世界イディッシュ短篇選 (岩波文庫)

著者 :
制作 : 西 成彦 
  • 岩波書店
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感想 : 15
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003770047

作品紹介・あらすじ

東欧系ユダヤ人の日常言語「イディッシュ」-。ホロコーストや反ユダヤ主義を逃れて世界各地を転々とし、アイデンティティーの拠り所であるイディッシュを創作言語として選び取った作家たちが、それぞれの地で書き残した十三の短篇。ディアスポラの文学。

感想・レビュー・書評

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  • イディッシュとは、アシュケナージ系ユダヤ教徒が使用してきた言語である。高地ドイツ語にヘブライ語やスラブ語の要素が混ざりこんでいる。「イディッシュ」とは、ドイツ語の形容詞「ユダヤの(judisch)」に由来する。この呼び名自体は古いものではなく、20世紀初頭以降のもの(それまでは単に「ユダヤ語」等と呼ばれていた)だが、言語としての歴史は古く、ローマ帝国時代にパレスチナの地を追われたユダヤ教徒が、ライン河流域に移り住んだころに端を発する。
    聖書の言語であるヘブライ語は「神聖な言葉」であり、日常的には用いられなかった一方、「共通語」として広く用いられたのがイディッシュだった。ドイツ語圏から東欧まで、ユダヤ人の「離散(ディアスポラ)」とともにイディッシュ語の話者は広く分布しており、各地のユダヤ人にとって普段着の「民族語」であった。
    ホロコーストが起こるまでは。

    イディッシュ語を母語とするものの非常に多くが、ホロコーストによって命を奪われた。
    大きな災厄を辛くも逃れたユダヤ系の人々は、親類縁者を頼り、世界各地にさらに離散していった。最終的に、「異教徒」の言語での創作を行ったユダヤ系作家も数多かったが、彼らの礎にあったのは、イディッシュであり、ユダヤ人の歴史であった。

    本書は、世界各地に根を下ろし、イディッシュ語で創作した11人の作家の13編の短編を集めたものである。
    作風もそれぞれに違い、テーマも筆致も異なる作品群は、ひとことでまとめることが難しい。だが、各著者の略歴、編訳者による解説も併せて読んだとき、そこに「イディッシュ」という言葉の持つ広がりや、張り巡らされた根の複雑さが茫洋と浮かび上がってくる。
    霧の中を行く、無数の黒い人影のように、不鮮明だが確かにそこにあるもの、あったものとして。

    一番手のショレム・アヘイレム(「あなたに平和を」「ごきげんよう」といった意)(1859-1916)は、「屋根の上のバイオリン弾き」の原作にあたる「牛乳屋テヴィエ」の作者として知られる。大衆に人気の作家だった。本書に採られている「つがい」は、一組の七面鳥が迎える祝祭前夜を描く。人間の目から見ると賑やかで楽しいお祭は、鳥たちにとってはなるほど残酷なものかもしれない。皮肉でもあるが、テンポがよくからりと読ませる。
    ザルメン・シュニオル(1887-1959)の「ブレイネ嬢の話」は、恰幅のよい娘が主人公。「嬢」としか呼ばれず、親にこき使われている、おそらく少し知能も低い彼女に、ある日、事件が起こる。それをきっかけに、親子の力関係も逆転して・・・。何だか異様な迫力がある1作。
    デル・ニステル(1884-1950)はウクライナ生まれ。ソ連で作家として活躍するが、1949年、スターリンによるイディッシュ文化人弾圧により逮捕され、その後、獄死している。「塀のそばで(レヴュー)」は、サーカスの乗馬女に心を奪われた学僧の幻想的な物語。場面転換が目まぐるしく、どこに着地するのかなかなか見えない、不条理感のある作品。
    イツホク・バシェヴィス・ジンゲル(1904-91)はアイザック・バシェヴィス・シンガーとも表記される(本書の編訳者による邦訳書、『不浄の血』が知られる)。「シーダとクジーバ」は、悪魔が主役の神話的物語。視点を変えた逆転の発想がなかなかおもしろい。同著者の「カフェテリア」はがらりと変わって著者自身が主人公であるかのような現代の物語。ニューヨークのカフェテリアに集うユダヤ人たちの素描は、エッセイのようでもあるが、かすかに幻想的でもある。ホロコーストで人々が受けた心の傷をにじませる。
    最後のラフミール・フェルドマン(1897-1968)の「ヤンとピート」は少し異色で、白人の黒人に対する人種差別を描き、特段、ユダヤ人であるという記述はない。だがそこに、「被害者」であり続けたユダヤ人ならではの、だからこそ自分も「加害者」たりうるのではないかという視点が入っているという編訳者の解説を読むと、そうなのかとも思えてくる。

    個人的には、全体として、血なまぐささや血の絆、太古から続く世界に対する呪術的な恐れのようなものが印象に残るのだが、それがイディッシュ特有のものであるのかどうか、もう少しほかのものも読んでみたいところである。

    ユダヤ教徒の間には、「生きとし生けるものへの悲嘆」という決まり文句があるのだそうで、そうした「悲嘆」はどの作品にも流れているようにも感じる。
    だがその「悲嘆」は、ただただ踏みにじられて打ちひしがれる弱々しいものではなく、どこか地の下に脈々と流れ続けるような、したたかで強靭な力を秘めているようにも思える。

  • 「イディッシュ」とは、主にドイツや東欧諸国に住んでいたユダヤ系の人々が使っていた言語。不勉強につき初めて知りました。つまりユダヤ人のアイデンティティの拠り所であり、その言葉で文学を記すということはそれだけでつまりある種の意思表示であったはず。イディッシュ言語で創作した作家たちのほとんどは、虐殺や迫害を逃れて様々な国を転々とし、逃げ延びてのちにノーベル文学賞を受賞したイツホク・バシェヴィス・ジンゲル(アイザック・バシェヴィス・シンガー)のような人もいれば、最終的には虐殺の犠牲になった人も。ちょうど最近になって『アンネの日記』を読んだこともあり、そういった歴史に想いをはせつつ読みましたが、単純に背景を知らずとも物語として面白いものもあり、良いアンソロジーでした。

    好きだったのはデル・ニステル「塀のそばで」。サーカスの美しい曲馬芸人リリに夢中になった男が繰り広げる夢とも妄想とも現実ともつかない、とりとめのない物語。藁の娘、埃の男など奇妙な人物が次々実体化し、不条理な場面転換を繰り返しながら、虚構の裁判と舞台上の出来事なとが混淆しとても幻想的だった。

    ジンゲルの「シーダとクジーバ」は人間に怯える悪魔の母子の話で、人間こそがまるで悪魔のよう。ジンゲルは「カフェテリア」も、私小説風の内容なのに突然部分的に幻想的な挿話があって好きだった。

    ショレム・アレイヘム「つがい」は七面鳥が主人公で童話風に始まるけれどなんともシニカル。

    イツホク・レイブシュ・ベレツ「みっつの贈物」は、天国にも地獄にも行けなかった死者が、天国の番人に3つの美しい贈物をすればいいというアドバイスを受け地上をさまよう寓話的な設定ながら、彼のみつけるみっつの贈り物がどれもあまりにも悲しくてつらい。ユダヤ人の悲しみがいちばん表わされていたように思う。

    ※収録作品
    「つがい」ショレム・アレイヘム
    「みっつの贈物」「天までは届かずとも」イツホク・レイブシュ・ベレツ
    「ブレイネ嬢の話」ザルメン・シュニオル
    「ギターの男」ズスマン・セガローヴィチ
    「逃亡者」ドヴィド・ベルゲンソン
    「塀のそばで(レビュー)」デル・ニステル
    「シーダとクジーバ」「カフェテリア」イツホク・バシェヴィス・ジンゲル
    「兄と弟」イツホク・ブルシュテイン=フィネール
    「マルドナードの岸辺」ナフメン・ミジェリツキ
    「泥人形メフル」ロゼ・パラトニク
    「ヤンとピート」ラフミール・フェルドマン

  • ■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
    【書籍】
    https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1001124161

  • 外国文学読書会の課題本。
    早く定員になってて参加は叶いませんでしたが。

    ユダヤ系文学。
    読むのは初めて。

    二羽のインド鶏の目線をえがいた『つがい』

    善と悪が均等なためどこにもいけない魂が楽園にすむ聖人たちに貢ぐ贈り物をするためにさまよう『みっつの贈り物』

    奴隷として生きる黒人のビートとブロントの髪をした幼馴染のヤン。
    人のズルさとやるせなさがつのる『ヤンとビート』
    など13篇が収められている。
    埃男や泥人形など予想もしない怪物も現れた。
    背景は辛いけど、とにかく新鮮でした。

    作者より
    本書で示したかったのは、そうした「ユダヤ系文学」の誕生を可能にした「ディアスポラ」の途上で、それこそ東欧系ユダヤ人の生きた証のようにして膨大な量のイディッシュ語作品が産み落とされ、「ホロコースト」を経た後もなお私たちの手元に残されているという事実である。そして、さまざまな言語圏のあいだに分断された世界の「ユダヤ系作家」を、ひとつにつなぎとめていたのも、東欧系ユダヤ人の「イディッシュ文学」なのであった

  • 出会えてよかった1冊。訳者の労力に感謝!悲哀の中にもユーモアや笑い、生きることへの力強さを感じる。

  • 2018年2月7日(水)紀伊國屋書店梅田本店で購入。

  • 2018-3-26

  • 短編は、著者の世界に入り込むのが難しいうえ文化的な違いもあって没入できなかった。暗い話が多かったように思えました。こんな感想は身もふたもないっすか。

  • 東欧系ユダヤ人の言語「イディッシュ語」。
    世界中に散らばってしまった彼らを繋ぎとめたものが、この失われつつある言語、そしてそれで書かれた文学だったのだと思うと胸が詰まる。
    楽園に行くために地上にある美しいものを3つ探す旅に出る『みっつの贈物』
    後期トルストイを思わせる『天までは届かずとも』
    「死者」たちの住むアパートに、ある日ギターを持つ男がやってくる『ギターの男』
    カフェで出会った女にある不可解な告白を受ける『カフェテリア』
    幼なじみの白人と黒人の別れ道、罪・・・『ヤンとピート』
    が秀れていた。

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著者プロフィール

東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化博士課程中退。立命館大学先端総合学術研究科名誉教授。
専攻は比較文学。ポーランド文学、イディッシュ文学、日本植民地時代のマイノリティ文学、戦後の在日文学、日系移民の文学など、人々の「移動」に伴って生み出された文学を幅広く考察している。
主な業績に『声の文学―出来事から人間の言葉へ』(新曜社、二〇二一年)、『外地巡礼―「越境的」日本語文学論』(みすず書房、二〇一八年)、『バイリンガルな夢と憂鬱』(人文書院、二〇一四年)、『ターミナルライフ 終末期の風景』(作品社、二〇一一年)『世界文学のなかの『舞姫』』(みすず書房、二〇〇九)年、『エクストラテリトリアル 移動文学論Ⅱ』(作品社、二〇〇八年)などがある。

「2022年 『旅する日本語 方法としての外地巡礼』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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