時代の風音 (朝日文芸文庫)

  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022641397

作品紹介・あらすじ

20世紀とはどんな時代だったのか-。21世紀を「地球人」としていかに生きるべきか-。歴史の潮流の中から「国家」「宗教」、そして「日本人」がどう育ち、どこへ行こうとしているのかを読み解く。それぞれに世界的視野を持ちつつ日本を見つめ続けた三人が語る「未来への教科書」。

感想・レビュー・書評

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  • 現代を代表する知識人・宮崎駿にとっては、故・堀田善衛と故・司馬遼太郎は仰ぎ見る知の巨人である。「広場の孤独(堀田)」「明治という国家(司馬)」2つの著書に大きく影響を受けたという。鼎談の言い出しっぺとして、「書生」として、宮崎は聞き役に徹している。この時、2人は未だ壮健だった。実際読めばわかるが、2人ほど汲めども尽きぬ古今東西の知見を持っている知識人は、今現在果たしているだろうか?私は数えることができない。いや、今の知識人(※)はこんなふうに矢継ぎ早に知を語らない、もっと優しく語るのかもしれない。早計はやめよう。

    ※一応断っておくと、単なる物知りを私は「知識人」とは呼ばない。知見の見は見識の見。司馬遼太郎の見識には私は異論を持っているけど、彼は生涯にわたりキチンと見識を披露した。

    どうやら92年の鼎談のようだ(92年11月刊行)。中国民主化の失敗、ソ連邦の崩壊、ユーゴ解体そして戦争が起きた後である。彼らの話を聞いていると、まるでウクライナ戦争やガザの今を予見しているような話が出てきてビックリする。

    以下少し紹介する。

    堀田善衛 イデオロギーが崩壊したソ連ですが、この国はもともと難治の国ですな。←民主化が始まっても、結局は再び元の陰謀めいたボスの秘密会議でソ連邦の幕が閉じた。
    司馬遼太郎 (ロシアは最低の資本主義)、つまり闇屋とマフィアと売春婦の資本主義、資本主義の1番初期の1番悪いやつになるでしょうね。

    司馬遼太郎 (イスラエルは)あの国もアナザ・カントリーですね(笑)。普遍性の高い、人類とか世界とかの話の中で必ず話の通じない外国が出てきた。これまではソ連が外国でしたが、もうわれわれと同じ国になった。だけどいまや人類にとって外国とは、ピョンヤンでありイスラエルかもしれません。

    宮崎駿 20世紀のもう一つの特徴に、マスコミ、とくにテレビの発達があって、武器を使いにくくする作用をもたらしたのではないでしょうか。
    司馬遼太郎 電波の発展は、マルクスの予想外の一大要素でした。電波によって大衆がリアルタイムで自他を捉えることができるようになり、政治どころか人心を地滑りのように動かしたという事を、20世紀の後世の歴史家はあげるでしょうな。ユーゴスラヴィアみたいな局地的な喧嘩みたいな戦争はありますけど、大戦争はちょっとやりにくい。
    ←未だインターネットは予測できていないけど、言ってることは現在を言い当てている。ウクライナやイスラエルのような局地的戦争はあるけど、確かに第三次世界大戦は起こりにくくなっている。

    堀田善衛 (ヒューマニズムとは?の問いに私はこう答えている)西洋では、高速道路は三車線あって、トラックは決して追い越し車線に入ってこない。トラックは、はしの方に数珠繋ぎになって走ってます。追い越し車線は乗用車専用、人間のために残しておく。トラックはモノを運ぶ。だからモノよりも人間を優先する。
    (略)
    ところが、日本ではモノのほうが偉いんだ。

    司馬遼太郎 宮崎さんにぜひつくって欲しいテーマがあるんですが、平安時代の京の闇に棲んでいた物の怪のことです。
    ←以下、2人で延々と煽るけど、宮崎駿はほとんど黙して語らなかった。その後、「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」をつくったのは、この時の鼎談が影響していたのか?誰かインタビューしてほしい。

    司馬遼太郎 (「吾妻鏡」における頼朝亡き後の承久の乱での北条政子の)演説というのは、シェークスピアの劇そのものです。
    ((略)政子を歴史上でもっと評価すべきだという堀田善衛の意見に対して)そうです。私は上方の人間ですけど、日本史に一番大きな影響をもたらしたのは鎌倉幕府だと思っています。
    ←この時から30年後にNHK大河「鎌倉殿の十三人」が出来上がった。あの北条政子の演説を最後のクライマックスに置いたのは、ホント素晴らしかったし、あそこから最終場面まで、ホントにシェークスピアをやっていた。シェークスピアにせよ、政子や鎌倉時代の評価にせよ、長いこと時間がかかった。いやもしかしたらいまだに評価できていないかもしれない。

    等々、古本屋で88円で買ったのだけど、買い得でした。

    今、3泊4日で旅の途中。これからあとは旅と記録に集中したいので、レビューとレビュー読みは暫くお休みします。

  • 宮崎駿、司馬遼太郎、堀田善衛という豪華な御三方の鼎談集。

    言い出しっぺの宮さんは書生という立ち位置で、主に司馬さんと堀田さんが語られています。
    宮さん目当てで買いましたがこれは良書ですね。面白い。

    司馬さんも堀田さんもいったいどれだけ物知りなの?と驚きの連続でしたが、とくに司馬さんの知識量...はんぱない。
    日本史は勿論のこと、世界史までもが、まあさらさらぽんぽんと、出るわ出るわで。
    世界史に疎くても、興味がなくても、へぇ~。ほぉ~。とするする読めてしまいます。
    話したいことと、伝えたいことの違いをよぉく理解してる、頭の良い大人という印象。作家としては勿論、ひととしても貴重な方だったのですね。
    堀田さんはちょっと毒のあるユーモアなおじさんといった印象で、なんて素敵な企画なんだ!と感激しました。

    「敗戦を終戦という言葉で濁す」
    「言葉で巧みに本質をすり抜けるようにできている」なんていうのは、福島原発の汚染問題なんかにも通ずるものがあるし、
    「国是(憲法)というものをいたずらにいじってはいけない」というお言葉も説得力がある。
    宮さんが熱風で書いていたのはここと繋がっているんでしょうね。
    宮さんにとって、このお二方にお会いできたこと、直接お話ができたことがどれだけ糧になっていることだろう。

    以下、備忘録。
    「子供は大人の父である。子供にすべてがある。」
    「ガウディのあの変なお寺ですが、なんで日本人はあれがすきなんですかね。」
    「陸がやせると海もやせる。」
    「家と人間がいっしょに年をとっていくのを見ると、日本は捨てたものではないと思うんです。」
    「世界で、いちばん公害問題で地球規模で心を痛めているのはオランダでしょう。」
    「二酸化炭素が増えれば地球があったかくなって、北極の氷などが融けて海面の水位が上がればオランダは水没して国がなくなります。」

    中でもとくにいいなと思ったのは、司馬さんが宮さんの映画を絶賛している文章で
    「ときには絵画は負けたかなと思うことがあります。」
    「人間が立体的で、絵の中で風が吹いてきたら、女の子のスカートがふわっふわっとなってふくらんでいく。それで風という目に見えない空気の動きを表現している。」とおっしゃっています。
    宮さんが一方的に敬愛しているのではなく、両想いなんですね。素敵。

    ほかにも食べ物の文化...ジャガイモがヨーロッパを救ったなど、とっつきやすい話題もあり、飽きずに読み進められたのもよかった。

  • もちろん宮崎駿関連本として手を伸ばしたのだが、いろいろ思うところあり。
    1992年の鼎談を単行本→文庫化。当時堀田74歳、司馬69歳、駿51歳。
    そりゃ駿も聞き役に回るわけだ。
    もちろん当時から駿は知識詰め込み型だったはずで、だからついていけた。
    鼎談以前から日本論や国家論や文明論を咀嚼していたはずで、その中で「となりのトトロ」がものされたわけだ。
    この鼎談の延長上に「もののけ姫」と「千と千尋」がある……というのはさすがに言いすぎかもしれないが、駿が文化人として見習っている人たちなんだろう。

    んで当時わたし9歳。
    高校生のころに堀田善衛には手を伸ばして、全然太刀打ちできなかったなぁ。
    司馬は「竜馬がゆく」の講談調の読みやすさに乗せられてスイスイ読んでスッカリ忘れてしまった。
    このふたりは巨人のごとく広く深く語り、正直読み切れず。
    高校生当時ならわからないまでも必死に食らいついていたな、と、梅原猛・中上健次「君は縄文人か弥生人か」、柄谷行人・蓮實重彦「闘争のエチカ」、浅田彰・島田雅彦「天使が通る」などを律義に読んでいた自分を思い出す。
    すっかり読む体力が落ちていることに気づく。

  • この本は、日本が生んだ稀有な才能である宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎という博学な作家3人を交えた対談集です。本書の中でも述べていますが、宮崎駿は一人の“書生”という立場から対談を進行する役目を主に務め、司馬、堀田の両氏が対談の発言が中心を占めています。
     この本が始めて単行本として発行されたのは1992年のことだそうですが、今(2008年)から16年前です。ベルリンの壁崩壊、ロシアのペレストロイカ、天安門事件、クウェート侵攻など、国際情勢が大きな変化を見せた時代の直後ということになります。16年前ですと、私は22歳ですが、このような大きな変化をテレビや雑誌で見て、これから世の中はどうなってしまうのだろうと思ったものです。そして『朝まで生テレビ』などを観て、大島渚、野坂昭如、いまや政治家になってしまった桝添要一などの話に耳を傾けていました。
     そういった激動の変化をつぶさに見ているそのリアルタイムに、この3者の対談が行われたことは奇跡であり、こうして文庫本で読めることは、日本人にとっても大きな価値のあるもののように思います。といいますのも、この本はまるで現在の日本を見透かしているかのような、“預言の書”になっているからです。“預言の書”と言っても、何年が何月に大地震が起きるというような卑近なものではなく、日本という国がどこへ進もうとしているのか、世界がどのように動いていくのか、という民族、社会、国、世界、文化、そして地球・・・という大きな視点での提言としての“預言”です。しかもこの“預言”は、“歴史”という人類の歩みをつぶさに考察して明らかにされており、決して突拍子もないことではないことです。
     本の最後には地球温暖化について語られていますが、今から16年前、誰がこれだけこの問題の重要性に気がついていたでしょうか。16年前に既にこの問題を提起しているということが、本書を読むだけの価値を語っているように思います。1992年の混迷は、また違った形の混迷さを迎えています。この本からは、そこから抜け出すヒントがあるように思います。

     そして面白いと思ったのは、司馬遼太郎が宮崎駿に、「物の怪を扱ったアニメーションを作って欲しい」と提案していることです。この司馬遼太郎の提案は、後の『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』に通じていること間違いなしです。また、司馬遼太郎は『ルパン三世』も観ていたことが分り、しかも宮崎駿が携っていたときの頃の『ルパン三世』の違いを感じ取っていたようです。司馬遼太郎の頭の中は、一体どんなことになっていたのでしょうね。

  • 「時代の風音」堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿著、朝日文芸文庫、1997.03.01
    262p ¥525 C0195 (2023.07.21読了)(2008.12.20購入)(1998.04.10/3刷)

    【目次】
    1 二十世紀とは
    2 国家はどこへ行く
    3 イスラムの姿
    4 アニメーションの世界
    5 宗教の幹
    6 日本人のありよう
    7 食べ物の文化
    8 地球人への処方箋
    「時代の風音」注
    あとがき  宮崎駿

    (「BOOK」データベースより)amazon
    20世紀とはどんな時代だったのか―。21世紀を「地球人」としていかに生きるべきか―。歴史の潮流の中から「国家」「宗教」、そして「日本人」がどう育ち、どこへ行こうとしているのかを読み解く。それぞれに世界的視野を持ちつつ日本を見つめ続けた三人が語る「未来への教科書」。

  • 知の巨匠たちがポンポン話すのに頑張ってついていく気分。司馬遼太郎は日本とアジア、堀田善衛はヨーロッパを軸に物事にアプローチする。結果、2人が話しているのを読むと世界の大方をカバーできているかのような気持ちになる。
    でも、ポンポン話しすぎずにもう少し一つの話題について深く話してもらいたかった次第。

    この対談についていけるくらいの知的体力を養えたのは大学時代の財産。って言っちゃっていいかな。
    なぜだかトルコに行きたくてたまらなくなった。

  •  文庫になってから20年経つが、1992年に元の単行本ができた。もう30年近くの前の本だ。単行本はカバーが宮崎駿の船のイラストで、これがいい。どうせ古本を買うなら、表紙がステキな単行本を選んだ方がいいんじゃないかな。
     当時、宮崎駿は「紅の豚」を完成させて、いったんジブリを離れていた時期で、ヒマだったのだろうか。ディズニーと組んで世界征服するのはこの後。話の中に「物の怪」の話があって、その後の宮崎を考えると面白い。
     鼎談とはいいながら相手がすごかった、いや、すごすぎた。博覧強記の権化のような司馬遼太郎と、1930年代の上海を知っていて ― これがまずスゴイ ― ヨーロッパで暮らしながら「藤原定家」や「ゴヤ」の伝記を書いた堀田善衛。お話し合いのなかでは、全く勝負にならない小僧っ子として宮崎が聞き役。
     司馬遼太郎1990年、堀田善衛1998年、ともに鬼籍に入り、20年が経つ。話題は多岐にわたるが、20年たって振り返ると、実にまともな状況認識だったことに感嘆!
    正直、堀田善衛に再入門。さあ、堀田を読むぞ。
     
     
     

  • 堀田善衛と司馬遼太郎の博識・博学の二人ががっぷりと四つに組んでの対談。宮崎駿はもっぱら聞き役。
    知識の拡がり、深さ共に素晴らしく、歴史認識、国家の行く末、宗教、果てはイスラムからアニメーションまで、縦横無尽の如く議論が尽きない。

    この中で、司馬遼太郎が、戦車隊の隊長として終戦を迎えた時に思ったのが、「なんでこんなばかな国にうまれたんだろう・・・(略)・・・昔の日本は違っただろう。しかし22歳のときだから、日本とは何かなんぞわからない。もの書きを始めてからは、少しづつわかってきたことどもを、22歳の自分に対して手紙を出しつづけてきたようなものです」
    それに対して堀田善衛が、「それは司馬さん、私なんかも完全に同じですよ」
    私は戦後生まれだけれども、この二人の言葉を聞いた時、思わず涙が出て来た。

    もう一つ、後世になって過去を見た時に、その時代の感覚というものは非常につかみにくいと言う例を幕末や戦前の例を挙げている。そして司馬は「そういう時代に対して、私は非常に寛容です」と。
    朴 槿惠(パク・クネ)もこういう感覚を見につけてほしい。

  •  堀田という深みのある人と、司馬という広がりのある人の対談に、宮崎という若造が耳を傾けるという構造。もちろん宮崎も普通の人にとっては、大きな知性の人なのだけど、さすがに前述の二人の前では小さくなって見える。堀田とか司馬の知性ってのはすごいなあ。

     堀田が指摘している、徴兵制による国民軍を創設したのはナポレオン(p30)というのは興味深い。国家ありきではないということが、よく分かる。それまで傭兵が戦っていた戦争を、国民が戦うようになったのは、発明されたシステムなのだということ。有事法制などを考えると、そこには「守るべき国家」がまずあって、そのために国民は我慢をしいられると言う構造だが、それは決して自明のものではないんだというのは、興味深い。

    豆知識的に、司馬が釈迦族の先祖のサカ族は遠くは古代ペルシアの騎馬民族だったということ。(p87)

     古代日本の国際化について司馬は次のような興味深い発言をしている(p155)
     
     堀田 奈良朝時代、奈良の町は国際化されていて、半分ぐらい外国人じゃないですか。
     司馬 そうかもしれませんね。奈良朝の人たちは外国人、内国人という意識がはっきりしなかったから、明日香は漢人(あやひと)というか、朝鮮に存在した古い楽浪郡の中国文化をもっていたひとたち-そういう知識人の集落でした(以下略)
     
     また明治天皇の教師だった元田永ざね(浮のつくり)のプロフィールもp246にあり。

  • 1992年に行われた堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿の対談本。冷戦終了直後の価値観の確立に悩む宮崎駿が他の2人の教えを請うってスタイルで、対談内容は進められている。この時期に宮崎駿の混乱は『紅の豚』なんかに反映されているのか。ええと、たった15年前とはいえ、この15年の世界史の変動は凄かったんだなぁと思わせる内容。この本の持つ知的枠組みたいなものが現状とまったく乖離してるんだもん。今読むにはけっこうキツイ。ただ、堀田善衛、司馬遼太郎が大戦前後の体験について語る部分がどれも非常に面白い。

    いくつか思った事。『となりのトトロ』の批判に「農村を美化している」ってのがよくあって、宮崎駿は分かった上で美化して作ってるんだろう、って前々から思っていたわけだが、どうもやっぱり分かった上で作ってるみたいだ。
    “私は敗戦後、学校とNHKのラジオで、日本は四等国でじつにおろかな国だったという話ばっかり聞きました。実際、中国人を殺した自慢話をする人もいましたし、ほんとうにダメな国にうまれたと感じていたので、農村の風景を見ますと、農家のかやぶきの下は、人身売買と迷信と家父長制と、その他ありとあらゆる非人間的な行為が行われる暗闇の世界だというふうに思いました。ですから、日本の景色を見ても、水田を見ても、咲き乱れる菜の花畑を見ても、みんな嫌いな風景に見てました。嫌いだったんです。それを回復するためにえらい時間がかかりました。”(PP.164-165)。

    あと司馬遼太郎の発言。
    “私は戦争の末期、旧日本軍の兵士でした。戦後になって日本がほうぼうで悪いことをしたというのを初めて知るんですけども、私はそんなの目撃したこともないし、もちろんやったことなどなんにもない。満州でもない。中国の人ともうまくいってました。(中略)私はそういう残虐事件がなかったんだということは決して言わない。なぜかといったら、全戦線を見てまわったわけではないんですから。自分の知った範囲ではまったくなかったということですから。同時代でも、その現場、現場でつかまえかたが違いますな。”(PP.46)。

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著者プロフィール

アニメーション映画監督。1941年東京都生まれ。学習院大学政治経済学部卒業後、東映動画(現・東映アニメーション)入社。「ルパン三世 カリオストロの城」(1979)で劇場作品を初監督。1984年には「風の谷のナウシカ」を発表。1985年にスタジオジブリの設立に参加。「天空の城ラピュタ」(1986)、「となりのトトロ」(1988)、「魔女の宅急便」(1989)、「紅の豚」(1992)、「もののけ姫」(1997)、「千と千尋の神隠し」(2001)、「ハウルの動く城」(2004)、「崖の上のポニョ」(2008)、「風立ちぬ」(2013)を監督。現在は新作長編「君たちはどう生きるか」を制作中。著書に『シュナの旅』『出発点』『虫眼とアニ眼』(養老孟司氏との対談集)(以上、徳間書店)、『折り返し点』『トトロの住む家増補改訂版』『本へのとびら』(以上、岩波書店)『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』(文春ジブリ文庫)などがある。

「2021年 『小説 となりのトトロ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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