暴力に逆らって書く 大江健三郎往復書簡

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  • 朝日新聞社
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022578372

作品紹介・あらすじ

戦争やテロという暴力の連鎖にどのように立ち向かうのか。1995年から現在まで、激動する世紀の変わり目のなかで、日本のノーベル賞作家と世界の11人の知識人が交わした往復エッセイ。子どもたちの教育と他者への想像力に希望を見い出す深い思索の軌跡。

感想・レビュー・書評

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  • インターネットが普及したご時世に、しかも「往復書簡」なんて大仰な……図書館の書架の前で、思わずうふふふとなってしまいます。中世ルネサンスの『エラスムス=トマス・モア』や『ペトラルカ=ボッカッチョ』あたりの往復書簡を思い浮かべ、まあ~なんとも古風な感じだし、いま・ここで、これを読むのはどうなのかな? なんて軽薄な思いは冒頭の数ページを読んで木っ端みじんになりました。浅はかでごめんなさい(笑)。

    この本はノーベル賞作家大江健三郎さんが、1995年~2002年までの8年間、世界の作家らとやりとりした書簡をまとめたものです。文筆に長けた人たちだけあって、ハイレベルな内容であるにもかかわらず、とても読みやすい。知性にあふれ、真摯でユーモアに富んだやりとりにわくわくします。一度ならず二度、三度と眺めても飽きない面白さで、なんといっても美しい……そんな手紙たちです。

    ノーベル文学賞作家のドイツのギュンター・グラス
    南アフリカのナディン・ゴーディマ
    ペルーのマリオ・バルガス=リョサ
    さらにイスラエルのアモス・オズ、アメリカのスーザン・ソンタグ、鄭義(チョン・イー)といった著名な作家にくわえ、インド、アメリカなどの研究者やジャーナリストも含め、11人と交わした往復書簡は、圧巻!

    書架で手にして止まらなくなり、食い入るように読んでみると、世界の彼らが抱えるテーマは、どれもこれもひどく切実で多岐にわたっています。表面上は異なってみえるそれらに共通するのは「暴力」。戦争、ナチズム、全体主義、人種差別、民族自決、核拡散、子どもへの暴力、民主主義の不完全性などにくわえ、不当な暴力で蹂躙されている人々を救うために、暴力で対処することの是非、といった至極悩ましい問題にも踏み込んでいて唸ってしまいます。

    この書簡が交わされたのは20年ほど前のことですが、2018年に読んでみても、まさに「いま」問われている問題であることがわかって衝撃。おそらく2030年に読んでもさほど鮮明さは失われていないかもしれない……悲しいかな、時と空間を超えて、世界中に広がっている暴力の執拗さにあらためて気づかされるわけです。
    その一方で、多種多様な暴力に抗い、挑み、ひたすら黙々と書き続けている熱い作家たちが、この世界には間違いなく存在している!! そこにも深い感銘をうけます。

    ということで、私はせめて読んで参加してみよう~と軽い思いではじめてみました。今年の1月から1年ほどかけて、大江さんと書簡を交わした作家の作品やその繋がりのある作家たちの本に触れてみる、大江書簡ライン。すでにほかにも池澤夏樹ラインやらディストピアライン、訳者柴田元幸ラインに東西の古典ラインなど……脳内の意味不明なラインだらけで、読みたい本は沢山あって嬉しいけれど、やれやれ寝不足になりそう(笑)。

    1月からあっというまに3か月が経過してみると、とりわけ大江書簡ラインは骨太で枝葉が広がっていて繋がる本が多いことが判明したので、牛のような歩みにきりかえて、道草を食みはみ楽しく進むことにしました。そのうちに牛は行方不明に……十牛図か(笑)?
    とりあえずラインだけは見失わないように……それにしても我ながら冗長なレビュー、こんな奇天烈なライン話はどうでもよくて、最初に戻ると、この本は真面目に面白いです。ちょっと骨のあるもの(文章は平易)がお好きな方にお薦めします♪

    ***
    「……人類の文化が作り出した未来についての労作は、トーマス・モアからザミャーチン、オーウェルにいたるまで、つねに、これらの作者が生きて苦しみ、その中で希望をいだきもした。彼ら自身の「現在」を描いたものでした」(大江健三郎『暴力に逆らって書く』)

  • 戦争やテロ、核、国家と民主主義、ナショナリズムなど、2023年の今も十分に”現代的”といえるテーマと議論。世界の文学者や思想家、経済学者などとの公開書簡でのやりとりは、豊かで新しい視点、考えるための多様な材料を提供してくれる。

    個人的に興味深かったのは、例えばイスラエルの作家、アモス・オズとのやりとり。アウシュヴィッツと原爆という極端な苦難を経験したユダヤ人と日本人の戦後の在り方は、前者が二度と敗者になるまいという武装、後者が武装すまいという決意だった、というオズの指摘。
    また、ペルーのマリオ・バルガス=リョサは、反戦論者を動かしている理想主義を尊敬はするが、賛同はしないと明言している。反戦論や核兵器についての議論は抽象的であってはならない。具体的な状況を踏まえねばならないと。核兵器の所有を放棄できるのは、日本やペルーの特権であり、1940年代に平和主義の理想を重んじてアメリカが核武装をしなかったら何が起きたか、という問いはとても重い。
    日本人としては、アメリカの核の傘の下にあるという事実に目をつぶることはできないから、「反核」の主張というのはその部分も含めた議論にならざるを得ないし、彼らの往復書簡を読んでいると、この議論の複雑さと重さが改めて身に沁みる。

  • 2021/3/15購入

  • 配置場所:摂枚普通図書
    請求記号:915.6||O
    資料ID:50300572

  • 闘う作家の往復書簡。大江が世界の文学者等と戦争について意見を交換。日本の文学者は、『大きな物語』は、もう文学のテーマとはならないと高をくくってしまっているが、世界では今なお真摯に『大きな物語』と向き合い必死に闘っている文学者が大勢いることに感銘を受けた。

    (メモ)
    ギュンター・グラス
    ドイツの作家。

    ナディン・ゴーディマ
    南アの作家。(大江)日本では「不倫の小説」が社会現象として扱われるほど広く読まれている。不倫の性愛の徹底が心中に行きつくという主題は、およそ社会状況とは無縁な、閉じた物語として語られている。世界中の子どもらが感受の力と時代意識において巨大な暴力をうつす鏡だし、小さなモデルでもある。

    アモス・オズ
    イスラエルの作家。広島の原爆被害とドイツのアウシュビツは時として比較されることがあるが、ユダヤ人と日本人は全く違う対応を示した。ユダヤ人は、大戦中の地獄の体験により非武装の幻想から覚め、ふたたび無防備でひ弱な存在になるまいと決意した。日本人は、ヒロシマを経験することであらゆる軍事力に魅惑されることはなくなった。

    マリオ・パルガス=リョサ
    絶対的な真実があると信じることが、人びとの残酷さの源になっている。文学の重要な働きは、人間性の理解を深めること。良識や感性を養い、微妙な差異やあいまいさを察知する力を読者に伝えることで狂信主義者と対立できる。

    (大江)日本社会が「不寛容なシステム」という方向に動いている。子どもを保護するための少年法を、大人の社会を防衛するための法律にする提案がおこなわれ、なぜ殺した側の人権か、という野蛮な挑発もなされている。

    (パルガス=リョサ)実存主義やサルトルとカミュの論争、「参加(アンガージュマン)」の思想によって作家の使命を教えられた。完全なる独裁は存在する。そして民主主義は必ず不完全だ。完全主義の美学や哲学理念を政治的現実へ移そうとして、多くの知識人は全体主義の誘惑に負け、その才能を屈辱にゆだねた。大きな物語を語ることについて、最近の作家は、もう古いことと切り捨ててしまっているが、果たしてそれで良いのだろうか?

    スーザン・ソンタグ
    いかに生きるか。ゴーゴリは『人の内部であらゆるものが以前より遅くなり、つねに刺激を受けていないと永遠の眠りに入ってしまいかねない、あの人生の運命的段階にすでに自分がきていることをチチコフは忘れていた。老いの始まった人が社会の俗悪な習慣にいかに鈍感に、無感覚と言ってもよいほどにおかされていくものか、彼はそれに気づかなかった…それは長いあいだに人の動きを奪い、包み込んでしまうため、自己というものがその人のなかに残っていない状態になる。残るのは世界の側に属するひとかたまりの条件づけや反射行動のみだ。それを突破して魂に到達しようとすると、それはもはやそこにはない』

    大江は、日本の『柔らかなファシズム』と戦う。スーザンは問う。戦争は犯罪だ。しかし、戦争という手段をとらねば武力による侵略をやめさせる道がない場合は、どうするのか?今世紀の経験、とりわけ2つのいわゆる世界大戦の経験が実に恐ろしいものであったため、良心の人たちは正義の社会の鍵を握るのは戦争に反対することだという結論を引き出してしまった。現実を隠喩として語るほとんどの事例に対して、もっと懐疑的になるべきではないだろうか?ファシズムは、現在、隠喩となった。

  • こういう人たちの手紙はすごく面白い

  • はじめて読んだ大江本。知の巨人たちと戯れることができる。手紙なのにいたしい。

  • 大江氏が世界の知識人と交わした公開書簡を集めたもの.ギュンター・グラス,ナディン・ゴーディマ,チョムスキー,サイードら錚々たる知性との対話.正直かみ合ってないと思うやり取りもあるが,多くは作家ならではの感受性に基づいた時代に向き合った真摯なやり取り.素晴らしい.

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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