「勤労青年」の教養文化史 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
3.89
  • (7)
  • (19)
  • (7)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 211
感想 : 26
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004318323

作品紹介・あらすじ

かつて多くの若者たちが「知的なもの」への憧れを抱いた。大学はおろか高校にも進めなかった勤労青年たちが「読書や勉学を通じて真実を模索し、人格を磨かなければならない」と考えていた。そんな価値観が、なぜ広く共有されえたのか。いつ、なぜ消失したのか。地域差やメディアも視野に入れ、複雑な力学を解明する。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 1950年代に20代だった「勤労青年」の叔母は、日本文学全集や百科事典などの蔵書を遺していた。戦争で学校に行けなかった彼女の心のうちを知れるかと思い紐解いた。

    映画「キューポラのある街」(1962)において、ジュン(吉永小百合)は、最終盤、やっと全日制高校に行ける目処がついたのに敢えて夜間高校に行くことを決める。「これは家のためっていうんじゃなくて、自分のためなの。たとえ勉強する時間は少なくても、働くことが別の意味の勉強になると思うの。いろんなこと、社会のことや何だとか」

    著者は、62年当時は、これが大衆に大いに支持されたことを指摘する(キネ旬二位、映画評論一位)。教養主義とは何か。著者の説明は以下のようなものである。
    「さまざまな困難を乗り越えて、働きながら学び、実利を越えた何かを追求する」
    「読書を通じた人格陶冶」
    「文学・思想・哲学等の読書を通して人格を磨かなくてはならない」
    つまり、試験でいい点をとったり、良い就職先にありつくことではなかった。

    これは現代の学生には、全く支持されないと、著者はいう。特に小百合の言う「実利を超越した勉学・教養」という主題に共感した(著者の受講生の)学生は、皆無だったと指摘する。著者は、その背景に「格差と教養」をめぐる時代背景があるのだ、と論を進める。

    悪い予感が当たった。
    著者は肝心の「教養」を持ちあわせてはいない。或いは、誤った「教養」を持っている。

    京大出身の社会学者である著者は、ホントに勤労青年の「人格陶冶」への渇望の意味がわかったのだろうか。社会現象として解説しただけではないか。もちろん、これを全面的に展開しようとしたならば、小熊英二の「1968」ならぬ「1958」が必要になるだろう。無名の個人の思想変遷にはまで筆を進めなくてはならない。そのボリュームを覚悟して欲しかった。

    昔は若者は健気に頑張った。でも、困難や時代の推移で、今は完全に廃れている。寂しいよね。

    そんな内容を書くのが、「教養」が求めていることではない。「教養」は、人は如何に生きるべきか、を求めているだろう。

    今ホントに教養主義は、廃れているのか?
    地方は昔と同じように疲弊している。
    労働環境は昔と同じように展望がない。
    世界の文明はますます危機に瀕している。
    青年はホントに「実利を超えた勉学・教養」を求めていないのか?現代青年の教養に対する意識調査は、著者はひとつも紹介していない。

    現在無数のサークルが日本に存在しているが、それは教養主義とリンクしていないのか?
    全国的な「勤労青年」の学習組織も存在しているが、著者はなぜ完全無視したのか?

    叔母さんは、結局花道と茶道で免許皆伝を取った。そうやって人生に折り合いをつけたのだと思うが、広く地域と結びつかなかった。その頃は既に、地域の組織は衰退を始めていたからである。

  • アジア太平洋戦争後、全日制高校に進学できなかった勤労青年の間で発生した教養文化について、その消滅までを追跡したもの。進学できなかったことへの鬱屈や、「教養」に触れない人たちへの優越感が、教養文化を支えていたことが浮き彫りにされる。1970~80年代の歴史ブームの担い手を、かつて教養主義をくぐった男性中高年層に見出す個所も面白い。

    労働環境の改善や消費文化の浸透という勤労青年にとっての「幸」が、人生雑誌の「不幸」=教養主義の消滅をもたらしたとの指摘は重い。それでもなお教養が流行する社会を是とする説得的な理由を見出すことは、決して簡単ではないと思った。

  • 前々から、昭和の家庭が高価な百科事典や文学全集を揃えてしまう精神性がよく理解できていなかったが、この本を読むことで大分すっきりした。安い、早い、深いと、これぞまさに新書の良さ、という感じだ。

    現在「勉強」というのは、多くの人にとって「した方が良いもの」と認識されており、その事由は、職業選択の拡張や、昇給ないし昇給のための資格獲得などの手段になり得るということが大いにあるだろう。

    一方で戦後間もない日本社会においては、高等教育は農村はおろか都市部であっても、かなり裕福な家庭しか受けることのできない限定されたものであった。
    つまり、いくら勉強を頑張っても立身出世の役にたたないし、それどころか、勉強は仕事を阻害するものとして、家族や雇い主からは疎まれさえした。

    しかし一方で、そうした社会通念に対する反骨精神からか、返って勉学に情熱を燃やす若者も少なくなかった。それは手段ではなく目的としての勉強、或いは良く生きるための手段としての勉強であり、その純真無垢な精神は、少なくとも私にとっては、大変に憧れるものである。

    もちろん、今の世の中の方が多くの人に勉強や職業選択の機会は開かれているし、それはとても歓迎すべき事だ。とはいえ、社会的な損得無しに学ぶことを楽しめることは、何より素晴らしいことと思う。

  • もやもや思っていたことを、わかりやすく文章化してもらったものを読めるという快感があった。『キューポラのある街』をツカミに持ってくるのは、新書の社会科学分野としてハマりすぎみたいだけれど、明快で想定読者層を突き放さない読み物だ、という確かなメッセージにもなっている。
    内容で留意すべきなのは、扱っている時代幅が「戦後以降」であるということ。江戸時代、明治・大正という時代を遡って青年層の上昇志向の変異分析といったものとは、明確には接続していない。うがってみれば、敗戦後から1980年頃まで、「勉強しなさい」と大多数の親が怒鳴っていた時代はそれだけで独立して分析対象となりうるということか。確かに、マスとして「勉強」を通じた上昇志向が共有されていたのは、戦後の、それも昭和のある期間だけかもしれない。日本史上においても特異な時代であったのかも。

  • 農村における青年団・青年学級、都市部における定時制高校、進学できなかった勤労青年を主な読者とした人生雑誌を軸に、多くの若者が「知的なもの」に憧れを抱いた時代をたどる。進学格差をめぐる鬱屈が、大衆教養主義を下支えることとなった。

    個人的に興味深かった点。草創期の『葦』『人生手帖』といった人生雑誌に編集者として携わっていた大和岩雄も、小学生の頃に進学組と就職組に分けられ、くやしい思いを抱いた。大和はのちに大和書房を立ち上げることとなる。(p.196)あとがきによれば、『人生手帖』の読書会サークルはのちに雑誌『PHP』の読者会に転じて行ったという。この流れはやがて司馬遼太郎や『プレジデント』なども含めた大衆歴史ブームへも繋がっていく。「自己啓発系」の版元の系譜を理解できたような気がした。

    《就職や大学進学という実利から排除された彼らは、定時制に通うことの意図として「勉学」「教養」を自己目的化するしかなかった。言うなれば、定時制高校生の教養への志向は、実利の世界から締め出されていたことと表裏一体をなしていたのである。》(p.133-134)

    《そこには、「反知性主義的知性主義」(『「働く青年」と教養の戦後史』)を見出すことができよう。知識階級への憎悪(反知性主義)を抱きつつ、知や教養、さらには知識人への憧憬(知性主義)が並存する状況は、一見、矛盾含みのものではある。しかし、微細に見てみると、両者の間には順接の関係を見出すことができる。高等教育を受けられなかったにもかかわらず、知や教養に憧れを抱くことは、必然的に知識人層によって知が独占されていることへの反感を生む。その心性は、知識人とも対等であろうとする平等主義的な価値観に支えられていた。人生雑誌は、こうした反知性主義的知性主義に根ざすものであった。》(p.214-215)

  • 戦後から高度成長期にかけての教育現場の一側面を、豊富な史料を繙きながら解き明かした労作。「人生雑誌」という出版文化を産み出した社会構造の析出は見事。しかし引用があまりにも多く、それらの合間に著者の主張を細切れに挟み込むスタイルは、「一体何を明らかにしたいのか?」という気分にさせられた。

  • エリート層の教養主義については類書も多いが、進学が出来なかった層に焦点を当てて、それぞれの背景や状況をきめ細かく叙述していて、当時が具体的に浮かんできます。バックデータとなっている資料収集の苦労も窺われます。

  • この本は20世紀半ばから後半にかけて、勤労青年たちにとって「教養」にはどんな意味があったのか、なぜ教養を求めたのか、など当時の社会情勢を描きながら中学を卒業した後すぐに働く青年たちの様々な思いを考察したもの。

    当時の高校進学率(全日制)は今に比べて格段に低かった。それには様々な理由があるが、一番の理由は、学費の問題だ。それ故、昼間は働きながら定時制の高校に通う人が多かった。そして定時制に通うほとんどの人たちは良い企業への就職や、転職のためではなかった。(もちろんそういう人たちもいた)
    彼らの目的は「教養」を身に着けることだった。彼らは全日制の人たちよりも一足早く社会に出て上司の人たちから理不尽な扱いをたくさんしてきた。勤労青年たちはその不条理な社会に疑問を抱き「人としての生き方」や「社会の在り方」の真理を発見するため定時制に通いだした。

    しかし学業と仕事の両立は様々な理由で難しいものだった。(職場環境、人間関係、学習環境、学習内容、健康面など)
    これらが理由で「教養」への熱が次第に冷めていった。
    そこで勤労青年たちの「学ぶ場」として新しく誕生したのが「人生雑誌」というものだった。彼らは雑誌を通して定時制には無かった「哲学、歴史、思想、社会科学」といった実利的ではないものを学ぶ事ができた。(それらは彼らが求めていたもの)
    だが「人生雑誌」も様々な理由から徐々に衰退していく。(それを読むことによって社会から左翼的と思われ悪いイメージがついた)

    そして高度経済成長期に入ると段々と経済的格差が無くなって物質的にも豊かになり始めると同時に高校進学率(全日制)も上がった。
    また、定時制に通う人に対する社会的評価も変わり始めた。経済的な理由から定時制に行く人が少なくなったが故にそれでも定時制に進学する人は「学力がない」、「落ちこぼれ」などと評価されるようになっていった。

    自分の中の結論としては、世の中が経済的に豊かになった行き青年たちの生きがいというか人生での目的が「物質的」に豊かになることになっていったのではないかと思う。心の平安が「教養」ではなく「消費」に代わっていったように感じた。

  •  1950年代後半を中心に、上級の学校へ進学できなかった「勤労青年」たちの「教養」への渇望の実相と、何が彼らを必ずしも「実利」と結びつかない「教養」へと向かわせたか、農村では青年団・青年学級、都市では定時制高校や企業の養成所、さらにそれらからはじかれた若者たちの学習欲求の受け皿として機能した「人生雑誌」の盛衰を通して明らかにしている。50~60年代は中学校において「進学組」と「就職組」のコース別学級編成が進行した時期であり、家計の貧困や家父長制の圧迫故に進学できず、差別的待遇を受けることへの不条理に対する後者の鬱屈を重視している。当時の若者の「生の声」を通して見える当時の日本社会の矛盾は、ある意味今日の新自由主義社会における貧困・格差を考える上で依然として参照軸となりうる。

     結局、高度成長の開始による所得格差の縮小(高校進学率の急上昇や労働環境の改善)と小市民的な消費文化の隆盛によって、大衆教養主義の支持基盤は(高学歴層における教養主義と同様に)衰退するが、本書では50年代に「教養」の洗礼を受けた世代が、80年代以降の「大衆歴史ブーム」(歴史小説や通俗的な歴史読み物)の担い手となることにその「残滓」を認めている。この点はブームの担い手の階層や世代についての実証を欠いており、そのままでは認めがたい。あとがきでさらりとしか触れられていないが、ある地方の『人生手帖』サークルが同誌の廃刊後『PHP』の読書会に衣替えしたというような事例にこそ、大衆教養主義の変貌を読み解くヒントが隠されていると思われ、より精緻な分析を望みたい。

  • ノンエリート層の「教養」について、戦後〜1970年代までを主な射程に、青年学級・定時制・人生雑誌への眼差しをまとめた本。おそらく資料収集に相当力を注いだのではないか。その苦労は察せられるが、引用とまとめが繰り返され、やや冗長に感じた。最後の歴史趣味への論考や、高度成長以降、ノンエリート層から「教養」が如何に見放されたのか、もう少し読みたかった。

全26件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1969年、熊本市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。現在、立命館大学産業社会学部教授。専攻は歴史社会学・メディア史。単著に、『二・二六事件の幻影』(筑摩書房、2013年)、『焦土の記憶』(新曜社、2011年)、『「戦争体験」の戦後史』(中公新書、2009年)、『殉国と反逆』(青弓社、2007年)、『「反戦」のメディア史』(世界思想社、2006年)、『辺境に映る日本』(柏書房、2003年)がある。

「2015年 『「聖戦」の残像』 で使われていた紹介文から引用しています。」

福間良明の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×