アマテラスの誕生: 古代王権の源流を探る (岩波新書 新赤版 1171)
- 岩波書店 (2009年1月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004311713
作品紹介・あらすじ
戦前の日本で、有史以来の「国家神」「皇祖神」として奉じられた女神「アマテラス」。しかしヤマト王権の時代に国家神とされたのは、実は今やほとんど知る人のない太陽神「タカミムスヒ」だった。この交代劇はなぜ起こったのか、また、古代天皇制に意味するものは何か。広く北方ユーラシアとの関係を視野に、古代史の謎に迫る。
感想・レビュー・書評
-
古事記を読んでいて、いつも引っかかっていたのが、三柱とアマテラスたちの関係だった。文学的に読んでいてはまるでわからないものも、歴史的に見ていくとスッキリする。ムスヒ系とアマテラスの関係などを歴史と紐付けで考えることで、矛盾や不明な点が理解できるように思う。
完全に解明されたわけではないだろうが、かなり説得力のある説だと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/705812 -
私のような初学者でもそこまで苦になることなく読み進めれることができたことが驚き。なおかつ多くの参考文献や学説に触れられており、歴史学?神話学?の深遠さも感じさせてくれる、すごい本だと感じる。
天武天皇の歴史書編纂(国家改革)がきっかけで、アマテラスが皇祖神に移り変わっていく、という話だったのだけれど。市政の方からすると「馴染みがある」ということはすごい大事で、いつのまにかその座にいた、というのがなんとなくイメージされます。
---------
・4世紀から5世紀にかけて日本に大きな変化があったと思われる。遺物・遺跡などから「倭の独自性がつよい文化」から「朝鮮半島の影響が強い文化」への移行。
著者は対高句麗の敗戦が、体制変革のきっかけとなったと考える。その中で国家体制の基本となる新たな政治思想の導入があった。=天孫降臨神話の導入。
・日本書紀、古事記で主神されるのはアマテラスではなく、タカミムスヒ。(アマテラスが主神とされることは後で付け加えられている)
日本の皇祖神・国家神の変遷は
ヤマト王権時代(5~7世紀):タカミムスヒ
律令国家成立移行(8世紀~):アマテラス
といえる。
もともとアマテラスは純朴な女神像のイメージ。神々のトップに立つ最高神でなければ宇宙秩序体現者の像でも無い。(と思われていたはず)
むしろ主役という意味では、スサノオーオオクニヌシといった英雄像になるのでは無いか。
直木孝次郎の伊勢神宮論によると
【疑問点】
1.皇室が己の先祖神を、本拠とするヤマトから遠く離れた伊勢の地に祀るのはおかしい。
2.伊勢は、とくに皇室と深い関係があった地でもなく、皇室の勢力が強い地でもなかった
3.古代には、天皇自ら伊勢神宮に参ったという記録が一つもない
4.『日本書紀』の伊勢神宮に関する記事をみると、他の社と同格に四有されており、特別な神社であるという意識がなかった。『続日本紀』ではじめて「伊勢大神宮」という特別な名称で呼ばれ、区別され始める
疑問を解決する回答として
1.伊勢神宮は、はじめ太陽神を祀る地方神の社であった。
2.六世紀前半頃に皇室と密接な関係が商事、皇室の崇敬を受けるようになった。その理由としては、伊勢が東方発展の基地として重視されたこと、また伊勢は大和の東方にあたるため、太陽神の霊地と考えられていた
3.地方神であった伊勢神宮が、皇祖神を祀る神社に昇格したのは奈良時代前後である。昇格の契機としては、壬申の乱(672年)における神宮の冥助、すなわちアマテラスの加護が考えられる。
大和からの東方の要衝が伊勢、朝鮮への窓口は沖ノ島。この2箇所がヤマト王権下で重要視されていた。
沖ノ島の宗像神社に祀られている宗像三女神は「ウケヒ伝説」上のアマテラスの娘。
「ウケヒ伝説」地上に追放されたスサノオが天上に帰って来た際、自身の潔白を証明するために行う占い(ウケヒ)。天の安河を挟んでアマテラスとスサノオが対峙するという大掛かりの舞台の中、それぞれ身につけていた剣や玉を噛み砕いて吹き出すといったやり方で子を生む。そうしてニニギの父親であるオシホミミや宗像三女神が生まれていく。性別が女性なら心が清いことになるらしい。
ウケヒ伝説は『記紀』に六つの異伝があり、古事記と日本書紀の本文のみ、アマテラスの子が五男神でスサノオの子が三女神であるとするが、そのほかは逆。
スサノオが女神を生んだとする異伝では、それぞれ自分の玉や剣を相手に渡し、二人は相手の物を噛み砕いて子を生むことになる。生まれた子はどちらの子なのかという問題が生じる。
『記紀』本文では、子が生まれたあとでアマテラスによって五男神は私のものから生まれたから私の子ですと宣言される。これはあと出しジャンケンではないか。
アマテラスが女神を生んだとする異伝の方が、本来的な古い伝承なのではないか。
なぜ『記紀』本文で男神を生んだことになっているのか。アマテラスが皇祖神の地位に就くため。男子を持たなければ皇祖神になれない。男子を持つためにはウケヒ伝説以外には無い。
7世紀末、律令国家の成立に向けて改革を推し進める天武天皇は、歴史書の編纂を命じて、新しい中央集権国家を支えるイデオロギーとしての、神話の一元化を図った。
皇祖神=国家神として選び取られたのは、それまで皇祖神であったタカミムスヒではなく、土着の太陽神であったアマテラス。
といっても、いきなり追い落とされたのではなく共に皇祖神の地位にありながら、時間をかけてかなり曖昧な形で推移した。
背景として、タカミムスヒはヤマト王権下において王家の先祖神ではあったが、広範な一般の人々にはほとんど親しまれていない馴染みのない神だった。一方アマテラスは、一部の地方豪族が信奉した神ではあるが、土着の太陽神として古くから神話を通して列島全体の広範の人々に知られて、支配層の人々にも踏破の別なく親しまれていた。
タカミムスヒは天皇に直属する勢力である氏の勢力が信奉する神であり、いわば党派性の色彩が強い神だった。新しい統一国家を建てるにあたり、特定の氏グループの神と見られる神を国家神に据えるのは得策ではないと考えたのではないか。 -
『古事記』の神話において、タカミムスヒからアマテラスへと皇祖神の交代が起こったことをさぐり、その理由についても考察をおこなっている本です。
著者は、好太王碑文に記された高句麗との戦いの敗北によってもたらされた危機感が、北方ユーラシアに由来し朝鮮半島につたわった天孫降臨神話を導入し、あらたな王権体制を整備することの必要性を為政者たちに痛感させることになったと主張します。また、『古事記』において「ムスヒ」系神話と「イザナキ・イザナミ」系神話の二つの系統が存在していることを指摘し、在来の神で地方の豪族たちに祭られていたアマテラスが、大和王権を支える官僚的な位置を占めていた豪族たちの祭るタカミムスヒに代わって、皇祖神となったと論じています。
中央集権体制を整えるという目的のために日本神話の再編成がおこなわれたという著者の基本的な立場は明快ですが、なぜほかならぬアマテラスが皇祖神にえらばれたのかという点については、あまり明快な理由は示されていません。著者は、天武天皇以来の政治状況を踏まえて、いくつかの理由が推測できるとしており、これはこれで歴史学者として慎重な態度をとっているというべきなのかもしれませんが、著者自身が提示した問題に対してじゅうぶんなこたえがあたえられていないようにも感じてしまいました。 -
天皇制の勉強のために買った本
難しいのかなと思っていたけれど、溝口睦子さんの視点がいいからか
意外と身近に感じられて読めたよ -
先日読んだ武光誠氏のアシッドさ加減に比べると、極めてちゃんとした本で、読んでいて心が浄化された。
タカミムスヒの実像がかなり詳しく明らかになっているのに対し、4世紀以前の神話の内容やアマテラス誕生の経緯については全然研究が進んでいない、という歴史学会の状況が理解できる。 -
日本の国家神と言うと「アマテラス(ヒルメ)」(天照大神)を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、古代からの長い歴史で見ると「アマテラス」が国家神であるとイメージされ始めた時期というのは意外と新しい。著者は、「記紀」の分析に考古学の成果を合わせて、国家神の交替という考えを描いていく。
まず、著者は『日本書紀』の巻を分類し、国家神の記述に着目した。その結果、古い神話の形の巻では「タカミムスヒ(高皇産霊)という神が国家神として登場することが分かる。「タカミムスヒ」については、考古学の成果を参考にして、5世紀代に朝鮮半島から導入した太陽神とされている。この「タカミムスヒ」は北方ユーラシア系の天降り神話を備えた神であり、倭がこの神を導入した理由として大王を中心とした統一王権にするため、豪族らが祭る在来の神々とは異なる神を導入したのではないかとしている。
在来の神々には、例えば出雲や大和、東国など広い地域で信仰されている「オオクニヌシ」(オオナムチ)や伊勢などで祭られる海洋的性格の強い「アマテラス」などがいる。
倭は、大王や付き従う豪族らが北方系の「タカミムスヒ」を皇祖神として共通の祖先神と位置づけることで大王を中心とする統一王権を作ろうと考えた。
5世紀代の朝鮮半島で高句麗と対峙したことをきっかけに、考古学でも古墳の副葬品が変化したことが指摘されていたり(白石太一郎氏ら)、歴史学でも5世紀後半に大王の権威が上昇したなどの成果(熊谷公男『大王から天皇へ』など)もあるので、内容も合点がいった。
では、「アマテラス」はどのように位置づけが変化していったのかという点について、結論的に言えば7世紀後半の天武朝の頃、いわゆる中央集権化を目指した時期とされるこの頃に作成が開始された『日本書紀』でも巻が新しく編纂されるに従い、「タカミムスヒ」から「アマテラス」へのシフトチェンジが指摘されている。なぜ、「アマテラス」なのか?著者は在来の神々で根強く祭られていた「アマテラス」こそが豪族も納得する存在だったのではないかと考えられている。
その関係か、八色の姓では臣と君の優遇(朝臣に位置づけ)、連をその下の宿禰に位置づけている。連の豪族はムスヒ・ハヤヒ系を祖にする豪族であり、彼らを一段下に位置づけることで旧来の豪族割拠の体制を否定し、新たな体制を作ろうとしたとしている。この時期に伊勢神宮の位置づけの上昇が起こり、また斎宮の元となる制度の開始などの変化が見られるのはその証左かもしれない。
個人的な疑問点として、①神話とは風土に相用いて形成されると思うが、異なった風土の神を導入してもそう簡単に根付くものか、②在来の神の中から、なぜ幅広く人気のあった「オオクニヌシ」ではなく「アマテラス」が採用されたのか、という2点が気になった。
全体としては非常にダイナミックな話であり、興味深い。先史時代の倭を『記紀』からアプローチする手法も学べて為になった。 -
歴史・社会の分野は出てこない証拠を推論だけで埋めるので、どうしようもなく胡散臭く見えてしまう論が多々あるが、本書もご多分に漏れずそんな感じ。その上やたら『紙幅が足りない』『ここでは語り尽くせない』『本書では述べないが』と詳細を省略するので、後味の悪いもやもやだけが残る。
証拠が足りないとはいえ、想像上の論理的整合性だけでその穴を埋めようとするアプローチしかないのならば、時代によって見方が変わるそれは永遠に完結されず、ただ岩の表面を眺める角度を変えてみるだけの優雅な遊びにしか留まらないのではないか。とはいえ自分が日本の古代史に触れるのは本書が初めて。この経験のみで学問全体に対する結論を出してしまっては筆者とやってる事は変わらないので、他書からも学んでいきたい。 -
この本は、日本の「国家神」、「皇祖神」として奉じられてきた「アマテラス」は、大和政権の時代にはそのような扱いにはなっておらず、その時代皇祖神とされていたのは「タカミムスヒ」という全く別の太陽神であった、という学説について、
・なぜ現代ではアマテラスが皇祖神とされるに至ったのか
・タカミムスヒとは一体どのような神なのか
などといった謎を古代の日本と北方ユーラシアとの関係を交えながら解き明かそうとする一冊である。
一冊を通して私が注目したのは、「『天孫降臨神話』は元を辿れば北方ユーラシアの遊牧民の間にあった支配者起源神話に源流をもつもので、当時の国際関係の中から生まれたものである(第一章より要約)」という部分と、「アマテラスが最終的に選択された最大の要因は、やはりこの神が、繰り返し述べたように伝統文化の広く厚い地層に、しっかりと根を張った神であったこと(p210)」、「天武は、新しい統一国家の国家神として、一般の人々には親しまれていない、しかも伴造系の神という派閥的な色彩が付着したタカミムスヒがふさわしいとは思えなかった。アマテラスこそ、多くの神々の中心に置くのにふさわしい求心力をもった神であると、長年改革に携わった政治家としての勘で決断したのではあるまいか。(p210)」という部分である。
海外に看過されて設定したともとれるタカミムスヒの存在と、古くから日本に根ざしていたアマテラスの2人が、どうやって入れ替わっていったのかを解説していった章では、もう何世紀も前のことだと言うのに今と変わらぬような政治的思惑が絡んでいたことがわかり、少し意外に感じた。
全体として、昔の中国の国内での争いや日本を巻き込んだ戦いなどの状況が少しでも分かっている状態で読まないと理解するまでに時間がかかるようにも思えた。しかし、全体を通して多くの文献が引用されていることで説得力があり、また、他の学説も比較として明示されていたので非常に勉強にもなったと感じる。
私は今回この本を読むまでこの分野に関しての知識は無いに等しいほどであったが、読み終えた今は僅かながら知識も得られ、興味も俄然湧いてきたように思う。(Mocha 20150105)