グローバル・ジャーナリズム――国際スクープの舞台裏 (岩波新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004316534

感想・レビュー・書評

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  • 企業や政治家が絡む事件の報道は、大手メディアは時として追及が甘くなるケースがあります。そこには監督官庁への忖度であったり、広告主への配慮であったり様々な”しがらみ”が存在します。そのような制限とは無関係に報道できるのがフリーのジャーナリストですが、一方で組織力、取材資金などの制限を受けざるを得ません。国際犯罪では最早一人のジャーナリストで事件の全体像をつかむのは不可能になってきており、そこで脚光を浴びるのが本書で紹介されているフリーのジャーナリストによる国際協力組織です。
    本書1章では、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)がパナマに数多く存在するタックスヘイブンを利用した著名人、政治家の税金逃れの現状を明らかにした「パナマ文書」の裏側を紹介しています。
    本書2章ではアゼルバイジャンのアリエフ大統領一家が、国営企業株の取引で巨額の利益を上げたケース、イタリアマフィアが南アフリカのダイヤモンド産業から巨額の資金を得ていたケースなども、同じような国際協力組織が事実を明らかにした例として挙げられています。
    これだけでも十分、国際報道の舞台裏を伺い知ることができて興味深いですが、最も印象に残るのは本書5章の、「日本における調査報道の危機」に触れた部分です。
    日本では「個人情報」が「プライベート」と同一視され、事件・事故報道でも実名を極力排した報道に向かいつつあります。また裁判資料について、個人情報保護法や刑事訴訟法の改正で、裁判以外の目的で使用することが禁止されたため、記者が事件報道のために訴訟資料を利用するハードルが非常に高くなってしまいました。現在の状況は、確かに事件・事故に巻き込まれた一般市民が報道によって多くの人の目に晒される状況を回避できる一方、行き過ぎた匿名性は権力者や監督官庁による情報の独占を許し、また公開されたくない情報を都合よく隠すことができる状況を作り出す遠因となります。著者が感じている日本における調査報道の危機が、本書5章に実例を挙げつつ詳しく述べられいます。
    本書が出版された2017年から4年が経過しました。安倍政権後期から菅政権を経て、状況は著者が危惧した方向にかなり進行しているのではないかと改めて認識させられました。

  • ジャーナリズムの国際的な動きを具体的な事例から紹介して、そのあとに日本はどうか、ということについて書いていて、流れとしても読みやすかったし内容もおもしろかった。
    ジャーナリズムについてジャン―なリストの視点で取材する、しかも日本人の視点から、国際的な視野で書いである本なので、とても興味深かった。

    「パナマ文書」がニュースになって特に調査報道の価値が世界に認められたと思うけれど、じゃあ日本社会ではどうなんだろう、って考えたときに、ニュースの消費者として、もっと時間をかけて追及するジャーナリズムに価値を置き、支持を示さないといけないと思った。

    また、前に日本の判例を調べていたけれど思うように情報を入手できなかったことを思い出した。公的に明かされるべき情報は、とことん追究すべきだし、現在の法的制度でそれが合法でないのであれば、制度自体を正す必要も出てくること、そのためには市民の一人一人が社会はどうあるべきかについて意識して生きること、その環境を作ることが大事だと思った。

    ・・・・・
    「特定秘密」って誰に対して何を秘密にしたいんだろう。秘匿することが必要であるという選別は誰が行う権利を持っているんだろう。

  • パナマ文書に含まれている複雑な資金の動きや大陸間を跨ぐマフィア組織の活動などを時間をかけた調査で暴き出していく調査報道は、今や個々の報道機関や記者の枠を超えたグローバルなネットワークによって取り組まれているのだということがよく分かった。

    背景には、残念ながら個々の企業がそのような時間のかかる調査報道を支えることができなくなっているということもあるが、対象とするテーマの広がりが組織化、グローバル化し、報道する側もより幅広い取材網、専門家、ローカルのインフォーマントの協力を得なければいけない状況にあるということも、それ以上に大きな要因なのではないかと感じる。

    また、最終章で記者が問題提起しているが、プライバシーと実名報道の間のバランスに関する考え方について、日本と海外では大きな違いがあるということも、初めて認識した。

    海外では、刑事事件の関係者について原則的に実名報道であり、そのことが社会のその事件に対する認知を高めるために重要であるとのことである。

    個々の社会においてとらえられ方が異なる問題については、社会的合意を得ていくためには時間がかかると思われるが、重要な問題提起であると思う。

    いずれにしても、ジャーナリストの働き方、報道と市民の関係性といったことが変わりつつあるということを監事られ、報道機関のこれからのあり方を考えるうえで、興味深い本だった。

  • パナマ文書が報じられる裏部隊を垣間見ることができる
    スリリングな本。

  • デジタル技術の進歩を背景としたグローバリズムの進展は、ジャーナリズムの世界も劇的に変えようとしています。
    それを如実に示したのが、記憶に新しいパナマ文書のスクープでした。
    本書の第1章でも取り上げていますが、その舞台裏は実にスリリングで、この種の本としては珍しく興奮して読み耽りました。
    きっかけは、南ドイツ新聞の記者の元に届いた1通のメールでした。
    「こんにちは。私はジョン・ドウ(匿名太郎)。データに興味はあるか?」
    同紙は、2・6テラバイト、実に1150万通にも上るパナマ文書を入手することになります。
    しかし、パナマ文書には各国の有力者や関係者、さらには犯罪者が密かに設立した匿名法人が記されています。
    とても、1社では手に負えないと判断した同紙は、国際調査情報ジャーナリスト連合(ICIJ)に連絡し、調査報道プロジェクトとして展開することを提案し、受け入れられます。
    そこから各国のジャーナリストが連携・協調し、膨大な量のパナマ文書を分析する作業が始まります。
    もちろん、報道解禁までは秘密を厳重に保持しなければなりません。
    万一漏れれば、パナマ文書に記載された当事者に対策を講じられる恐れがあるからです。
    実際に、大勢のジャーナリストが関わりながら報道解禁まで一切情報が漏れなかったのは驚嘆に値します。
    報道が解禁されるや、同時多発的に各地でパナマ文書報道が火を噴き、国際スクープとして世界の注目を集めたのは周知の通り。
    本書では、アイスランドの記者がだまし討ちで、パナマ文書に記載された同国の首相をやり込める場面も出てきますが、まさに痛快そのものです。
    アゼルバイジャンなど民主主義が十分に機能していない国で国際協力して立ち向かうジャーナリストたち、ダイヤモンドを巡って暗闘するマフィアの罪を暴いたのはイタリア・アフリカ各国記者連合でした。
    報道はグローバル化し、そこに既存のメディアだけでなく各社のスター記者を集めたNPOも加わって加熱します。
    キーワードはやはり「デジタル技術」でしょう。
    現代のデジタル技術がなければ、パナマ文書をはじめとする国際スクープの数々はとても成し得なかったに違いありません。
    一方で、こうしたグローバル化する報道が、各国の地元記者によるローカルなジャーナリズムに立脚していることも明らかにされます。
    「プロの取材は結局、人間と人間のコミュニケーションによって成り立つ」
    との言葉が重く胸に響きました。

  • ジャーナリズムの本は初めて読んだ
    内容はあまり理解できていないと思うが興味深く関連する本も読んでみたいと思った
    派手なスクープも地道な作業の積み重ねで生まれると分かった
    あるべき報道と倫理と公共の利益などのバランスは難しそうだと感じた

  • ノンフィクション
    メディア

  • 自分のためのメモになります。

    政府も警察も国境を超えない、でも犯罪組織に境界線はない、だから我々記者は国境を越えて力を合わせる、そうすることにしたんだ・・。華々しいことより、地道なことが書いてあった。地味な調査取材は時間もお金もかかり、記者がお荷物扱いされることもある・・フランスの大新聞は企業の資本が入ってしまったこと、いまやNPOがメディアを運営すること、寄付金で調査取材をするメディア、ベトナムの学生の調査取材が毎年、新聞に掲載され、1面を飾ることもあること、インタビューを成功させるためには記者が「人間らしく正直に」なぜ話してほしいかを伝えること。悲しみの中にある遺族であっても厳しい状態にある企業の役員であっても。行政や裁判所がデータを出してくれないから、週に何回か電話したり、早く出していただくために何か手伝えることはあるか聞く。その場にふさわしい態度をとることの大切さ。

    意外だったのはアメリカでは被害者の情報も含め事件や裁判内容が公開されること。江川紹子いわく、報道されるのは嫌だと思う。でも個人にとっていやなことと裁判を公開しないことによる公共や社会へのマイナスと、両方を考えなくてはいけない。実際、一見、関係ない裁判内容がいろいろな調査取材に役立つのだと言う。

  • 070||Sa

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著者プロフィール

澤康臣(さわやすおみ)一九六六年岡山市生まれ。東京大学文学部卒業後、共同通信記者として一九九〇~二〇二〇年、社会部、外信部、ニューヨーク支局、特別報道室で取材。タックスヘイブンの秘密経済を明かしたパナマ文書報道のほか、「外国籍の子ども1万人超、就学の有無把握されず」「虐待被害児らの一時保護所が東京・千葉などで受け入れ限界、定員150%も」「戦後主要憲法裁判の記録、大半を裁判所が廃棄」などを独自に調査し、報じた。二〇〇六~〇七年、英オックスフォード大ロイター・ジャーナリズム研究所客員研究員。二〇二〇年四月から専修大学文学部ジャーナリズム学科教授。著書に『グローバル・ジャーナリズム 国際スクープの舞台裏』(岩波新書)、『英国式事件報道 なぜ実名にこだわるのか』(文藝春秋)などがある。

「2023年 『事実はどこにあるのか 民主主義を運営するためのニュースの見方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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