- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022630551
作品紹介・あらすじ
【文学/日本文学評論随筆その他】認知症の本人からみると、社会と暮らしの何が見えるのか。認知症の当事者の発言について、世界の先頭を走る豪州、カナダ、日本の数多くの当事者、家族、支援者の嘆きと希望を聞き、その試行錯誤の活動を20年以上取材した朝日新聞記者渾身のルポ。
感想・レビュー・書評
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2023年10月特集です。
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認知症患者の当事者発信と支える会についてルポしたものだが、根底に流れるメッセージが深い。現代にはびこる安易な能力主義について考えさせられる。 「人間の価値は、あれができる、これができるということで決まるのではありません。有用性で決まるのならば人生は絶望的です。年を取ると、できることが少なくなるからです。人は何かができなくてもそれ自体尊い」 「能力は付箋のようなもので付けたり外したりできる。付箋は給料の額かもしれないけれど、人間としての存在や、いのちの重さは変わらない」 もうひとつ、日本の人口は世界の2%なのに精神病床の比率は20%というのはショッキングな事実。日本精神科病院協会の権益保護の動きというのはジャーナリスティックな見方で、座敷牢的な隔離主義が社会的に根付いてしまっていることが深刻な本質だと思う。自分もよく自覚しておかないと知らない間に加害者になってしまう危険がある。
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すでに、当事者ご本人の著作をほぼ読んでいたので、新鮮味はない。しかし、改めて、当事者の声、姿を思い浮かべることで、能力主義に侵されている自分とはなんなのか?と自らに問い掛けながら、何がホシなのかは掴めた気がする。
一番の驚きは、当事者の方々の衰えぶり、特に太田さんが全介助になっているという事実だった。認知症でなくとも、人間はどこまでも生きることはできない。希望を持たせる、偏見を取り払う流れも大事だが、その上で、ネガティブな部分も丁寧に伝えていく必要を痛感した。今というときのかけがえの無さをどう伝えるかは至難だが。
・泣き笑いという言葉がありますが、私は何度も笑い泣きをしました。おかしいことがいっぱいおこるのです。そのときはおかしくて笑うのです。でも、その後泣けるのです。
・「元気そうねといわれるのがつらい」「大変そうですね。何か助けることはない?」と声をかけて欲しい。
・「笑うのはいいわ。前は病気になって、できなくなって、そのことを笑われる気がした。でも自分たちで(自分を)笑うのはいいわよ」
・太田さんは一人で居るとふっと不安になる。デイケアに来るとほっとする。同じ境遇を、きょうを精一杯生きようとする人たちに出会うからだ。
・「お世話されるだけの場所ではダメ。私たちはお世話しているとは思っていない。この人に会えてよかったあ!と思ってやっている」
・「暴動は声なき人々の言葉である」「コミュニケーション能力が損なわれてしまう私たちにとって、このキング牧師の言葉は大いに共感できます」
・人は死を前にして、自分の人生は意味があったのかと苦しむことがある。そのとき、何があっても、話しに耳を傾け、ともにすごし、あなたの人生は意味があったのだ、と伝える。それがスピリチュアルケア。
・夢のなかでも一生懸命に考え事をしてしまって、疲れて起きることが一晩に数回ある
・大変な人がいるのではなく、大変なときがあるだけ。
・社会的入院のむごさは、この「苦労」という人生を奪われること -
認知症の当事者発信の歴史をたどる本。
介護職やSWとして何ができるか考え行動に移していきたいと思います。