プルトニウムの恐怖 (岩波新書 黄版 173)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004201731

感想・レビュー・書評

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  • 1981年に書かれた本ですが、今でも通用する内容だと思いました。
    原子力発電はクリーンエネルギーで、地球温暖化対策のためには欠かせない、と考えている人に是非とも読んで欲しいです。
    この本を読んでもなお、原子力発電を支持すると思えるなら凄いです。

  • 序盤は分かりやすくテンポの良いプルトニウムについての講義。
    中盤はどれだけプルトニウムが危険か、原発が危険かを、具体的に科学的な専門用語や数値を交えての説明。難しい。
    終盤は尻切れ蜻蛉的な纏め…

  • ◆刊行後40年にならんとしているが、その鋭い問題意識と、新書ながら丁寧になされる解説は、今読む価値を失わせていない。原子力問題に関する古典的名著の名に偽りなし◆

    1981年刊。著者は原子力資料情報室代表(元東京大学原子核研究所所属)。


     かかる誠実な書が、刊行後30年経った2011年までに、25刷ものロングセラー化している点で、日本もまだまだ捨てたものではないなぁと感慨深い。


     タイトルどおり、本書は原子力発電所の発熱産物であり、核兵器の原料たるプルトニウムがメイン。

     原子力発電などでこれらが踏み出される過程、その性質(毒性込み)、核燃料サイクルの分析に紙幅が割かれる。
     もっとも、現在では高速増殖炉は技術的・採算面で運用不可能なことはほぼ明確になっており、この点は内容的にはさほど重要ではないが、とはいえ、81年の段階で高速増殖炉に懐疑的な筆致で検討するのは慧眼だろう。

     その上で、プルトニウムの意味。すなわち核兵器という国家機密との関係でセンシティブな面を持ち、その結果、政治権力行使の様々な闇の部分が窺い知れる点に触れる。
     そして最も重要な核廃棄物処理の問題に言及していく。すなわち、超長期にわたる問題の解決のための科学的確実性に乏しく、かつその問題は、廃棄物が大量に、毎年積み上がっていくと共に、その処理の質的な困難さ。
     つまり、核廃棄物の化学的組成が多様であり、かつ廃棄=保管している際の、放射性壊変や発熱による元素の組成変化。発熱を所与とする廃棄物に対する冷却対策の必要性などの点で、技術的に処理が困難であることを具体的に言及している。
     1981年刊行の技術関連書でありながら、今猶読まれるべき内実を備えているのは、唯々感服するばかりであり、時流や政権・政府方針に阿ることのない著作を読んだ後、良い本に出会ったなぁとの満足感を十分看取できる。勿論、問題意識を新たにすることのできるものでもある。
     原子力発電関連の古典的名著と言って恥じない著作であることは間違いない。

  • ずいぶん昔に買った一冊。なんのために買ったかもすでに覚えていない。だけど、今こそいろんな人に読んでほしい本だと思う。この本が書かれた当時(1981年)よりプルトニウムにまつわる技術的な面はきっと進歩しているのだろう。しかし、社会はどうか。この本の後に、東海村JCO臨界事故(1999年)があり、東日本大震災(2011年)があった。技術に人間はついていけているのか。あらためてそんなことを考えた。今、高木氏が生きていたら、どんな言葉を発したのだろう。「エネルギー依存型でない文化をどう創るか、ということに大きな関心がある」という高木氏の言葉に共感を覚えた。

  • 原発とはどんなものか、裏と表どちら側もことについても書いてありました。今を生きるひとりの大人として、原発社会は受け止めねばならない事実でもあるので、いくらリスクばかりが目立つ原発についてであっても、どちらか片側だけを見て判断することは、避けたいと思っていたので、そんなわたしにはちょうど良い内容の本でした。

  • 1981年の本、ではあるのだけど、驚くべきことに内容は古くない、というよりその時代からあまり進歩していないんでしょう。少なくとも現時点で、原子力のエネルギー利用ということについては、成功しているとはとても言えない。この著者は2000年に亡くなっているけど、2011に遭遇したらどう思ったか。

  • (2017.03.28読了)(1999.03.11購入)

    【目次】
    第一章 パンドラの筐は開かれた
    第二章 原子力発電 ―巨大化と人間
     Ⅰ 原子力発電
     Ⅱ スリーマイル島原発事故
    第三章 核燃料はめぐる
     Ⅰ 核燃料サイクルとプルトニウム
     Ⅱ 核燃料サイクルの過程
     Ⅲ サイクルと人と環境と
     Ⅳ 日本の核燃料サイクル
    第四章 核文明のジレンマ
     Ⅰ プルトニウムの毒性
     Ⅱ プルトニウムと核拡散
    第五章 不死鳥かバベルの塔か ―高速増殖炉をめぐって
     Ⅰ 高速増殖炉とは
     Ⅱ 高速増殖炉の将来
    第六章 ホモ・アトミクス
    第七章 未来への一視点
    あとがき

    ☆高木仁三郎さんの本(既読)
    「食卓にあがった死の灰」高木仁三郎・渡辺美紀子著、講談社現代新書、1990.02.20
    「マリー・キュリーが考えたこと」高木仁三郎著、岩波ジュニア新書、1992.02.20
    「宮澤賢治をめぐる冒険」高木仁三郎著、社会思想社、1995.04.30
    「原子力神話からの解放」高木仁三郎著、光文社、2000.08.30
    「原発事故はなぜくりかえすのか」高木仁三郎著、岩波新書、2000.12.20

  • 30年前に書かれた本だが、その通りの未来となり、状況も変わっていない。ただし、予想では3機稼働しているはずの再処理工場は1機も動いていない。筆者の予想を上回って、核燃料サイクルは完全に破綻している。

  • チェルノブイリ原発事故も、「もんじゅ」の事故も、東海村の臨界
    事故も起こる以前。今から約30年前に書かれた作品である。

    主にスリーマイル島原発事故を中心に扱っている。掲載されている
    データは、当然ならが古くはなっているが一般原子炉、高速増殖炉
    についての解説は今でも通用するだろう。

    人類が作り出した人工物であるプルトニウムを論じながら、原子力と
    核燃料リサイクルについて分かり易く書かれている。

    やはり思う。原子力の平和利用とは言うが、それは核の拡散と表裏
    一体をなしている。そして、核兵器を作らなくとも原子力施設を狙った
    テロの可能性だってあるのだ。

    「さらに、工業国の飽くことなきエネルギーへの食欲は、抑えられなく
    てはならない。いったい、電力消費を七年間で二倍にするというような
    ことを、我々はいつまで続けられるというのだろうか。
    平均的なアメリカ人は、すでに平均的なヨーロッパ人の三倍のエネルギー
    を使っており、そのヨーロッパ人は平均的な第三世界の人の約一〇倍を
    使っているのだ。それなのに、我々は、もっともっとと叫んでいるので
    ある。」

    マンハッタン計画のメンバーであり、その後核廃絶を訴えた物理学者の
    言葉である。

    宇宙から見た夜の日本は、不必要に明るいらしい。「なかった昔には戻れ
    ない」とはよく言うが、現在日本にある原発をすべて廃炉にしたとしても
    核燃料は依然として存在する。

    冥界の王の名を戴いたプルトニウムの半減期は2万4000年である。
    そんな時まで、今いる人間は誰も生きちゃいない。もしかしたら、
    人類そのものの生存さえ危ういかも知れぬ。

    それでも、プルトニウムは存在する。誰が、どうやって安全に保管出来
    るのか。保証はどこにもないのだよね。

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著者プロフィール

理学博士。核科学専攻。原子力の研究所、東京大学原子核研究所助手、東京都立大学理学部助教授、マックス・プランク研究所研究員等を経て、1975年「原子力資料情報室」の設立に参加。1997年には、もうひとつのノーベル賞と呼ばれる「ライト・ライブリフッド賞」を受賞。原子力時代の末期症状による大事故の危険性と、放射性廃棄物がたれ流しになっていくことに対する危惧の念を最後のメッセージを記し、2000年10月8日に死去。

「2004年 『高木仁三郎著作集 全12巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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