剱岳 線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022516978

作品紹介・あらすじ

岩場が険しく前人未踏と思われていた剱岳。しかし明治40年、測量隊は山頂で、平安時代の錫杖頭と鉄剣が残されているのを見つける。いつ、誰が置いたのか。登山道具のない時代にどうやって登ったのか。剱岳をめぐるこの最大の謎に、世界で初めてロビンソン・クルーソーのモデルとなった人物の住居跡を発見し話題になった、探検家の髙橋大輔が迫る! 考えられるあらゆる可能性を検証するため現地に何度も足を運び、当時使われたであろうルートから登頂して導き出した、その答えとは……?

感想・レビュー・書評

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  •  剱岳「点の記」ならぬ「線の記」である。明治40年に陸軍の測量隊が「初登頂」に成功したかに見えたが、山頂で錫杖頭と鉄剣が発見された。鑑定すると平安時代のものらしい。

     いったい誰がそこにおいたのか。この初登頂ミステリーに探検家高橋大輔が挑む。もちろん、フィギアスケート選手ではなく「探検家」である。彼はいう、「探検はそこに眠る秘話を解き明かすものでなければならない」と。また5W1H(いつ、誰が、どうのように、どの、どこに、なぜ)、これらはそれ全体として一つの物語でなければならないと。
     
     そして、数多くの文献と幾度もの現地調査により、信仰対象としての剱岳の姿が見えてくる。果たして謎は解き明かされるのか。そして筆者がたどり着いた仮説とは。

  • 注!内容に触れています



    「剱岳に初登頂したのは誰か?」、「平安時代の初登頂ミステリーに挑む」って、そりゃいくらなんでも面白そすぎだろ!って読んだ本。

    ……だったんだけどー。
    なぁ~んか、イマイチ、エキサイティングじゃない(^^ゞ
    この本のハイライトって、絶対、第8章の著者が初登頂(というか、恐らく「開山」) ルートと推測する、立山川を遡行→「ハゲマンザイ(という場所)」から早月尾根に上がるルートを登った時の記録だと、(自分は)思うのだ。
    でも、それって、250ページくらいあるこの本で、25ページくらいしかない(^^;

    それ以外は、著者による「剱岳ファーストクライマーの謎」、つまり、
    「いつ:山頂に立ったのは何年か」
    「誰が:山頂に錫杖頭と鉄剣を置いたのは誰か」
    「どのように:どのように山頂を極めたのか」
    「どの:どのルートから山頂にたどり着いたのか」
    「どこに:山頂のどこに錫杖頭と鉄剣を置いたのか」
    「なぜ:なぜ山頂に立とうとしたのか」
    という推理について、資料をあたったり、人に聞いたり、劔に行ったりして繰り返すばかりなのだ。

    いや。そのことに興味はなくない。
    著者が様々な経緯を経て、その推理が変遷していくのも。
    だって、だからこの本を読み始めたんだもん。

    でもさー。それは、劔岳なのよ(^^ゞ。
    劔だからこそ、最初に登ったルートがどこか? それはどんなところなのか?というのはすごく興味がある。
    つまりだ。
    それと比べちゃったら、最初に山頂に立ったのが誰か?とか、錫杖頭と鉄剣をどこに置いたのか?等って、正直どーでもいいのよ。←身も蓋もない(^^;
    ぶっちゃけ言っちゃうなら、この本って、その山が劔じゃなかったら、エンタメ本としては出版されてなかったと思うの。
    どこかの1500メートルくらいの地味ぃ~な山だったとしたら、民俗学的な学術書的な出版のされ方をされていたように思うのだ。
    立山川から早月尾根へのルートを実際に登った時のことは、実際にテレビ番組になったらしいが、それも、やっぱりその山が劔だったからだと思うのだ。
    劔岳って、そのくらい魅力がある。


    第1章で、著者は現在の一番ポピュラールートである別山尾根から山頂を目指した時のことを描いている。
    その中に、“一難去ってまた一難。次は平蔵の頭が待っている(中略)登山者は山頂の手前まで迫りながら、その巨大な障害物を乗り越える試練を与えられる”とあるんだけど。
    「平蔵の頭(ずこ)」なんていう場所、全く記憶になかったのに、“山頂の手前まで迫りながら、その巨大な障害物を乗り越える”という文を読んでいたら、ふいにその時の記憶がまざまざと甦ってきたのだ。
    その時というのは連日の雨で。劔沢で2日間停滞した後のわずかな雨の止み間だったから。一服劔から先はほぼガスの中で、ほとんど視界はなかった。
    そんな中、急にガスの中に黒々と巨大な影が現れて、ちょっとドキッとした記憶があるのだが、あれがもしかしたら「平蔵の頭」だったのかもしれない。
    そんな風に、著者は情景の描写に優れているように思う。
    だからこそ、立山川から早月尾根の件も、もっと詳しく描いてほしかったなーと、そこはすごく残念(^^;

    ただ、最終の推測である、劔岳は実は古くは多くの人に登られていて。でも、加賀藩が山中での活動を制限、立山信仰の地を一本化したことで、立山川から早月尾根に至るルートは忘れ去られてしまった。
    その結果、室堂起点の信仰では劔岳は「登ってはならない山」→「登れない山」へと変わっていったという推測はすごく納得出来る。
    ただ、うがった見方をしちゃうと、著者って、本当に劔岳の昔のルート(著者の言うところの「初登頂ルート」)に別山尾根を想定していたのかなぁーって勘繰っちゃうのだ(^^ゞ
    もちろん別山尾根は立山三山に連なる尾根だから、立山三山に登るために知られていたとは思う。
    でも、今は地図があるから山々の位置を上空から俯瞰は出来るけど、昔はまずは下から見るしかなかったわけだ。
    下から見て、「あの山はどこから行ったら登りやすそうか?」「どこが一番近いか? 早く登れるか?」と考えたと思うのだ。
    だとしたら、普通に考えたら早月尾根…、だよねぇー(^^ゞ
    だって、修験道とかもからんでいるわけでしょ?
    なら、甲斐駒のルートが黒戸尾根だったように。劔だって、そういう風に山頂を目がけてダイレクトに上がっていく尾根、つまり早月尾根こそがルートだったように思うんだけどなぁー。
    そう考えると、何度も出てくる“剱岳ファーストクライムの5W1H”を推考するための「別山尾根仮説」って気がしちゃって。
    すごく嫌な言い方になっちゃうけど、それって本の構成上、後半を盛り上げるための仮説だったんじゃない?なんて思っちゃうのだ(^^ゞ


    ……と、まあ、自分の期待した内容でなかったため、文句ばかり書いてしまったが(^^ゞ
    つくづく思うのは、著者はこれ、すごく楽しかっただろうなーということだ。
    帯の満足気な笑みを見ていると、「へっへっへー。悔しかったらお前も行ってみな」と言われているようで、すんごぉ~くシャクにさわる(爆)

  • 高橋大輔さんって、えっ、著者が気になって触手がのびた1冊。しかも、新田次郎さんの名作「劒岳 点の記」をパクったようなタイトルにインパクトを覚えました。
    あのフィギュアの方とは同姓同名の方で自称探検家らしい。
    鼻息荒く、剱岳のファーストクライマーは誰か!とか、無茶テンション上がり歴史ロマンを感じていたのですが尻すぼみな内容でした。

    冒頭から、あの名作の山学会と測量隊の登頂を競う争いはなかったと切って捨てた時点でテンション爆下がりました。あっちはフィクションで私のはノンフィクションだと強調するあたりで興味なくなってしまいました。

    ま、でもせっかく図書館で借りてきた本だしもう少し付き合ってやろうじゃないかと読んでみたけどなんだかねって感じです。

    剱岳の登頂ルートは大きく4つあるんですが、2つは一般登山者ルートで、残り2つはピッケルにアイゼンに、登攀具が必要なエキスパートルート。ちなみに、点の記で登頂したのは長次郎谷から雪渓を詰めていくエキスパートルートで、無茶ロマンを感じますし、私もいつかいってみたいと思っているルートなんですけどね。
    平安時代に山頂に錫杖残した人はクライミングギアとか持ってないだろうとゆうことで2つの一般ルートに絞って調査がはじまる。もうここらで、川口宏探検隊のイメージが頭をよぎってしまいました。

    私もこの2ルートは登ったことあるんですが蟹のヨコバイ、タテバイのある別山尾根ルートはいまでこそ鎖とかあり整備して登りやすくなっていますが整備してなければまず無理でしょう。100歩譲って登頂できたとしても降りれないと思います。
    となると有力なのは西側から登る、早月尾根ルート、ここは日本一過酷な山岳レースで知られるTAJRの選手たちが最初に駆け上るルートです。   以下略

    誰が最初に登ったかって誰でもいいじゃないって思うんですよね。平安時代の誰かが登ったかもって思うだけでもロマンがあるし、山岳信仰とかは別に興味ないんですけどね。
    私にとっては自分が登ることが好きなので、登れたことがただただ嬉しんですよね。

    まっ、そんなんでげんなりしちゃって読むのは途中放棄してしまいました。
    忍耐力なくってすみませんでした。

  • 山ガールの後輩が、「面白かったです」と勧めてくれた本。
    でもって、私達の仲人さんも登場するらしいので、年賀状を書く前に読む。

    明治の終わりころ、日本地図の空白地帯をなくすために、陸軍の測量部は登頂不可能と言われていた劔岳に向かう。
    しかし、苦労の末頂上に着いたら、そこに平安時代の仏具(錫杖頭と鉄剣)が置かれていた。
    一体いつ、誰が、この場所にきてこれを置いたのか。

    登山素人の私からすると、どこから登ってどのルートを選んだかなんてどうでもいいような気がした。
    だって山でしょ?
    360度どこから登ってもいいんじゃないの?

    山とはそうものではない。
    準備もしないで登れば命がない。

    なのになぜ、明治になってもなお登頂不可能と言われるような山に登った人がいるのか。
    答えは残された仏具にあると考えられる。

    史料を読み、地元の人に話を聞き、地図を見て、仮説を立てて、実際に山に登る。
    現在の整備された山道や、登山道具をなしに登れる場所を探す。

    日本は古来から山を神聖なものとして信仰の対象としていた。
    世界的には高山って、神聖だから入山禁止、または恐ろしい場所として入山禁止としているところが多くて、日本のように神聖視しながら登っていくのは極めて珍しいのだそうだ。
    そんな日本人の宗教観も交えて錫杖頭の謎を追う。
    いくつも仮説を立てて考察してを繰り返す、その過程の面白さ。

    ”わかりきったような答えを安易に出せば人間の思考はそこで停止する。疑問、謎、好奇心はいつも寸止めだからこそ、追跡エクスタシーが生まれる。”
    全くそう思う。

  • ロビンソンクルーソー、間宮林蔵、鳥島等、
    独特の視点で探検を続ける作者。
    過酷な環境下での冒険、探検をする訳では無いが(失礼しました。そのような環境も勿論あると思いますが。)、何かを発見・発掘する視点が独特です。
    今回も新田次郎氏で綴られた、剱岳の誰が何のためにどこから、いつ、など5W1Hに沿って調べて行きます。
    地道に地道に調べていく姿は私は好きです。
    もっと評価されるべき。

  • 「劒岳ー点の記」は明治時代に未踏峰であった剱岳に登頂を果たし測量「点」を設置する話であった.点の記にインパクトを与えているのは,「ようやく剱岳山頂に登頂を果たしたら,そこで大昔の金属製の錫杖頭と鉄剣を発見してしまった」エピソードである.
    本書は,これら仏具を一体誰が,いつ,なぜ,どのルートを通って,どのようにして,どこに(山頂付近,という以外に正確な記録が残っていない)置いたのか?という5W1Hを明らかにしていく記録である.
    著者はこれまでロビンソンクルーソーのモデルとなった実在の人物が,実際に孤島生活で居住していた住居跡を発見するなどの冒険家であり,今回のお題も丁寧な調査と踏査を重ねて答えに迫ってゆく.
    願わくば,巻頭に関係する領域一帯の地図を掲載して欲しかった.

  • タイトル、そして著者の名前(高橋大輔)から、なんかイロモノっぽく思ってしまうけど(俺もそうでした。さーせん)、エエ意味でがっつり裏切られる傑作ノンフィクション。

    映画化もされた新田次郎の名作山岳小説「剱岳 点の記」で、主人公らが剱岳に登頂、四島三角点を設置した際、彼らは奉納されたと思われる剣と錫杖を発見している。これは実話であり、では明治の測量技師たちより先に、つまり剱岳のファーストクライマーとは誰だったのか?
    を探るのが、この本の主題である。

    さらに著者は、誰が?だけでなく、ファーストクライムの5W1Hを全て解明すべく、資料を漁り仮説を立てて、現場検証し、仮説が崩れたり疑問が出たら、さらに資料を漁り、他人に話を伺い、仮説を立てて現場検証…PDCAを念入りに繰り返していく。

    謎解きの道中で、歴史ロマンに思いを馳せ、その土地の風土を細かく観察し、実際に山を登れば登山ルートだけでなく廃道を探り、藪漕ぎをし、ヌタ場をクライミングまでしてしまう。その描写が実に面白い。歴史、土着風土、登山等々あらゆる好奇心を刺激してやまないのだ。
    彼がたどりつく5W1Hの答えは、ある程度の物的証拠と状況証拠があるとはいえ、仮説に過ぎないが、相当説得力のある説だと思う。

    山登りをするにあたって、単に体を動かすのが気持ちよくて楽しいハイキングに留めるのではなく、予習でも道中でも下山後でもいいので、こういった歴史的背景に思いを馳せててみるというのは、趣味の幅と厚みを大いに肥やしてくれるだろう。

  • 新田次郎が書いた有名な!?「剣岳・点の記」にも出てきますが、明治時代に剣岳の測量に入った人よりも先に
    剣岳山頂に登った人がいる・・ということを聞いた冒険家が、誰が、いつ、なんのために、どこから、のぼったのかを調査、検証、するまでのドキュメンタリーです。

    山を登ることは、自分との闘い、とか、達成感を味わいたいとか、人さまざまなのでしょうが、立山は、富士山、白山と並ぶ霊峰で、昔から山に神々が宿り、生命の誕生と終わり、そしてあの世があるとし、特に剣岳は、江戸時代から地獄の山として入山禁止になっていました。見るからに険しく、危険な鎖場がある山です。だからこそ、山登りには、魅力的な山なのでしょうね。

    でも、今回は、一人の人間の満足を得るための山登りではなく、宗教と国益が織りなす歴史を紐解く山岳ドキュメントになっています。(興奮)

    沢山の文献と人からの聞き伝えや情報を調べぬいて、事実を明らかにしていく様子は、鬼気迫るというか、執念と言うか。すこしずつ見えてくると、読んでいても先が気になる、気になる。。

    剣岳ふもとの上市町に残る真言密教の遺跡や大日大岩山の不動明王像や阿弥陀如来像のいわれや山にある陰陽石(神宿る石)など、知らなかった歴史遺産がどんどん出てきて、山は山登りだけのものじゃなかったんだと心震えました。

    剣岳や立山に関心ある方は、是非、一読あれ。

  • 映画『剱岳』を見て、地図の空白地帯を埋めるべく決死の覚悟で登った隊が遠い昔に山伏が奉納したらしきものを見つけた、という逸話を知った。その山伏はどうやって登ったのだろうというのは当然抱くであろう疑問だが、映画にも原作にも答えはない。
    その答えを追求したという本を本屋さんで見かけて、もうそのまま買って読み始めた。
    …面白かったことは面白かったが、途中からどうもはぐらかされているようなピンとこないかんじがあったことは否めない。ちょうど読み終わってしばらくしてから書評が出始めて見てみるとほぼ絶賛に近く、僕が読み取れなかったようなことが書いてあって感心した…がやっぱりピンとはこないままだ。まぁまた縁があったら再読して印象が変わるだろう。それはまた楽しみなことかも。

  • 1907年未踏峰とされていた剱岳の登頂に成功した者が見つけた古代の仏具、錫杖頭と鉄剣は誰がいつ、何のためにどうやって登頂して残したのか?
    そのミステリーを解く旅の物語。
    最近剱岳登頂を果たしただけに、とても興味深く、著者が考える早月尾根コースも登ってみたくなりました。
    今ではハシゴや鎖、アイゼンなど安全のために登りやすくなっている剱岳は、そんな物のない時代は空身で登るだけでも大変な山だったと思う。
    疑問を解き明かすために何度も剱岳へ登り、果ては道なき道を登って推理していった作者の執念の記録である。

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著者プロフィール

髙橋大輔(たかはし・だいすけ)
探検家。1966年、秋田市出身。高校時代から世界6大陸を放浪。「物語を旅する」をテーマに世界各地の神話や伝説を検証し、文献と現場への旅を重ねている。2005年、ナショナル ジオグラフィック協会(米国)から支援を受けた国際探検隊を率い、実在したロビンソン・クルーソーの住居跡を発見。浦島太郎、サンタクロース、間宮林蔵、鳥島漂流民、剱岳の謎など多くのテーマを探検。「クレイジージャーニー」(TBS系)ほか、テレビなど出演多数。

「2021年 『最高におもしろい人生の引き寄せ方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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