- Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004140283
感想・レビュー・書評
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木下順二の「子午線の祀り」を読んだ際に出て来たきっかけとなる一冊。
名前聞いたことあるなー(『中世的世界の形成』は未だ手をつけられていない)と思ったら、目の前にあって、線まで引いているのに登録していなかった。
記憶にもない。ため、再読。
「子午線の祀り」で印象を新たにした知盛については、予言者として重盛とも重ね合わせながら述べられている。
そして、『平家物語』では不思議と表に出て来(すぎ)ない後白河法皇と源頼朝についても、なぜ出て来(すぎ)ないのか、という点を『平家物語』の本質から上手くまとめられていて、面白い。
「彼(頼朝)の政権は簒奪者の政権であるという弱さをもっていただけに、その政策は周密な計算と駈引きをともなったものであって、この政治家としての行動に頼朝の人間としての本質が存在した。それは舞台の背後にいることによって、その才能を発揮するような人物である。」
「平家物語自身の性質が、平氏の滅亡を中心とする事件の客観的進行を物語るものであったので、いかに中心的な役割を果す人物であっても、それを物語の主人公として独立にその生涯を追求するということは、作者の関心でなかった」
また、『平家物語』の長大さについて本来は三巻本であったのではという。
なぜ『保元・平治物語』は三巻であるのに対し、『平家物語』がこれほどまでに膨らんだのか。
「(『保元・平治物語』は)それをつきやぶって、後から後から物語を増補してゆき、ついには原型もわからなくするだけの要求と力が源平の内乱以後になって新しく湧いてくるような性質のものではなかった。」
「ところが、源平の内乱は半世紀近くなっても、当時の日本人にとっては、まだ完了してしまった過去の事件となり得ないほどの印象と痛手と想出をのこしていたらしい。」
もう一点、個人的に面白い指摘がある。
『平家物語』が「語り」を抜きにしては成立しない、それほど重要な要素であるにも関わらず、「語り」では意味を取り切れない難解な漢語が使用されている点について。
「読んでわからないものがどうして聴いてわかるはずがあろうか。ところがこの種の文章の作者は、聴衆が聴いて一つ一つの言葉の意味を理解し得ないことを、はじめからよく知っており、計算さえしているのである。」
「ここでの言葉は、それがもつ正確な意味内容を伝えるのではなく、言葉が組合わされて一つの魔術的な作用をする使命をもたされているのであるから、ある意味ではわからない言葉の方が効果的でさえある。」
単に源平の戦乱を面白く描いたのではなく、同じ時間軸で起こった災害を含め、ひとつの時代を変えるほどのうねりを持ちえた一族の「討滅」は、そこに居合わせた人々にとって語られるべきものであったという。
うわ。引用も含めて長くなってしまった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本を代表するマルクス主義歴史家による平家物語論。「保元」や「平治」にはない平家のスケールをその戦乱の規模から論じたり、平家物語の増補過程を琵琶法師と貴族・民衆との関係性から論じたりする点は、石母田のマルクス主義的史観の面目躍如だろう。
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戦後の歴史学を領導してきたひとりである著者が、文学作品としての『平家物語』について考察をおこなっている本です。
著者は「あとがき」で、『平家物語』にえがかれている治承・寿永の乱の歴史について研究をおこなっているときに、「いつもこの物語のことが念頭にあってはなれない」と語っています。そして、すでに江戸時代から『平家物語』の記述が歴史上の事実そのままではないという指摘がおこなわれてきたことに触れつつ、「平家物語を独立の物語=文学として正しく理解する努力を自分でやってみてはじめて、歴史の研究者は平家のもつ力から解放され、平家物語を全体として歴史研究のなかに生かすことができよう」と述べています。
著者は、平氏の滅亡へといたる道筋をえがいた『平家物語』の運命観に注目しながらも、歴史のなかに生きる人間たちの種々相が「物語」のかたちであつかわれているところに、その文学的な生命を見ることができることを主張しています。また、貴族の信濃前司行長によって原作が生み出され、琵琶法師によって音曲に乗せられて語られることになったこの作品の「語り物」としての性格に注目し、『平家物語』がどのような歴史的条件のもとで生まれ、人びとに受け入れられていったのかということについて考察を展開しています。
著者は歴史学者ですが、それだけいっそう「文学」としての『平家物語』の輪郭を外から明瞭にえがき出すことに成功しているように思います。 -
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作者の登場人物の捉え方がおもしろくて、平家物語への理解が深まりました。特に、平知盛。前から登場人物の中で1番好きだったけど、どうして好きなのか、説明してもらえました。
西行や鴨長明といった同時代の遁世者と比較して、平家物語の作者の「人間」に対する興味と愛情を論じていますが、それは同時に石母田正氏のそれと通じるものがあるような気がしました。それこそが、1957年に出版されたこの本が読み次がれている理由なのでしょう。 -
昔の本なので、さすがに現在の研究の水準から見て満足できる内容ではないかもと思いながら読み始めましたが、反して現在でもかなり通用しそうな良い内容でした
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『平家物語』研究の基礎文献です。本来、歴史研究者である石母田正が書いた作品論です。これを読まずに「平家」は語れません。『平家物語』の物語の進行にそって、その内容を歴史社会学派の立場で論じていきます。
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文学論もありつつ、歴史としての平家物語のあり方を論じた作品。
語物としての作品に主眼を置き、違った切り口で攻めているのが面白い。
昔の学者は博識だということがひしひしと伝わります。 -
大学時代に木下順二の『子午線の祀り』に大感動して手にとりました。日本古代史、中世史の研究者による解説書です。大河ドラマのおともに!