聞かせてよ、ファインマンさん (岩波現代文庫 社会 185)

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  • Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006031855

作品紹介・あらすじ

もしもファインマンさんの講演会があったなら、今だって会場には溢れんばかりの人がおしかけるだろう。学問のいかめしさとは全く無縁、不思議を突き止めていく科学のワクワク、ドキドキを、抱腹絶倒の語り口で伝えてくれるから。そんなファインマンさんの、講演・インタビューをまとめた一冊。話題は生い立ちから、素粒子や宇宙の話まで。

感想・レビュー・書評

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  • ファインマンさんシリーズという一連のエッセイがあることは前々から知っていたが、初めて読んだ。
    なんということもない読み物なのだが、読んでいるうち、だんだんと著者の「科学オンリー主義」とでも呼ぶべき偏狭さが気になってきた。
    彼はどうやら哲学が大嫌いらしく、さんざん嘲笑している。といっても哲学書をろくに読んだわけでもなく、たぶん全くわかっていない。
    社会科学についても「全然科学的じゃない」とさんざんにこきおろしている。
    確かに西洋文化の中で、自然科学は素晴らしい知の実績を積み上げてきたが、科学的思考「だけ」が正しく、政治もそれ「だけ」を考慮するべきだ、というファインマンさんの主張には賛成できない。
    たとえば「ツボ治療」なるものは、その効果についてはWHOさえもが認めているのに、それの「科学的解明」とやらは全くなされていない。やろうという気配さえない。「自然科学」はけっこう怠慢なのである。科学的な知は、知のすべてではないのだ。ツボ程度のものさえ解き明かし得ない科学主義者が、「疑似科学」を嘲る資格はないと思う。

    だいたい、どの分野であれ、その分野しか知らない「専門馬鹿」の語る話はおもしろくない。科学者であれ、そこらじゅうにいる自称「アーティスト/ミュージシャン」であれ、哲学者であれ、スポーツ選手であれ。彼らの業績、作品については別問題だが、とにかく狭い世界しか知らない人間が得意げに話す世界観には、あまり惹かれるものがない。むしろ、知ったかぶりの醜悪な自己満足が見え透いて不快だ。
    一方、科学も哲学も文学も政治も、あらゆることに向けて知的好奇心を惜しまないような巨人たちの語る言葉の方が格段に面白い。ジャン=ピエール・シャンジュー、ポール・リクール、メルロ=ポンティ、中井久夫、武満徹、こういった広範な知見を持つ者だけが、価値ある「話」を語りうるのではないか? いや、何も「すべてを解明する縦断的な見解」を持つ必要はない。ただ、おのれの「知」を、1個のはかない人間として、世界に向けてどこまでも開いていくことこそが、正しいのではないか?

    それと、ファインマンさんは原爆の開発にもたずさわっていた。ヒロシマで大量の、無防備な一般市民が死に、地獄絵図の中をさまよい苦しんでいたその時、開発チームは「成功」を祝っておおはしゃぎしていたという。科学者が実験成功を祝う気持ちはわからないでもないが、アインシュタインなら別の態度を示していたろう。
    原爆の開発に関し、ファインマンさんは無反省というわけではないようだが、アメリカがそれを先に完成させなければナチスが完成させる恐れがあった。だからアメリカが原爆を完成させて使用したことは正しかった、という思いがあるらしい。
    どう理屈をつけようが、戦争のために無差別大量殺戮兵器の製造をする者は殺人者でしかないと私はおもう。少なくとも非戦闘員の大量殺害の瞬間に大喜びするような事態は、何かが致命的に間違っている。クレイジーそのものだ。

    というわけで、どうもこの人の「人柄」には全然魅力を感じなかった。もうファインマンの本は読まないと思う。

  • 少し難しいけれど、ファインマンさんの本やめられません。

  • 「~、ファインマンさん」のシリーズ。女好きでいたずら好きでウィットに富んでいてかつ気取っていない、人間味溢れる数々のエピソードには誰もが思わず微笑んでしまうだろう。チャレンジャー事故のロジャース委員会での立ち振舞いは自然科学に魅せられた者の鑑であり、権威を排することに徹底していたこともまた、科学とそれに携わる者の存在価値を再認識させる。こういう男が現実にいて、汚い言葉遣いで正しいことを主張しまくったり、ノーベル賞を取ったり、日本の旅館で畳や布団に感動したり、離婚したり再婚したり、子供ももうけたり、ボンゴを叩いてカーニバルに出たりしていたんだなぁという、個人的には極めて好ましい想像はしかし、広島と我が故郷である長崎を人の尊厳ごと焼き尽くしたという、極めて受け入れがたく許しがたい事実とのコントラストになる。マンハッタン計画に加担した悪魔達の一味にして、自然科学の理解の仕方を革新した量子力学の申し子。病弱の妻を看取りながら、人類史上最悪の兵器を開発するという矛盾。科学技術は、有益で残酷で面白くて悪用もできる、あらゆる意味で皆に平等であることを彼の人生は突き付けてくる。喜ばしくも腹立たしく、悲しくも明るくも読める。矛盾を包含して理解することこそ、今と未来を生きる現代人に必要なことなのかもしれない。

  • 久しぶりにファインマンの本を読んだ。年一冊ペースで読んでた時期もあったのに、ちょっとご無沙汰してしまった。
    読んでみたらけっこう読みやすいのに。

    話題自体は他の本でも似たようなことに触れていたものが多いように思ったけど、今回は特に少年時代の父親との触れ合いが印象に残った。「いくら名前を並べてみたってあの鳥についてはまだ何ひとつわかったわけじゃない。」「さあ、それよりあの鳥がいま何をやっているのか、よく見るとしようか」うーん、いいセリフ。

    来年はもう一冊読みたい。

  • 0円購入2010-06-04

  • ファインマンの講演書き起こし。ほかの著書でも読んだことのあるエピソードが多い。正直科学の詳細の話はキチンと理解する努力を放棄しながら読んだのだが、それでも、そんな読み方でも楽しめる。

  • 読んでおいて損はない

  • 科学者っていいなあ。憧れる。

    懐疑を貫くって大変だから。カッコいい。

    ナノテクノロジー、量子コンピュータの発想がすごい。

    お父さんがまた魅力的なんだな。
    息子とのやりとりをどれだけ楽しんだか。

    これまでのファインマンの著作にあった愉快さの源泉を見た思いがする。

  • 3週間かけて2回読んだ。1964年にイタリアで開催されたガリレオ・シンポジウムで行った講演「現代社会での科学的文化の役割とそのありかた」の中で、「科学の応用について道徳的問題に直面するこれからの分野は、きっと生物学です。社会に関する物理学の問題が深刻なら、生物学の知識の発達にともなう問題はそれどころではなく、ますます深刻なものと考えていいでしょう。」(86ページ)と述べているのは、さすがだと思った。その一方で、「そういうわけで僕はあることを学びました。女性の頭はたしかに解析幾何を理解できるのです。ですからいままで長年女性も男性も等しく合理的思考能力があると(あれだけ反対の証拠に直面しながらも)主張しつづけてきた人たちの言い分には、一理あるのかもしれません。」(209ページ)という発言を、よりによって米国科学教師協会の会議(1966年)での講演「科学とは何か」でしているあたり、ファインマンも時代の制約からは逃れられなかったということか。1918年生まれといえば、日本では大正時代だ。量子計算機の研究もしていたこととか(「未来の計算機」)、「ナノテクノロジーの父」と呼ばれていることとか(「底のほうにはまだ十二分の余地がある」)、初めて知ったことも多い。そして、欧米の科学者は、どうしても科学と宗教との関係に頭を悩まさずにはいられないものらしい(「科学と宗教の関係」)。フリーマン・ダイソンによる「序―偶像視せんばかりに」に心底共感できるくらいに物理学が分かっていたらよかったのに。『ファインマンさん ベストエッセイ』改題。

  •  ファインマンシリーズの第1弾として読了。これは面白い。チャレンジャー号の事故報告書、ファインマン物理学の人という印象しかなかったが(教科書はかなり分厚く、ちょっと尻込みしていた)、一掃された。
     哲学的記述は少々理解が厳しかったが、好奇心が落ちることはなかった。いやー別の本もすぐに読みたい、と思えた本であった。読みます。

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