- Amazon.co.jp ・本 (316ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004318743
作品紹介・あらすじ
パンデミックで窮状が白日の下に晒された日本の大学。襲いかかるオンライン化の奔流、不可避の人口減、疲弊する教員、逼迫する資金、低下する国際評価——。存続の危機の根本原因はどこにあるのか。本来の大学を追究し続けてきた著者が、「時間」をキー概念に提案する再生のための戦略とは。ロングセラー『大学とは何か』待望の姉妹編。
感想・レビュー・書評
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欧州的ユニバーシティと奈良時代から官僚育成のために作られた日本的「大学」はイコールではない。中世旅する知識人のネットワークとして始まった学会。旅する知識人の集積場所、つまり多様性、独立独歩のユニバーシティ。
その違いがよくわかりました。
その分析を基に、21世紀ポストコロナの大学こそ、中世ユニバーシティをベンチマークにするべきではないか?と言う問いかけにとても共感しました。
校舎がなく、4年間半年毎に学生全員が世界を移動しながら学び続けるミネルバ大学。
経済に国境が無くなった社会を反映するには、大学も移動し続けるのは理にかなっていると思います。高城剛さんが「アイデアの質と量は歩いた距離に比例する」と言ってました。また誰か忘れましたが「旅をしないと本は書けない」と言う言葉もみたことがあります。
やはり、芭蕉のように漂泊してこそ、新しい知識が生まれるのではないかと思いました。 -
■企業経営の手法を大学運営に移入しようとしたことで、マネジメントが重要だという思想に主力教員が振り回されて時間を磨り潰しており、研究も教育も下降線だ。
■専門教育はもちろん必要だが、その前段階としてヒトとしてのポテンシャルを上げる機会となる横断的な学びの経験が大事だ。しかし現在の日本のパンキョウは専門教育に隷属してしまい、主体的な教養教育はできていない。
■コロナで広まったオンラインだが、マス教育をITに載せるだけでは大学自身の自己否定につながるだけ。練りこまれた共通教材はマス・リモートで活用し、より深い専門的な教育は少人数のゼミナール・実験教室方式でなければならない。前者の間は学生は「街に出て、世界に出て」知の実践的足腰を鍛えるようにしてもいい。
・・というようなことを書いている(と思う)。 -
コロナ禍で大学は大変。学生もだが教員も対応に四苦八苦。
大学はどうなっていくのかを、中世からの大学の成り立ち、世界と日本の大学の違いや、コロナ禍以前からのオンライン化した大学の事例、9月入学の考察など多様な切り口で解き明かしてくれます。
難読な部類ですが、筋道の通った論説はさすがで納得がいきます。
今このコロナ禍の状況が、新しい第三世代の大学への一歩だ、という主張に光が見える気がしました。茨の道ではありますが。 -
おもしろい。国際化と社会人教育、一般教養の再生が課題だと思った。
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大学の成り立ちを明らかにした後,その過程で生じた齟齬,オンライン化,9月入学の是非,日本の大学の均質性,を考えた上で,日本の大学の将来像を模索する.日本人の民族的価値観念や思想哲学に基づいた,新たな大学像を構築するのか否かに依るため,民族としての成熟度が問われる.現在の日本の大学が均一化しているならば,日本民族やその文明が疲弊停滞している証左だろう.
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ボタンのかけ違い。
本質的な議論のない上滑り。
大学だけではない。 -
業界研究としてとても参考になりました。
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/756875