藤原定家 『明月記』の世界 (岩波新書 新赤版 1851)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004318514

作品紹介・あらすじ

『新古今和歌集』や『小倉百人一首』の選者として知られる歌人藤原定家は、果たしてどのような日常を送っていたのか。青年期から生涯にわたって綴られた日記『明月記』を詳細に読み解くことで、宮廷での公務の心労、人間関係の軋轢、家長としての重圧と苦悩、息子たちへの思い、など、生身の定家の姿を浮かび上がらせる。

感想・レビュー・書評

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  • 藤原定家(1162~1241)が1180~1235の55カ年に渡って遺した日記『明月記』を家族、任官、荘園経営といった側面から読み解いたもの。家族に関する記述は特に充実している。筆者によると、『明月記』は多くの貴族日記と比べて私的なことを多く書き残しているため、中級公家定家の喜怒哀楽を窺うことができる。

    『明月記』を通じて筆者がたどり着いた結論は、定家=ジコチュー(自己中心的性格)。殿上での喧嘩、任官への強い関心、後鳥羽院との仲違い、息子たちへの接し方など。源平の争乱や承久の乱を目の当たりにして、「紅旗征戎吾ガ事二非ズ」とうそぶいた精神も、この端的な例に加えられるだろう。もっとも、定家の「自己中心的な性格こそが、和歌の革新をもたらした原動力であった」。

  • 「明月記」に興味はあるけれども、全部を読み通す能力のない人間にはうってつけ。鎌倉時代の京都に住む貴族の様子も分かる。

  • 老いらくの親のみる世を祈りこし 我があらましを神や承【う】けけむ
     藤原為家

     この「老いらくの親」とは、当時数えで80歳であった藤原定家のこと。父定家の存命中に、悲願であった大納言の官位を授かり、日吉神社に拝賀した折の歌という。

     息子為家の行動も記録された「明月記」は、定家が50年以上の長きに渡って記した漢文体の日記である。内容の一部は、堀田善衛「定家明月記私抄」に引用されていたが、近年、より精査された「翻刻 明月記」が刊行され、さまざまな研究が可能になったという。
    和歌で著名な定家であり、後鳥羽院との和歌の話題が多いのかと思いきや、意外にも、家族関係の記述が多いらしい。系図を確認すると、スリリングな発見もあるという。

     長命であった定家には、妻が2人、子どもは6、7人とみられるが、驚くのは息子為家への偏愛=親バカぶりである。たとえば、若くして蔵人頭に昇進した為家の来訪を、「光臨」「来臨」と敬語で記したくだりもある。

     対照的なのが、最初の妻との息子である光家についての記述である(為家は2番目の妻との子)。光家は為家よりも年長だが、「外人【うときひと】」=身内でない人間と記述され、晴れの席には、為家のみが送り出されていた。向き不向きもあったのだろうが、光家の心の傷は深かったのではないだろうか。

     任官をめぐる喜怒哀楽や、行動範囲、家計の事情など、私記でありながら、一級の史料でもある「明月記」。興味は尽きない。
    (2021年3月13日掲載)

  • 「藤原定家『明月記』の世界」村井康彦著、岩波新書、2020.10.20
    266p ¥968 C0221 (2022.07.15読了)(2022.07.10借入)
    NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の関連で読みました。ドラマでも今後源実朝が登場し、その関連で、藤原定家の名前ぐらいは出てくると思われます。また、承久の乱で後鳥羽院が登場すると思われますが『新古今和歌集』を計画したのは、後鳥羽院であり、その編纂に参加したのは、藤原定家です。
    藤原定家と北条一族の関係について225頁に以下の記述があります。
    「宰相(為家)の妻は宇都宮頼綱の娘で、妻の母は北条時政と牧の方の娘であることが分かった。何と、為家は北条時政の孫娘と結婚していたのである。」
    為家は、藤原定家の息子です。

    【目次】
    序章『明月記』とは
    第一章 五条京極邸
     1 五条三位
     2 百首歌の時代
    第二章 政変の前後
     1 兼実の失脚
     2 女院たちの命運
     3 後鳥羽院政の創始
     4 定家「官途絶望」
    第三章 新古今への道
     1 正治初度百首
     2 和歌所と寄人
     3 終わりなき切継ぎ
     4 水無瀬の遊興
     コラム◆熊野御幸と定家
    第四章 定家の姉妹
     1 定家と健御前
     2 俊成の死
     3 俊成卿女と源通具
    第五章 除目の哀歓
     1 居所の変遷
     2 除目の「聞書」
     3 官途「無遮会(むしゃえ)」
     4 「為家しすへむ」-「名謁」の効用
     コラム◆日吉社と定家
    第六章 定家の家族
     1 定家の妻
     2 定家の子供たち
    第七章 「紅旗征戎非吾事」
     1 八座(さんぎ)八年
     2 院勘を受く
     3 承久三年の定家
     4 一条京極邸
     5 院との訣別
    第八章 庄園と知行国
     1 御子左家の家産形成
     2 知行国主為家
     コラム◆庄園を歩く
    第九章 子供たちの時代
     1 光家と定修
     2 因子と為家
     3 為家の家族
     4 為家と関東
    第一〇章 嵯峨の日々
     1 嵯峨中院山荘
     2 小倉百人一首
    系 図
    基本史料・参考文献
    あとがき
    章扉写真説明
    『明月記』年表

    ☆関連図書(既読)
    「定家明月記私抄」堀田善衛著、新潮社、1986.02.20
    「定家明月記私抄続篇」堀田善衛著、新潮社、1988.03.10
    「藤原定家 愁艶」田中阿里子著、徳間文庫、1989.12.15
    「新古今和歌集」小林大輔編、角川ソフィア文庫、2007.10.25
    「新古今和歌集・山家集・金槐和歌集」佐藤恒雄・馬場あき子著、新潮社、1990.09.10
    「源実朝」大佛次郎著、六興出版、1978.12.20
    「朱い雪 歌人将軍実朝の死」森本房子著、三一書房、1996.05.31
    「実朝私記抄」岡松和夫著、講談社、2000.05.15
    「炎環」永井路子著、文春文庫、1978.10.25
    「絵巻」永井路子著、角川文庫、2000.08.25
    「源頼朝の世界」永井路子著、中公文庫、1982.11.10
    「北条政子」永井路子著、角川文庫、1974.04.15
    「尼将軍 北条政子」童門冬二著、PHP文庫、2008.11.19
    「マンガ日本の歴史(16) 朝幕の確執、承久の乱へ」石ノ森章太郎著、中央公論社、1991.02.20
    「大系日本の歴史(5) 鎌倉と京」五味 文彦、小学館ライブラリー、1992.12.20
    「吾妻鏡」上・中・下、竹宮 惠子著、中央公論社、1994.12.20-1996.02.25
    「出雲と大和」村井康彦著、岩波新書、2013.01.22
    (アマゾンより)
    『新古今和歌集』や『小倉百人一首』の選者として知られる歌人藤原定家は、果たしてどのような日常を送っていたのか。青年期から生涯にわたって綴られた日記『明月記』を詳細に読み解くことで、宮廷での公務の心労、人間関係の軋轢、家長としての重圧と苦悩、息子たちへの思い、など、生身の定家の姿を浮かび上がらせる。

  • 新古今和歌集や小倉百人一首の撰者である藤原定家を知りたくて読んでみた。彼の私日記である明月記を通して彼の人生について述べているが、彼が見物好きだったり暴力事件を起こしたり、後鳥羽上皇なんかにも無礼なことをしたり、長男の光家を疎んじて弟の為家ばかり可愛がったり、上級官位への欲望の強さだったり、優れたアーティストだからかやたら我が強いように見える。

  • 藤原定家の『明月記』を読み解き、定家の実像にせまっている本です。

    建久の政変によって九条兼実が失脚し、兼実の家司であった定家は官途の望みを絶ったと告げたことに触れて、著者は「「そんな言い方はまずい、破滅するようなものだよ」などと、声をかけたくなる瞬間がたびたびある」といいつつも、「それが良くも悪くも定家の真骨頂であった」と述べています。

    こうした著者の定家に対する批判的なまなざしは、定家が為家を目にかける一方、光家に対してはあまりにも冷たい態度をとっていたことを紹介しているところにも見られます。「定家さん、冷酷に過ぎませんか」といったことばがしばしば記されており、定家のつきあいきれない性格にあきれつつも、『明月記』に記されたことばから定家の実像を明らかにしようとしています。

    「あとがき」で著者は、「『明月記』は徹底して私の視点で書かれた、いってみれば極私日記であった。この時代に、これほど“じこちゅう(自己中心的)”な記述も珍しい」と述べていますが、そのような性格をもつ『明月記』がのこされていたからこそ、定家のアクの強い個性がはっきりと見えてくるのかもしれません。

    なお、本書とおなじ岩波新書から五味文彦の『藤原定家の時代―中世文化の空間』が刊行されており、やはり『明月記』の叙述をくわしく参照しながら、定家と彼の生きた時代について考察がなされています。

  •  「身もこがれつつ」とは違って、あの強烈な院の姿があまり見えない寂しさ。

  • 「明月記」を読み込んで、定家を含む家族との関係に重点が置かれたものだという印象。若いころは姻戚関係の記述が煩雑で嫌いでサラッと読み進めていたが、最近は文章と系図を交互に見ながらその人物の考え方や行動に影響があったのか考えるのが楽しくなった。当時を含め、古代(縄文を含めて)から近世までの日本では女性の果たす役割がすごく大きいと定家周辺の姻戚関係を見ていて、改めて感じた。いつもそうだが本を読むと興味が無限大に広がっていく。この本からは定家の生きた時代、後鳥羽天皇、新古今和歌集、百人一首、嵯峨の中院への旅・・・。時間が足りない。あと、定家が猫を飼っていたとは驚きであり、微笑ましくもあり、嫁さんが飼ったから世話をしたというんもええなぁ。どんな顔して猫をゴロゴロさせとったんやろう。(6/23記)

  • 日記『明月記』を中心に藤原定家とその周辺を歴史的に見た書。細かいところだが定家邸の変遷とか、家族についての考察など大変興味を引かれた。子の為家が関東武士宇都宮頼綱の娘を妻にしていたとか、その縁で牧の方(このころは牧尼となっている)が登場したりとか、朝幕関係を考えるうえでもなかなか面白い。もちろん後鳥羽院とか京都側のことも。
    『玉葉』はかなり研究されているが、『明月記』ももっと歴史的にちゃんと読み込んで研究すべきなのだろう。個人的には著者も取り上げきれなかったと書いている天文関係記事についてもっと知りたい。かに星雲関係は有名だが最近注目されているオーロラ記事など天文学史的にも歴史学的にも重要な記事が多そう。

  • 1200年代の京都に住んでいた貴族の生態を「名月記」から考察した面白い本だ.当時の女性は天皇の后として男の子を産むことが、自分の一族の誉れであったようだが、本書でそれを期待していたが彼女たちの肉声はなかなか出てこない.ここでは定家の行動を追っているが、男として出世を願いながら、政敵との葛藤を勝ち抜くことも重要であり、定家の行動は1200年代も今もあまり変わっていないなと感じた.このような資料が残っていること、それを読める人がいることは、日本の文化としては非常に重要だと感じた.定家が家司として仕えた九条兼実、彼のカウンターパートであった源通親.それぞれの娘が男の子を産むがどうかで親の出世が決まる世界.何か腐臭を感じるが、通親が曹洞宗の高祖 道元の父だった可能性があるとの説もあり、貴族の世界の魑魅魍魎を実感した.

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著者プロフィール

村井康彦(むらい・やすひこ):1930年山口県生まれ。京都大学文学部大学院博士課程修了。専攻は日本古代史・中世史。国際日本文化研究センター名誉教授・滋賀県立大学名誉教授。著書『出雲と大和』『藤原定家「明月記」の世界』『茶の文化史』(以上、岩波新書)、『武家文化と同朋衆』(ちくま学芸文庫)、『王朝風土記』(角川選書)など多数。

「2023年 『古代日本の宮都を歩く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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