- Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006032692
感想・レビュー・書評
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年月の経過とともに内面に深く沈む悲嘆を抱える人びとに、医師がどのように寄り添ってきたか。
感想はなかなか浮かばないが、何度か読み返したい本だと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人の心、魂というべきものを見据え、遺族への敬意を持って書かれている。さぞや著者には大変な心労があったと思う。もちろん、それを上回る、なんとか一日一日を生き抜いている遺族がいるわけだが。彼ら、彼女らの存在を感じられたのは、なんという貴重な経験だったことか。
・PTSDという概念は、1978年、アメリカ精神医学会がベトナム戦争復員兵の社会不適応に対して保険を下ろさせるために作った、限定的な概念である。
・今日の不幸の特徴は、効率を求めて慌ただしい動きをやめない日常の傍らに、ふと、その人だけの不幸が停滞していることにある。
・私は、日本のように前年度の年収とか、保険会社の計算表に当てはめるといった機械的で、遺族をさらに惨めな思いにさせる方法ではなく、被害者と加害者と社会が、個人の人間性を中心に対話できるような賠償の在り方を望ましいものと思う。
・覚醒時の豊かな悲しみが夢を準備すること、日中の思考以上に夜の夢は喪の作業をしていること、夢は感情表出に最もすぐれていること、とりわけ夢の作業は死者を忘れるためではなく、死者と共に生きていかれるようにすることにある。
・死はいつも、遺された人にとっての裏切りに思える。
・悲しみとは愛の別のことばに他ならない。
・安定した付き合いだけに人間関係を縮小し、そこで精神的負荷を少ないよく馴れた仕事を行っていくことは、精神的エネルギーを回復する最も良い方法である。
・遺族は「事故によって、私たちの人生は変わってしまった。だから加害者の生き方も変わって欲しい」と訴えている。
・私たちが現に生きている人々の主観的世界に近づくためには、専門家であり続けながら、専門家である自分を否定する視点を持たねばならない。
・尊厳死のような自分の死を永い人生の彼方に仮定して問う主題は、人生の意味や医療の社会的役割を問うことのなくなった時代と対応している。 -
日航ジャンボ機墜落事故の被害者遺族たちが、愛する人たちの突然の死をどのように受け止め、立ち直って(あるいは立ち直れないで)きたかを、精神科医の著者が遺族たちに真摯に寄り添う形で綴った著書。
たくさんの気付きが得られます。
そして、現代社会というシステムは、愛する人の死をしっかりと悲しんで受け入れるプロセスを辿ることすら、難しくしているのかと思い至り、愕然ともします。
お言葉
▲悲しみとは愛の別のことばに他ならない。愛がないところに悲しみはない。愛の後には悲しみが来るのであり、悲しみは愛の予兆であり余韻であるともいえる。▲ -
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2014.6.16〜
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第11章「法律家の経済学」だけは必読ですね。死を金額に換算することの異常性は常に忘れずにいたいものです。自戒を込めて。
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Amazon、¥1257.
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2014年32冊目。
1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故を中心として、遺族の悲哀の状況や、現代の喪を取り巻く問題点を分析する。
若干著者の文体に詩的な陶酔感を感じてしまったが、
遺族のインタビューはあまりにも生々しく、心を打たれずにはいられない。
部分遺体しか見つからない故人の破片を必死で捜し求める姿には、読み進めるのが辛くなるほどだった。
同時に、不幸と好機と捉えるマスコミや宗教勧誘の動き、そして日航などの事故当事者の対応には怒りを感じずにはいられない。
(もちろん、そちら側の証言などにももっと注意深く触れなければならないのだが)
登場する遺族の方々と立場は違えど、悲哀のステージの移行や、それぞれのステージで訪れる症状の話しなど、「あぁ、そうだったのか」と理解してもらえている気持ちになり、救われた部分が大きい。
これは一生手元に置いて、何度も読み返すことになる本。 -
主として日航機遺族の様子ですが、大量ということではなく、近親者の突然の死ということに対して、残されたものの気持ち、たどる精神状態、時が解決するだろうという世俗的な診断、加害者の取るべき態度、喪のビジネス・・・、どれをとっても首肯できるものばかり。