また会う日まで

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (728ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022518972

作品紹介・あらすじ

海軍軍人、天文学者、クリスチャンとして、明治から戦後までを生きた秋吉利雄。この三つの資質はどのように混じり合い、競い合ったのか。著者の祖母の兄である大伯父を主人公にした伝記と日本の近代史を融合した超弩級の歴史小説。『静かな大地』『ワカタケル』につづく史伝小説で、円熟した作家の新たな代表作が誕生した。朝日新聞大好評連載小説の書籍化。〇長編小説の冒頭は印象的な場面からはじまる。主人公の秋吉利雄は病におかされ、死を前にして自らの生涯を思い返す。息子と一緒に行った球場で驟雨に打たれながら、自分の生きてきた道筋はどのようなものだったのか、改めて考える。天文学者として自分の手がつむぎだした計算結果が飛行機や軍艦を導き、人の上に爆弾や砲弾を降らせた。海軍の軍人であることは、クリスチャンとしての第六戒「汝、殺すなかれ」にあきらかにそむいたのだ。戦争に加担してきたことを悔いる。*長崎の熱心なクリスチャンの家庭で育った秋吉利雄は、難関の海軍兵学校に入学、優秀な成績で卒業した。その後、海軍大学校を経て東大で天文学を学び、海軍の水路部に入った。幼なじみのチヨと結婚したが、10年共に暮らしたチヨは長女の病気を世話するうちに感染して他界した。妻を失った利雄は職務に専念する。1934年、日本統治下のローソップ島へ、国内外の研究者を率いて皆既日食観測に向かい、大きな成果をあげた。島を離れる時に交流をふかめた島民がうたってくれた賛美歌「また会う日まで」が思いおこされる。この日にこそ私は帰りたい。アメリカへ留学経験もあるヨ子(ルビ・よね)と再婚し、養子にむかえた亡き妹の次男、チヨの遺した長女も交えて新たな生活がはじまった。1937年、天皇陛下が水路部に行幸されることになり、天文・潮汐を掌理する部門を率いる立場からご説明を申し上げた。水路部で日本近海の調査業務にかかわったが、1941年、山本五十六大将によばれ、真珠湾の精密な潮汐表を求められた。アメリカとの戦争がついに始まる。ミッドウェー海戦では、海軍兵学校の同期、加来止男(ルビ・かくとめお)が空母「飛龍」の艦長として戦死した。この年、養子にした甥の文彦が17歳で天に召された。ついに学徒出陣がはじまり、戦況は悪化したため、水路部は分散疎開がすすみ、東京郊外の立教高等女学校に水路部の井の頭分室を設置した。ここで生徒の協力を得て、天測暦が作られた。築地では信仰の仲間でもある聖路加の日野原重明医師とすれちがって、長い立ち話をした。1944年、甥の福永武彦が山下澄と結婚して、その後、夏樹が生まれた。1945年3月10日の東京大空襲により、築地の水路部も被災したので、かねて準備していた岡山の笠岡に家族とともに疎開した。戦争が終わって、一家は東京に戻ったが、公職追放で次の職場はなく、軍人恩給も停止された。妻のヨ子はGHQの仕事を得て活躍するようになった。兵学校の同期のMとなじみの居酒屋で、あの戦争を振り返る。そして娘の洋子が父の秋吉利雄の最期を記す。病床の父は聖歌の「主よ、みもとに」を歌って欲しいと言った。父が亡くなったあと、洋子と4人の弟妹の歩みが記

感想・レビュー・書評

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  • 海軍軍人、天文学者、キリスト教徒でった筆者の大伯父(祖母の兄)の一生涯、戦争に翻弄されつつ信念を貫き通した人生を描く感動作。

    全く前知識泣く読み実在の人物を描いた小説であったことを途中で知る。海軍兵学校では、ミッドウェーで空母飛龍艦長として戦死した加来止男と同期だった秋吉利雄。妻や子、当時の死亡率の高さには驚かされる。キリスト教徒として肉親の受け入れる、時に迷いつつも。

    朝日新聞に連載されたという大作。Mという友人の語る戦局があまりにも後世からの視点になっているところが気にはなるものの(少年Hのように)、それを差し引いても感動する作品でした。

  • 新聞連載にて読んだ。
    自分が全く関心のない分野だったのに、秋吉に寄り添った読書をしたのがとても意外だった。キリスト者でもあり軍人でもある秋吉。矛盾を抱えたまま生きる姿を描くのは難しいと思うのだが、作者の力量か。
    人間としての深みを描くのに成功している。
    また親友のMが魅力的。彼のような人物はいたに違いないと思うし、そういう人物が潰されていくのもまたこの時代だと思う。
    読書の幅を広げてくれた良書である。

  • 新聞の連載小説として読んだ。ある男性の人生が淡々と描かれており長編なので、単行本として読んだら早々に読むことを諦めていたかもしれない。海軍軍人であり天文学者、クリスチャンと言った、ある意味矛盾した肩書を持っている人物が主人公であり、若き日の昭和天皇や日野原重明さんと会話する場面は印象的だった。

  •  新聞連載の大作。少し前の『ワカタケル』を思い出させる単行本の文量だ。
     著者池澤夏樹の大伯父・秋吉利雄の生涯を透し、近代日本の歩んだ歴史を描き出す、一市民の大河小説。
     歴史の大まかな流れは日本人なら誰もがよく知る大正~昭和史、その大きな流れの中で、海軍軍人でありキリスト教信者、そして天文学者という、一見相容れない側面を持つ主人公の人生、ヒトトナリを、いかに矛盾なく描き通すかが見せどころ。
     主人公利雄は、当然のことながら、キリスト教の信仰と軍人としての責務(戦争としての殺人行為)を、個人の中で、矛盾を抱え葛藤しつつ、人生を全うしていく。

     史実の中に、個人の生の存在を描き出す筆致は、30余年ものキャリアを積んだ著者をして成せるところだろう。主人公やその家族の他、登場人物の多くは実名だ。そのそれぞれに人生があり、物語がある。個々の物語、storyが、大きな束となって、歴史、historyを紡いでいく流れに、なんとも言えない感銘を覚える。
     歴史は、けっして個々人の人生とは切り離されているものではないのだ。

     海軍の水路部に所属し、天文学者としての知見をいかんなく発揮し、海図を描く主人公の姿が尊い。

    「星天と向き合っていると自分が一つの点になる。万象は絶対不動と思われる。
    不動だからそれを基準に自分の位置、大洋にあっては艦の位置を知ることができる。
    私は点になった自分が好きだった。わたしもまた星である。」

     生涯、自分の立ち位置を、不動の星の位置を頼りに見定め、ブレることなく生き抜いた。天に召されるまで、何度か繰り返されるタイトルの「また会う日まで」は、主人公秋吉利雄の最大の業績とも言える、1934年のローソップ島における日食観測、その時、島を離れる際に島民が歌ってくれた讃美歌のこと。
     人生は、多くの人との出会いと別れを繰り返し紡がれていく。主の元で、また出会えると信じ、自分に正直に生きた利雄は、別れのたびに「また会う日まで」を胸中でリフレインしていたことだろう。

  • すごい小説!

    初めて読んだのは、「マシアス・ギリの失脚」。
    文庫化され、すぐに読み、感動。
    以来、芥川賞受賞の「スティル・ライフ」に遡り、大好きな作家さんだった。
    最近は、ちょっと・・・遠ざかっていたけれど。

    ああ、でも、久しぶりに、好きだった池澤ワールドに浸れた。

    作者の大伯父にあたる、実在の海軍少将・秋吉利雄の生涯をたどる。
    それはつまり、日本の近代史を語ることにもなり
    読み応えがあった。

    著者が「とんでもなく手間がかかった」と言っているが、
    読む方も、「とんでもなく手間がかかった」。
    海軍、天文学、そしてキリスト教が三つ巴の如く
    襲ってくるのだから、こちらも心して読まねばならぬではないか!

    さて、池澤氏が「とんでもなく手間がかかった」というのは
    最後の章でわかる。
    内容を一族に確認しつつ執筆したらしい。
    これだけの資料に埋もれながら、そこまで!
    そりゃ、手間がかかる。

    当初、池澤氏と秋吉の関係を深く知らずに、読み始めたのだが・・・

    義弟の「福永末次郎」と、その長男武彦が揃って、秋吉家に来たとき・・・
    「福永・・・武彦・・・福永武彦!」ああ。やっと気づいた。
    池澤氏の父上ではないか。ということは、秋吉は大伯父か。

    その後、武彦の長男・夏樹が誕生の場面では涙が止まらなかった。
    どんな想いで、池澤氏は、己の誕生を描いたのだろう。
    たしか、成長するまで、福永が父上だとご存じなかったのでは無かったか?
    その記憶が正しいとすれば、なおさら・・・だ。

    週刊誌的な興味はさておき・・・

    秋吉の生き方は、胸に迫る。
    キリスト教信者でありながら、海軍軍人。
    自分なりに説明をつけ、職務にいそしんだのに・・・敗戦。
    公職追放。

    途中、タイトルの『また会う日まで』の意味もわかる。
    勘の良い人なら、表紙絵からもわかるのかもしれない。
    (わたしは鈍かった)

    江田島の兵学校、海軍軍人、水交社、艦隊、山本五十六に、鈴木貫太郎・・・
    気になるワードが次々に出てくる。
    本は付箋でいっぱいになっているのに、心は物語の世界から離れない。
    「調べました」感がなく、あくまでも物語の中で読ませる。
    さすがだ。

    確か、池澤氏だったと思うが、「いつまでも読み続けられるから長編が好きだ」と
    おっしゃっていた。
    (なるほど石牟礼道子を高く評価するのはそれもあるのか、と納得したのは
    ずっと後のこと。)

    久しぶりに池澤・長編を堪能した。

    ああ。でも哀しいかな。
    図書館の本ゆえ、返却期限が迫り・・・
    後半は、少々飛ばし読み気味。
    絶対に、これは自分の本で、ゆっくり読みたい。

  • 朝日新聞掲載時に読んでいたが、途切れ途切れだったので、まとまったら読みたいなと思っていた。大作だったが、平易な文章でもあり、なんとか読み切った。
    主人公の秋吉利雄は筆者の大伯父のようだが、海軍少将(海路部)で天文学者でキリスト教徒。太平洋戦争時、アメリカやキリスト教と深く結びついていながら、軍に籍を置き、大きな破綻なく過ごせたのは驚きだ。
    戦前から開戦、戦時中の生活、人々の反応や意識などが詳細に書かれていて、人の命も含めて、危うい時代であることがわかる。そこで、何を考え、何を選び、生きていたのか。
    と同時に、一人の人の人生が描かれ、その背景の時代が描かれているものの、全体の物語としては大きな起伏があるではなく、文章が淡々と進むこともあり、人によっては単調だと感じるかもしれない。
    読了後よりも、後に振り返って、しみじみと噛み締めるように思い返しそうな気もする。

    友人の加来止男(かくとめお)が空母「飛龍」の艦長としてミッドウェーで戦死したのは軍人の性と言えば言えるが、もう一人の友人M(最後まで名前が明かされない)が戦後に殺されるには、複雑な時代の背景があったことかと察せられるが、あまりにも惜しいことだったと思う。Mの書いた歴史書が書かれていれば、きっと後世の学びになったはずだし、だからこそ、それが阻止されたのかもしれないが…。
    何を見て、何を考え、何を書き残したいと願っていたのか、読みたかった。

  • 池澤夏樹さんは、初めて読みました。後何冊か、挑戦したいと思います。

  • こういう、家族の一代記ものはもともと好きで読み応えもあった。
    軍人として、天文学者として、そしてキリスト教信仰者として信仰との矛盾に悩みながらも生きる主人公とその妻たち(先妻の死亡後に再婚)が魅力的だった。特に2番目の妻のヨ子(ヨネ)さんが魅力的だった。
    終戦後、彼女が夫に向かって言う
    ヨ子「でも終わりました。次は勝てばいいのですよ。平和のための戦に」
    利雄「そんなものがあるか」
    ヨ子「平和と繁栄の日本を造ってかつての敵を見返す」
    軍人だった利雄がヨ子と再婚したのはよかったなと感じた。彼女によって短い戦後の人生ではあったけど利雄は救われたのではないかと思った。

    靖国神社の扱いについてここはいまだ難しいところだと思うけれど、利雄の言うように「(山本五十六元帥の魂が)郷里長岡に帰られたとわたしは思いたい。戦争はもう終わったのだからもう軍人たちを束ねておくことはない。それぞれ生まれた土地に戻ればいいのだ」には共感。祀られながら縛り付けられていないかという部分もあるので。亡くなったことを美化するのではなく、国のために夢途上で亡くなられた方の鎮魂の場ではないだろうかと感じた。二度とそういう犠牲を国が個人に強いることの無いよう、戒めとする場ではないか。

    妹トヨの告白
    「あの時、わたしは本当に聞いたのでしょうか、愛をもって死を補えという天使の言葉を。(略)それでも、今この時の苦しみが癒やされるならば、わたしはこの身を捧げよう。」については、違う方法はなかったのか。末次郎(後に事情を理解して夫となる)や生まれてくる子ども(武彦)に背負わせるものは大きくなかったか。献身とは少し違うように感じた。

    また「信じることは観測に依らない。観測を必要としないのが信仰である。
    証拠はわたしの心のなかにある。」何を信仰していても証拠ではない、信仰する心こそが勁さと感じた。

    「母性は職業意欲より強い」という箇所は利雄の実感かもしれないが極度に母性を美化するのはなぁと思った。結果としてヨ子は利雄や゙家族を働きながら支えていくのだけれど。

    また、Mと加来の友情もよかった。特に加来の殉職について
    「加来は死を選んだ。軍人の人生には、戦場で死ぬということが初めから織り込まれている(略)敗軍の将として国に帰る屈辱よりはここで自分の人生を閉じるという方を選んだ。するべきことはした、と自分に言ったのだろう。その判断は部下たちによっても共有されたのだろう。潔いと人は言うだろう。しかし加来がそこまでに積み上げてきた能力と体験を日本は失った。」という箇所について、戦争によって死を美化してはいけない。犠牲を強いられたこと、その人自身を失わせたこと、そういう状況に追い込んだ当時の軍部の暴走こそ憎むべきではないかと思った。
    また、加来の俳句から始まる
    『「つはものの 疲れ犒う(ねぎらう) 月夜哉」
    (略)戦争はよいことではない。言うまでもなく世界は平和であるのが望ましい。しかし人は、富と領土と覇権を求めて争う。あるいはそれを奪われないようにと言って戦う。
    (略)戦争は避けられない。だから、戦いになった時に負けないように普段から不斷の努力で防備を固める。それが軍というものだ。軍は盾であると同時に矛でもある。守るのではなく攻めるものにも使える。そして攻めているのではなく守っているのだというのにも使える。』というてころは信仰者であり、軍人でもある利雄の辛さ、苦しさも裏に感じた。
    ここは
    「主は日本人とアメリカ人を区別されない。ただ、どんな形にせよ戦争が終わることを望んでおられる。どんな平和でも戦争よりはいい」という形で利雄なりの解釈をしているようにも思える。


  • クリスチャンで天文学者で、海軍少将だった秋吉利雄。池澤夏樹の父である福永武彦の伯父。軍人ではあるが、艦隊勤務ではなく、天測によって航路を知り航海暦を策定するのが主たる任務。タイトルはクリスチャンにはなじみのある聖歌の一節。聖公会は日本では少数派のクリスチャンの中でも、さらに少数派。七百ページを超える大部の小説で、クリスチャンのありようを語り尽くす作品は、日本文学の中でも稀有なこと。ミッションスクールの外国人宣教師が、戦時中の日本を語った文章はいくつも存在しているが、戦前、戦中、軍隊にあって、天文学者という合理を極め用とした人が、聖書で日常を語る人など、これまでなかった。この作品をキリスト教文学と呼ぶのがふさわしいかどうかわからぬが、遠藤周作の『沈黙』と並ぶ重要な作品だと思う。

  • (借.新宿区立図書館)
    「また会う日まで」と言っても尾崎紀世彦ではなく讃美歌。
    著者の大伯父にあたる人の伝記的小説。明治期から昭和戦中期、そしてわずかな戦後期にかけての生涯を700ページ余りという長篇で描いたもの。もとは朝日新聞朝刊の連載。
    分厚い本で読みでがありそうだったが、意外に早く2日ほどで読んでしまった。(海軍)水路部所属の応用天文学者であり軍人(少将まで昇進)、ただキリスト者でもあるという矛盾も描かれている。私は天文関係ということで読んだのだが、当時の天測による位置天文学的なものが良く書かれているようだ。あとはこの一家の大河ドラマ的な流れの中で病気で死ぬことが多かったこと、幼児や出産時などの死亡が結構多いことがわかる。主人公自身も戦後すぐの混乱期に医療が十分でなく命を落とすことになる(自殺ではないが、友を失った結果の失意の影響ともいえるかも)。キリスト教(聖公会)については何とも言えないが、そういう生き方もあるのだろう。
    いずれにせよ見事な大河小説といえるだろう。

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著者プロフィール

1945年生まれ。作家・詩人。88年『スティル・ライフ』で芥川賞、93年『マシアス・ギリの失脚』で谷崎潤一郎賞、2010年「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」で毎日出版文化賞、11年朝日賞、ほか多数受賞。他の著書に『カデナ』『砂浜に坐り込んだ船』『キトラ・ボックス』など。

「2020年 『【一括購入特典つき】池澤夏樹=個人編集 日本文学全集【全30巻】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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