ロボットと人間 人とは何か (岩波新書 新赤版 1901)

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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004319016

作品紹介・あらすじ

ロボットを研究することは、人間を深く知ることでもある。ロボット学の世界的第一人者である著者は、長年の研究を通じて、人間にとって自律、心、存在、対話、体、進化、生命などは何かを問い続ける。ロボットと人間の未来に向けての関係性にも言及。人と関わるロボットがますます身近になる今こそ、必読の書。

感想・レビュー・書評

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  • ロボット開発者は、結局人間そのものと向き合っている。彼らが創作しているのはロボットなのか人間なのか。
    これはロボット開発者でなければ分からない苦労なのだと思う。
    ロボットを開発する上で、開発者は結局「人間」そのものと向き合わざるを得ない。
    その開発されるロボットの目的や、ゴールをどこに設定するかによって、意味合いは相当に異なってくる。
    大量生産する工場の中で働く工作用ロボットは、これはこれですでに完成されている。
    人間のような意識を持つ必要はないし、工作用ロボットを人間側に似せる必要すらない。
    しかし、我々が一般的にイメージする今後のロボットは、いわゆる汎用型だ。
    人間をサポートしたり、人間とのコミュニケーションが必須の能力になる。
    当然、ロボット開発の難易度は格段に高くなる。
    現時点でも人工知能の進化は目を見張るものがあるし、企業の事務作業の代替や、サポートセンターの応答などは確かにAIの実装が進んでいる。
    この状況で、社会全体にAIが普及し浸透するのには、一体どれぐらいの時間がかかるのだろうか?(我々人間にとって、どれぐらいの時間が残されているのか?)
    著者の研究の中で一つに、人間にロボットを遠隔操作させることで、人がロボットと接した際、その人がどう感じるか、というのがある。
    これは非常に面白い研究だと思う。
    AIのLLM(大規模言語モデル)の進化が進めば、いずれロボットが自律して、対話なども人間が介さずにすべてロボットだけで完結する時代が来るだろう。
    その来たるべき時代を見据えて、どういう点に気を付ければよいかを、遠隔操作の人間を使ってシミュレートしているということだ。
    このシミュレーションによって、様々な発見があったというのが興味深い。
    裏側で人間が操作をしていることを事前説明しないとして、人に相対するのがあくまでロボットである場合でも、人はそのロボットに対して「人間性」を感じることが多いという。
    これは会話しているのが実際の人間であるのだから、電話で喋っているようなものと考えれば合点がいく。
    つまり目の前に存在するものが、ロボットだろうと人間だろうと関係ないとも言えるか。
    この「人間性」というのが曖昧な表現であるが、要は「何を以って人間っぽく見える。感じるのか?」ということかと思う。
    こう考えると、ロボットの存在をどう定義するかが、非常に重要な気がする。
    果たしてロボットは、人間をアシストしたりサポートしたりする存在だけなのだろうか。
    もしくは、人間と寄り添って、一緒にいることで人間の能力を拡張させる存在なのだろうか。
    人間自体がロボットをどう使いこなしたいのか。
    それによって機能させるハードウェアとしての形式や、制御するソフトウェアも変わってくると思う。
    「ロボットをどうしたいか」よりも「人間自身がどうなりたいのか」という部分に踏み込んでいく必要があるということだ。
    ロボットを使ってどうやって自分自身を成長させていくのか。能力を拡張させていくのか。
    単なる便利ロボットの開発に留まらず、非常に難しい問題を突きつけられているような気がする。
    本書の中では一律の答えはなく、様々な実験を通して試行錯誤している様子そのものを紹介してくれている。
    一つの回答例で言えば、「人間のようなロボットを作る」もあると思う。
    必ずしも、人間型ロボットだけが正解ではないのだが、研究としては一つの目指すポイントだと思う。
    ロボット自身をもし人間に似せて作るのであれば、より人間らしく、より人間の心が分かるように作る必要があるだろう。
    そうなると、益々「人間自身のことを詳しく知る必要がある」ということに帰結する。
    こんな簡単なことに私自身気が付かなかったというのも盲点なのであるが、これからのAIそしてロボット科学技術が進化した社会というのは、より人間のことを理解しようとする意識が重要ということだ。
    ロボットの技術的な課題は、今後徐々に解消されていくのだろうと思う。
    ネットワークはどんどん早くなり、遅延も少なくなる。
    大容量のデータを一度に送るということも可能になってくる。
    今リアルで目の前で受け取っている情報量と遜色ないだけの情報が、ネットワークを通じて送られてきた場合、人間はリアルとバーチャルの違いを認識することが出来なくなってしまうだろう。
    そんな時に、リアルとバーチャルを分ける境目が、この「人間っぽい」という感覚に頼るような気がしてしまう。
    バーチャル世界でアバターが喋りかけてきたら、それは人間がアバターを通じて話しかけてきたのか、それともAIアバターが自動的に話しかけてきているのか。
    私のような昭和世代の人は、リアル・バーチャルの区別をついつい付けたくなってしまうが、次世代の人たちにとっては、「人間でもAIでもどっちでもよくない?」ということになるのかもしれない。
    そういう時代になった時に、ロボットやAIアバターに対しても「人間っぽさ」を感じることで、友情や愛を感じたりするのかもしれない。
    こんなことを考えると、ロボット製造の目的が非常に広い範囲を示していて、寧ろ理解しづらくなる。
    あくまでも自己の能力の拡張と捉えれば、人間のサポートをするイメージが強いが、自分に良いアドバイスをくれる人生のパートナーのような存在と受け取れば、それも「自己の能力の拡張」と言えるような気もしてくる。
    この辺のモヤモヤしたものが残りながらも、結局ロボットは、より人間に近づいていくというのが必然な気がする。
    その時に問われてしまうのは「結局人間とは何なのか?」ということか。
    本書の中で印象に残っているエピソードだが、必ずしもロボットにリアルな人間の顔がなくても、抱きしめてその耳元から囁かれる声を聞くだけで相手の人を感じることができた、というものがある。
    結局人間が人間を認識するのは、いい加減なものなのかもしれない。
    今までだって相手と電話で喋っていても、我々はそれに慣れてしまい、違和感を持たない。
    コロナ禍によってオンライン会議が普通になったが、改めてその様子を考えてみると不思議なものだ。
    江戸時代の人が現代にタイムスリップするという物語があるが、電話やPCというものが存在しない時代の人から見たら、その様子は滑稽でしょうがないことだろう。
    つまり、今現在不思議だと思うことも、時代が変われば当たり前になることだってあるということなのだ。
    本書内で、ロボットと人間が自然な会話をするための様々な実験がされていると紹介されていたが、この辺も非常に興味深かった。
    ロボットと人間とで1対1で喋るだけでなく、人間1人に対してロボットを複数台設置して会話をすると、意外と会話が途切れずに話が続くという。
    これは人間が喋らずとも、話が詰まったらロボット同士が会話を繋いでいくから、話題が尽きず会話が成立するのだという。
    これらのことから、人間の会話というのは話の中身が重要ではなく、連携プレーのような作法でどうとでもなるということなのだ。
    これも実は大きな発見で、今後は独居老人が益々増え、1人でいることで認知症を発症する確率が高まっている中で、話の中身は別としてとにかく会話に参加させて脳を活性化させるということに意味があるのではないか、ということだ。
    当初想像していたロボットの使い方だけでなく、開発の過程で様々な社会課題を解決する方法を見つける可能性がある。
    そんな副産物も得られながら、今後もロボットとAIは進化して、徐々に社会実装されていくのだろうと思う。
    その中で世界を見渡すと、やはり日本というのは特殊な国ではないかと改めて感じてしまう。
    西洋では「神が生命を作った」という宗教の力が強いために、ロボットはあくまで「道具」という位置付けでしかないらしい。
    日本人のように、そこに生命が宿り、ともすれば自分のパートナーとなり、自分を成長させてくれる存在になる、という感覚を持つことは難しそうな気がする。
    逆に言えば、日本人はそのハードルが極めて低いということだ。
    これはマンガ・アニメの影響も大きいかもしれないが、根本的に八百万の神が当たり前の宗教観を持つ中で、ロボットに生命が宿ったとしても、我々は不思議に感じにくい。
    昔話でも地蔵が生き物のように振舞ったり、妖怪の存在なども普通に受け入れてきたという文化の背景がある。
    この「モノに心が宿る」ことに対して違和感がないという感覚は、非常に面白い文化なのではないかと改めて感じてしまう。
    そういう特徴を持った日本人こそ、ロボット開発を世界に先駆けていくべきではないだろうか。
    そもそもロボットのハードウェア面を見ても、日本のモノづくり技術こそ優位性があると思っている。
    ガソリン車がEV車にシフトすることで、日本は苦境に立たされるという指摘がある。
    ガソリンエンジンのポイントは「すり合わせ技術」であって、そこは日本に一日の長があるという。
    これがEV車になると、部品そのものがモジュール化されて、組み立てるだけで性能が変わらないクオリティのものが出来上がってしまうため、日本は優位性が発揮されず苦しくなるという論理だ。
    自動車はそうかもしれないが、ことロボットに関して言えば、当然同じように電気とモーターで動くとしても、これこそすり合わせ技術が必要な機器ではないだろうか。
    人間と接する上で、相手を傷つけないように、最新の制御で稼働することが必要となる。
    特に手と指の動きについては、部品を組み合わせただけで動くようになるとは到底思えない。
    足においても、ゴツゴツした場所を倒れずバランスを取りながら歩くことも、様々なすり合わせ技術が必要なのではないかと思う。
    さらにそれらを制御するソフトウェアという面でも、単純にAIを実装して動かすということでは済まないような気がするのだ。
    ロボットが人間を傷つけないためのソフトウェアの設計はどうするのか。
    難しい課題はまだまだあると思うが、ホスピタリティに溢れる日本人こそ、こういう点は得意なのではないだろうか。
    ロボットが人間社会に普及するまでには、まだまだ時間がかかるかもしれない。
    逆に、意外と時間がかからずに普及するかもしれない。
    人間は技術を使うことで、自身の能力を拡張してきたというのは、歴史が証明している。
    これこそが人間の特徴そのものと言っても過言ではない。
    だからこそ、今後ロボットやAIを脅威と思うのではなく、自分の能力の拡張のために使えばいい。
    そのためにどうすべきか。
    どういう使い方をすれば、ロボットとAIの能力を最大化して、自身の能力の拡張に取り込んでいけるのか。
    そういうことを真剣に考えていかなければいけないのだと思う。
    (2024/3/12火)

  • 次の人間の進化はロボットとの融合。そして最終的には、ロボット化し無機物戻る。人間は無機物から生まれて無機物に戻る過程の一つ。この考え方、恐るべし。

  • ロボットを作ることを通じて、人間を知る、、、ほんとに、それを極めてきた方なのだな、と思います。

    アンドロイドで偉人を作る意味
    (<偉人とは、社会の中で人々のポジティブな想像を喚起しながら、生きる支えになるもの>)、
    心とは
    (外から見えるもの?<オリザさんは役者とロボットの区別がない>らしい)、
    存在感とは
    (<テレノイドに足りない個人としての情報を、対話者自らが想像力を使って補完する>、ハグビーと対話をした後は顔を感じる)、
    対話とは
    (<必ずしも、言葉の意味を理解して応答することではない>、パターンで会話可能)、
    体とは
    (<脳とジェミノイドの体が双方向に繋がっている>)、
    ときて、
    9章 進化とは何か でぶっ飛んだ進化論にびっくりしました。

    そして、未来には、幸せだけでなく不幸もあるだろうけれど、人間は何を目的に生きるのかと問えば、「人間を知るため」と答えたい、という下りまでくると、ここに極まれり、と思う。

    面白く刺激になりました。

  • 石黒教授は最高に面白い。アンドロイドを
    通して、ずーーっと
    人間とは何かという謎を考えすぎて、
    この本を読むと
    ちょっと狂った領域に
    到達しちまった発言もあるように
    感じました。

  • ロボットの研究開発者が見ると、人間自体 分かっていないことがあまりにも在りすぎて、どれから手を付けて行けば良いのか苦労しているのがよくわかった.一般的に例えば脳の動きを考える場合、解析的な方法で追及するとあまりにも奥が深くまとまらなくなるが、構成的方法で対処するとなんとかなる由.重要な点をかなり早い時期に会得した石黒さん、素晴らしい! いろいろなロボットを開発した経緯を紹介しているが、失敗した点をある意味で自慢している感じで、非常に好感が持てた.人間に役立つロボットの出現は近いと思う.

  • 読みやすい
    著者はロボット工学者だとばかり思っていたけれど、サブタイトル「人間とは何か」にあるとおり、人間を理解したいという思いで非常に学際的に(認知心理学、演劇etc.)活動されている方だとわかった。
    ロボットを用いた構成的方法による人間理解(開発したロボットから人間らしさを感じるとすれば、そのロボットには人間らしさの何かが実装されており、そのロボットを分析することで人間らしさとはなにか理解することができる)、おもしろい

  • 幸せとは相対的な価値観であって過去にも未来にも幸せも不幸もある。大切なことは未来は幸せにならないかもしれないけれど、それでも未来に向かって人間は生きていくということである。未来を考える力を持ったがゆえに、未来について期待が持てなくなったとき、人間は動物よりももろく生きる力を失ってしまう。そこに人間の悲しい差ががあるように思う。

  • ロボットの制作を通して人間を探求する。構成的方法って言うのだそうな。確かに。すごく納得できる。
    驚いたのは、命令伝達システムの研究成果として、脳波で機械に命令を伝えることは既に実現できているらしい。これってガンダム世界のサイコミュシステムだよね。さらに脳の機能を機械を使ってパワーアップすることも可能なんだそうだ。つまり電脳化の技術も夢物語ではないってこと。いよいよ人間を再定義することが求められる時代になってきたんだね。

  • アンドロイドと言うと、実物を見たのは
    桂米朝のみ。

    ロボットと人間

    といえば、鉄腕アトム の苦悩を連想してしまう。
    あるいは、スピルバーグのAIの主人公の苦悩を連想してしまう。

    あの個性的な風貌の石黒浩博士/栄誉教授の著書が岩波新書赤版におさまっている。

    体調の良い時にサブノートつけながら読まなければ、
    十分に理解できないだろう。


    工学書、それもロボット工学というよりは、
    心理学の本/人間研究の本ではないかという気がしている。

  • 新書なので箇条書き感は否めないけど面白いトピックばかり。
    脳と身体の繋がりはかなり曖昧で、ロボットアームや羽を生やしても脳波で制御できるらしい。ピーター2.0もいるし可能なのか。
    ロボットの演劇や詩の朗読はかなり感動的ということでいつか見てみたい。人間性は外面に表れている情報を受け取った人の中で処理して感じるもの、ロボットにも感じうる。
    人はロボットに視覚、聴覚、触覚、嗅覚など様々な要素で人間らしさを感じるが、全てを人に似せなくても視覚と触覚など2つ程度の要素を感じられれば人のほうで補完して人気らしさを感じることができる。あまり似せすぎると却って機会らしさが目立つし、不気味の谷という現象もある。

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著者プロフィール

石黒 浩
ロボット学者、大阪大学大学院基礎工学研究科教授(栄誉教授)。1963年滋賀県生まれ。大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了(工学博士)後、京都大学大学院情報学研究科助教授、大阪大学大学院工学研究科教授を経て、2009年より現職。ATR石黒浩特別研究所客員所長(ATRフェロー)。オーフス大学(デンマーク)名誉博士。遠隔操作ロボットや知能ロボットの研究開発に従事。人間酷似型ロボット(アンドロイド)研究の第一人者。2011年大阪文化賞受賞、2015年文部科学大臣表彰及びシェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム知識賞受賞、2020年立石賞受賞。『ロボットとは何か 人の心を映す鏡』(講談社現代新書)、『どうすれば「人」 を創れるか アンドロイドになった私』(新潮文庫)、『ロボットと人間 人とは何か』(岩波新書)など著書多数。

「2022年 『ロボット学者が語る「いのち」と「こころ」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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