- Amazon.co.jp ・本 (591ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022504425
感想・レビュー・書評
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ノンフィクション、ルポルタージュとしては労作だと思うが、残念ながら、ほとんど共感を感じない。
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朝日新聞といえば、わが国最強の「平和の旗手」と思われているが、それは戦後に限ってのこと。いうなれば、戦後だれもが「戦争はもうこりごり」と思い始めた時点からの「平和主義」である。戦前の朝日は軍部追従、いな、積極的に軍部を後押しした“戦犯”である。正確にいうと、満州事件勃発までは平和主義者、非戦論者だったが、それ以降は逆に、軍に代わって、世論を煽ってきた“前科”を有していることが、この本には詳しく書かれている。
1931年9月18日、中国・奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道が爆破されるという事件が起きた。現地の記者はもとより、政府関係者も、あるいは関東軍の将校でさえ、「事件の責めは関東軍当局にある」「実際は、関東軍がやった」と思っていた。しかし、9月20日の東京朝日社説は「暴戻なる支那側軍隊の一部が満鉄線路のぶっ壊しをやったから、日本軍が完全として立ち、自衛権を発動させた、といふまでである」と書いている。
当時の日本を覆っていた中国への反感に、記者も染まっていたとか、新聞が世論を煽り、沸いた世論が新聞を引っ張る相互作用が動きはじめたとも記してある。軍務局長の小磯国昭が緒方竹虎編集局長に「日本人は戦争が好きだから、火ぶたを切ってしまえばついてくるさ」と語ったことも出ている。自分たちの社史の“恥部”をあますところなく書きつづった朝日の勇気は称賛したいが、それでも割り切れない気持ちの方が強い。 -
ふむ
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富山県立図書館
070.2||269 -
新聞と戦争の関係史
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新聞社がようやく自分たちのやってきたことに正面から向かい合う覚悟を決めたのか、と期待してこの本を開くと、見事にそれは裏切られることになる。
戦前、戦争中を通して新聞が何を書き世論をどう誘導していったのかということに関する言及はまったくない。
では何が書かれているのかというと、「あの時代、必死に真実を伝えようとした記者がいた」という類の自画自賛的ドキュメンタリーである。
仮に1000人の記者の中に1人そういう立派な記者がいたとしても、それをとりあげる前に、999人がどんな紙面を作ってきたのか、その精神構造を明らかにするべきではないのか。
自己批判による自浄作用のない新聞社の体質は、おそらく戦前から今にいたるまでまったく変わらず受け継がれているのだろう。 -
1月6日 ~ 1月13 日
新聞連載記事をまとめたもの →一貫したストリー展開(体系的な筋立て)ではない。=多角的な検証方法? →画期的な自己検証作業との評 →それを認めるとしても、もし日本が再び戦争に向かう時代になった時、新聞が抑止力として働くかは疑問(今回の検証から抑止力として働くという強い表明は感じられなかった)
また、新聞が国民(読者、一般大衆)を洗脳?した責任に対しても販売拡大という新聞社側からの一方的な検証で不十分であったように思える。(メディア→大衆→メディアのお互いに影響、利用しあったスパイラルな関係はどうだったのか)