- Amazon.co.jp ・本 (424ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022646613
作品紹介・あらすじ
どうしたら「自分の文章」を書けるようになるのか?生徒たちの熱い気持ちにこたえて、タカハシ先生が画期的な授業をおこなった。「感想文」は5点でかまわない。「自己紹介」は自分を紹介しないほうがずっと面白い。最高の「ラブレター」の書き方とは?「日本国憲法前文」とカフカの『変身』をいっしょに読むと何が見えてくるのか……。生徒たちの実例文も満載。読んでためになる、思わず参加したくなる楽しい文章教室!
感想・レビュー・書評
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著者が大学で行った講義をまとめた1冊。文章の書き方というより、言葉との向き合い方。書く行為の手前で何を見て考えるか。自分の仕事は文を直すことに近いのでどこか職人的、技術的。でも「文を書く」ハードルはグッと低くて、誰でもできる。どうすれば言語生活が豊かになるのかを考えさせられる。その「考える」が大事らしい。
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高橋源一郎が実際に大学で行った講義の内容をまとめた一冊。
ただし、この本(講義)の中で、具体的に文法やテクニックが語られることはない(指摘することはできるが、この講義ではしない、という例として語られる箇所はあるが)。
教材として提示される文章、学生たちが提出した課題を読み、対話することで講義は進み、文章とは、自分の(私らしい)文章を書くとは、そもそも、わたしとは、書くとは読むとは、、様々なことを考えさせられ、気づかされる(しかしながら、自分については考えすぎてはいけないことも学ぶ)。
1日(数時間)で読了してしまったが、学生たちと同じように時間をかけて、課題に取り組んでみたいと思った。
また、教材となった文章の数々も、折に触れ読み返したいものばかりだ。
(取り急ぎ、日本国憲法前文は書き写してしまった)
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2005年から高橋源一郎が明治学院大学で受け持った「言語表現法講義」の授業を元にした1冊。講義に使われるテキストのジャンルはさまざまで、スーザン・ソンタグにはじまり、おなじみ谷川俊太郎、斎藤茂吉の、なぜか短歌だけでなく不倫日記(?)だったり、アーシュラ・K・ル・グィンは小説ではなく大学の卒業生たちに贈った言葉、「日本国憲法前文」とカフカの「変身」を同時に考察したり、最終的には書かれた言葉ではなくオバマやハーヴェイ・ミルクの「演説」にまで及ぶ。
個人的にはヘンリー・ダーガーの『非現実の王国で』を使った回は興味深かった。『非現実の王国で』は、ずいぶん昔にラフォーレで美術展があったときに見に行ったけれど、そういえば、画集は出版されているけれど本編である小説のほうは出版されてないんですよね。1万5千頁にも及ぶ小説、と言葉にしても「なんかすごい膨大」というだけで実感としてピンとこないけれど、高橋源一郎の計算によると、本にしたら単純計算で75冊分くらいの大長編になるらしく、もはやグインサーガくらいしか比較対象を思いつかない。
といってもこの講義で焦点になるのはその長さでも内容でもなく、それが「誰」にむけて書かれたものだったかという点。こうして今私が書いている感想もきわめて個人的なものであるとはいえ、ブクログにアップすれば何人かの目には入るし、他人の目を全く意識せずに書いているといえば嘘になるけれど、ヘンリー・ダーガーは、本当に、誰に読ませるあてもなく、その小説をお金にして身を立てるつもりもなく、ただただ、自分が書きたいから、自分のためだけに書いていた、これは結構稀有な例だと思う。
高橋源一郎が生徒たちに出す課題は「自己紹介」に始まり、「ラブレター」、架空の「日本国憲法」など、シンプルだったり突拍子もなかったりするけれど、つまり基本的には「誰から」「誰にむけて」書かれたものであるか、をきちんと意識して書くことの意味がとてもわかりやすく伝わってくる。ストリップ劇場に行ったこと、一度だけ休講した理由(幼い息子の急病)など、私生活も赤裸々に語りつつ、フェミニズムやLGBTについても権利を声高に叫ぶのではなく、左利きの人の横にそっと寄り添うという表現を使う。タメ口の若い子たちへの高橋源一郎の語りかけはものすごく真摯で誠実だ。
これを読んだだけで「名文」を書けるようにはならないと思うけれど、少なくとも文章、言葉を使って何かを誰かに伝えることの心構えみたいなものはしっかり身に付くと思う。良い本だった。 -
題名からは想像もつかない、マジ名著!高橋源一郎が明治学院大学で行った文章講座、全13回(うち1回は休講)の記録を元にしています。
授業で購読するテキストは、スーザン・ソンタグ、高橋悠治、谷川俊太郎、カフカ、アーシュラ・K・ル・グィンと、まさに名文ばかり。かと思いきや、AV女優の履歴書やら、ヘンリー・ダーガーの妄想小説、日本国憲法、オバマやハーヴェイ・ミルクの演説まで、世界にあふれる雑多で多様なテキストを読んで考えながら、学生たちは「自己紹介」「ラブレター」「憲法」「演説」といった課題で文章を書いてくることを求められます。そのうえタカハシ先生自身もストリップショーとバレエを観に行っていろんなことを考えたり、休講の間に重大な体験をしていたり。
このなんともスリリングな授業を通して見えてくるのは、文章の書き方読み方という以上に、「私」という存在が世界と関わり理解する、その媒介としての言語とテキストという、根本的哲学的な問題です。私たちが日々無意識のままに実践している異なる種類のコミュニケーションを、違和化し再身体化する、その技法が「自己紹介」「ラブレター」そして「憲法」「演説」というテキストを書いてみることなんですね。そうして生まれた学生さんたちの言葉がまた、素晴らしいんだな。つまり誰もが、考える機会さえ自分のものにすれば、こんなものを生み出すポテンシャルをもっているってこと。
私も学生の時にこんな授業が受けてみたかった、とはもちろん思うけれど、彼らよりはるかに長い間言葉を使っている私もまた、この本を通してタカハシ先生が投げかけてくる問いかけを新鮮に受け止めてみることを通して、あまりに使いなれてしまった言葉を、また異化し、学びなおしてみる。
そんなふうに何度も立ち帰ることのできる、これぞ名著だと心から感心しているのです。 -
この本を読んで、13日間で「名文」を書けるようになるとは思わない。
作家の文章読本ってやつも、どうも苦手だ。
でも、この本には、「言葉の力」というものに改めて驚かされ、感動させられた。
ソンタグの「若い読者へのアドバイス」、ル=グィンの「左利きの卒業式祝辞」、オバマやミルクのスピーチ。
これらのものに出会えただけで、満足できる。
この講義を受講した学生さんたちの「名文」も。
そして、タカハシ先生の、脳症になった息子さんとのエピソードも。
読んでよかった一冊。 -
タイトルに偽りあり。「『名文』を書けるようになる」方法どころか「人生がとても豊かになる」くらい言うべき。
名文を書くために、名文を読む。
名文を書くために、名文がなぜ名文なのか考えてみる。
名文を書くために、書くことの意味を考える。
名文を書くために、書いたことが読まれることの意味を考える。
名文を書くための、添削や批判は一切しない。
そうやって授業がすすむうちに、テクニックを教えてもらうつもりだった学生も気がつく。
名文を書くことが大切なのではない。名文を書こうとする過程で学ぶ「伝えたい/つながりたい気持ち」や「深く読む能力や読み取る幅の広がり」こそが大切なのだと。
タカハシセンセイ、ありがとうございました‼ -
いかにもハウツー本っぽいタイトルにつられて手に取った読者は肩透かしをくらうだろう。
この本の中では具体的に良い文章を書く方法は書かれていないから。
けれどより良い文章を書きたい、読みたいという欲求を亢進させてくれる一冊。
「右きき」のための文章、「左きき」のための文章という表現が印象的。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/57827
生で聴いてみたかったです!
名文は書けなくても良いですが、名文を味わえるだけの感性は備えたいです...
生で聴いてみたかったです!
名文は書けなくても良いですが、名文を味わえるだけの感性は備えたいですね。。。