、浮気相手のみはるの、2人の女性の視点で描かれた作品。
    前情報もなく読み始めたので、みはるが出家する、という所で瀬戸内寂聴さんみたいだなーと思ったら、彼女をモデルにしていたので、驚いた。

    というのも本書は、井上光晴とその妻、そして瀬戸内寂聴をモデルにした作品で、書いたのが光晴の娘なのだそうな。しかも瀬戸内寂聴に取材をし、作品の参考にまでしているので、全部フィクションではないのではないかと邪推してしまう。

    映画化されているが、笙子役を最近話題の広末涼子が演じているのも皮肉な話。(撮影当時から浮気していたのかは知らないけど)

    笙子もみはるも落ち着いた女性のようで、その語り口はゆっくりなため、途中で読むのを挫折しそうだったが、なんとなく続きが気になる、そんな話だった。

  • 帯に瀬戸内寂聴の言葉がある。
    「作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった」
    これは、「実話です」と言ってるようなものであり、最初からそう思って読むことになる。
    白木の妻笙子の視点と、白木の愛人みはるの視点が交互に描かれている。
    みはる。。瀬戸内寂聴って昔は晴美だったな、と思い、子供を置いて恋人と逃げてきた過去や、作家という職業、出家して寂光になるところなど、
    あの姿を想いながら読んでしまう。
    そして、その読み方で、いいのだと思う。

    白木の妻、白木の愛人、それぞれの視点からなのだが、本当は白木の娘の視点なんだなと思う。
    そして、父である白木の肖像なのだと思う。

    笙子のタバコや、海里の自転車、白木が靴下を脱ぐところ、など、ありありと目に浮かび、
    あまり詳細に書かれてない部分を、私自身の感情が埋めていくように感じた。
    若かった日々から、命つきるまで、さらに遺骨のゆくえ、ラストのモスクワの女の話、その姿が寂光にもみえた階段、静かに心に染みていくようだった。

    ところで、私は作者は「こうや」だと思っていて、「あれの」だと初めて知った。
    しかも本名だそうで。父は娘に「荒野」と名付けたんだな、、、と、秋晴れの空を眺めながら、思った。

  • 瀬戸内寂聴(瀬戸内晴美)の不倫相手とされる人物が、この本を書いた井上荒野の父である井上光晴だったという事実を初めて知った。
    そして娘である作家がその2人のことを描くって壮絶だな…とも。
    でも内容はドロドロしている空気はまったく無く、さらっと、私情も感じない雰囲気だった。とても読みやすく、事実が基となる物語として描かれている。

    瀬戸内寂聴についての経歴はざっくりとしか知らないけど、不倫の末に出家して尼僧となったのはあまりにも有名。個人的な感想としては、美人ではないけれどどことなく色香の漂う人、というイメージ。書くものの内容のせいもあるかもしれないけれど。
    著者の井上荒野さんが、小説に書かれているような父親と寂聴との関係を実際に目にしていたのかは分からないけれど、不倫とは言えどちらかというと精神性でつながっていた同志に近いような関係だったのだとして、それを解って赦して受け入れていた妻がいちばん逞しいと感じた。誰よりも達観している。私は彼女のような女には絶対になれない。

    作家の篤郎、妻の笙子、篤郎の愛人であるみはる。みはると笙子の語りが交互に配されて進む物語はとても淡々としていて、人の(とくに女の)業に満ちている。
    みはるが出家した後も、2人の関係性は続いた。性の世界を脱け出した後でも。
    そこに精神性の強いつながりを感じるとともに、篤郎とみはるの関係を知りつつみはるとも親しく付き合った笙子の強かさに恐れさえ感じた。
    静かながら凄みのある物語だった。

  •  自分の母親と、父親の愛人。2人の視点から小説を書くというのはどんな心境だったのか⋯想像できない。全てを受け容れたから?恨みつらみ、気持ち悪さはもうない?自分とは違う人間の所業として割り切っている?しかもその語り口が冷静で、淡々としていて、感情的に乱れたりどちらかに肩入れしたり逆に非難したりすることはなく、あくまで容観的な立場を貫いている。だから読んでいて、長内みはるにも、笙子にも、同じくらい共感するというか、その言動を理解できる。不思議。
     
    白木という中毒性のある魅力的な男を深く愛した末、自分のものにはならないと思い知った彼女たち。逢引を重ねても、結婚しても、どれだけ愛してもつかみどころのない白本は自分の元から離れていく。それでも添い遂げると決めた笙子と、出家という強行手段で白木と決別すると決めたみはる。そこまでしないと離れられないような男性だったんだなあ。時間とともに薄れていく愛しか私は知らない。どれだけ好きという気持ちが強くてもいつの間にか薄れて消えていったし、一度消えたら元に戻ることはなかった。でもそういうんじゃなくて、どう頑張っても離れられない関係というか感情というか、そういうものもこの世にはあるんだなあ。

     なんか、フツーは、というか多くの人は、その深い段階に到達する前に、危険を感じたり傷付くのを恐れたりブライドが許きなかったりで踏み止まるんだろうなあ。でもみはるも笙子もその域を超えることを選んで、ある意味で完全に諦めて、ハッピーエンドは存在しないとわかっていながら白木のそばにいる道を選んだんだろうなあ。そんなことができる人そうそういない。自分は絶対にできないし、あんまりやりたいと思わない。でも二人の生き方は悪くないなと思う。それだけ我を忘れて愛せる人に出逢えて、たとえ自分ひとりに向けられたものではなくても、その人から愛してもらえて、幸せを感じることもたくさんあったんだろうなあと思う。

     私は自分のことが大事すぎるのかなあ。だから手放しに人を愛することができないのかなあ。傷付いたり惨めな思いしたりするの嫌だし。でもそこでブレーキをかけちゃうから、本当に深い関係にはなれずに終わっちゃうのかなあ。どっちが幸せなのかわからないや。自分のこと大切にしてくれる人を同じくらい大切にできたらいいのに。自分が大切に想う人が同じくらい自分を大切にしてくれたらいいのに。それで、それがすり減ることなくずっと消えずにあり続けてくれたらいいのに。全部そうはいかない。なんでだろうね、辛いなあ。

  • 人生の一理解として

  • 不倫の話であることは、映画化で話題になったことから知っていた。
    「みはる」視点から始まる文章を恐る恐る読み進めていけば、恋愛小説である。
    一章に必ず、篤郎の愛人である「みはる」視点と、妻である「笙子(しょうこ)」視点が描かれる。
    篤郎を真ん中にはさんで向かい合う、二人の女。
    視点が変わるごとに「あちら」は入れ替わる。
    篤郎視点は無く、二人の女性によって描かれるのみである。

    その篤郎は、どうしようもない下半身を持つ。
    ピンときた女は全力で口説く。
    その結果、ヤツの子供を二度堕ろして手首を切った女に会う勇気がなく、妻に命じて金を渡しに行かせたりする。
    どこに行っても、息をするように女をモノにする。
    チビで、声だけが大きい。決して美男子ではないのだけどなあ。
    昭和の文士というものは、こういうものだろうか。
    不良でなんぼ、みたいな。

    読み進むうち、これは「家族小説」なのだと思う。
    不倫を描いて生々しさがない。

    女とみれば寝てしまう篤郎は光源氏かもしれない。
    その女たちは、本命とその他に分けられる。
    篤郎にとっては、本当の本命は誰であったのか。
    ・・・
    光源氏と違って幸福でしょう。
    本命の女たちに弔ってもらえたのだから。

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著者プロフィール

井上荒野
一九六一年東京生まれ。成蹊大学文学部卒。八九年「わたしのヌレエフ」で第一回フェミナ賞受賞。二〇〇四年『潤一』で第一一回島清恋愛文学賞、〇八年『切羽へ』で第一三九回直木賞、一一年『そこへ行くな』で第六回中央公論文芸賞、一六年『赤へ』で第二九回柴田錬三郎賞を受賞。その他の著書に『もう切るわ』『誰よりも美しい妻』『キャベツ炒めに捧ぐ』『結婚』『それを愛とまちがえるから』『悪い恋人』『ママがやった』『あちらにいる鬼』『よその島』など多数。

「2023年 『よその島』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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