フランク・オコナー短篇集 (岩波文庫 赤 299-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003229910

感想・レビュー・書評

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  • アイルランドの作家フランク・オコナーの珠玉の短編集ですね。
    作品は十一篇。
    日常の人々の生活をアイルランドの持つ独特の政情と宗教を背景に飾らずユーモアも交えながら、またはミステリアスに描いた作品集ですね。
    オコナーは若い頃父親の酒乱のために苦労をして、高等教育を受けること無く成長して、アイルランド独立運動にも関わるなどしたが、その後は教育界に身をおき作家生活に至り、アメリカの大学で教鞭を取るという経歴を持つ。
    語り口が柔らかく決して名文では無いけれども、親しみやすく素直な文章でイギリスの詩人イエイツに「アイルランドのチェーホフ」と呼ばれる程の短編の名手です。
    日常の謎のファンの私もとても楽しみながら読了しました。

  • アイルランドの地で暮らす市井の人々の悲哀を綴った短篇選。
    カトリックに縛られた生き方。内戦が引き裂いた暮らし。兄弟の確執。ムラ社会の息苦しさ。ときにユーモア満ち、そしてミステリアスな筆致は楽しめるのだけれども、どれも読後はほろ苦い。

  • 「ぼくのエディプスコンプレックス」のみ再読。
    お母さんを巡るぼくとお父さんの争いは なかなか壮絶なので、このラストにはほっとさせられてしまう。他の短篇もとても好きなので 何度も読み返したい本のひとつ。

  • 2010年11月22日読み始め 2010年11月24日読了。
    フランク・オコナーは村上春樹が「フランク・オコナー賞」を受賞した時に名前を初めて聞き、短編の名手らしい…ということしか知らなかった。岩波文庫の表紙も素敵だったので買って積んでたのを、やっと読んでみました。
    「珠玉の短編集」なんてよくいうが、本書のような短編集こそふさわしい言葉。著者は1903年生まれなんだけど、物語がまったく古臭くない。背景は確かにわかりにくいところもあるんだけど、根本的な部分は今でも充分に共感できる人間ドラマが素晴らしいです。家族愛、戦争、殺人などテーマも現代的とも言える。説明し過ぎず(全く謎のまま終わる話もあり)余韻が残る読了感がいい。今年の翻訳本ベスト1かも!

  • 素朴な文体で綴られるアイルランド。文学的冒険というものとは無縁に思われる落ち着いた文体で描かれるからこそ、そこに住む人々の姿、時代が顕わになる。著者が作り出した、というよりは、実際に会った光景を神の目で抜き出したような抜き差しならないリアリティがある。

    素晴らしいのは、やはり有名な『国賓』で、これと並べたいのは、アイルランドの事情を鑑みれば『ジャンボの妻』ということになるのだろうけれど、私は『法は何にも勝る』をその隣に置きたい。もう決まってしまったことの中にある人々の、ぎりぎりまで日常に身を置こうとする、そこが日常であると我が身を押し込もうとする哀切。

    どれを読んでも優れた短篇集だ。題材の選択も素晴らしいし、それをあくまで落ち着いたトーンで描ききる著者の姿勢も素晴らしい。

  • アイルランドの寂しげで、優しくない、でも温かい話。

    様々な作品があったが、どれもどこか寂しい。登場人物の年齢は様々だが、どれにも共通する背景を感じる。それがアイルランド的なものなのかもしれない。あまり今まで意識してアイルランド文学を読んでいたことはないので、断言はできないけれども。解説に「ざらつき」ということばが使われていたが、確かに整えた感じのしない、生々しいものを感じる作品集だった。

  • 短編賞にその名が冠せられるくらいなので、オーソドックスながら巧みな傑作ぞろい。戦時中の捕虜を描いた「国賓」の重さも印象深いが、アイルランドの家族の機微が描かれる「ルーシー家の人々」や「マイケルの妻」も心に残る。

  • フランク・オコナー
    昨夜帰宅してからフランク・オコナー短編集の最初「ぼくのエディプス・コンプレクス」を読む。フランク・オコナーはアイルランドのチェーホフとも称される短編の名手。どれどれ(表紙の絵は同じアイルランドのスカリーという画家の作品。訳者は手触りが共通しているという)…
    ぼくは布団から足を突き出して、それぞれを右足さん、左足さんと呼び、その日をどう過ごすべきかふたりがいろいろ話し合っている、という状況を想像した。
    (p10)
    この短編はオコナーの自伝的要素もある、フロイトのエディプス・コンプレクス理論をややパロディした作品。戦争(第一次世界大戦)中で父親不在になり、母親を独り占めしていた少年…しかし戦争が終わり、父親が帰ってくる。背景はともかく、微笑ましい作品。
    (2016 01/24)

    オコナーの視点
    昨夜はフランク・オコナー短編集から3つ。最初の作品もそうだったけど、視点(語り手)を誰にするかどんな語り口にするかで、話の感触がだいぶ異なる。「国賓」は戦争についてまだ未知な青年を語り手にすることで、平和的共同体の星雲みたいなものから、急に敵味方が別れるという衝撃を読者も味わう。「ある独身者」はこれまた若者を語り手→聞き手にして、そこで語っている「独身者」が出会っている謎をまた違った角度から見る。「寂しげ…」は語り手は存在せず作者の視点だが、少し昔話的な語り口(男は…、女は…、とか)で読者も登場人物を戯画化して離れて見るような感じ。
    でも、この「寂しげ…」という短編、解説の言うように明るい終わり方なのだろうか。最後の医者に金貨を払っている場面が引っかかる。最初女が計算して男に会うことにしたという点、叔父との事件があやふやにしか提示されない点など、ひょっとしたらこの後、かなり怖い結末が控えているのかも。
    (2016 01/26)

    最初の懺悔、最後の懺悔
    オコナー短編集は5、6番目の作品「はじめての懺悔」と「花輪」。両作品ともアイルランドに根付くカトリックが主要テーマとなる作品。
    「はじめての懺悔」が「ぼくのエディプス・コンプレクス」と同じ、少年からみた微笑ましい短編なのに対し(懺悔台って登れる?)、「花輪」は死んだ神父の友人だった二人の神父の会話からなる。大人だから何もかも明瞭で落ちついているのだろう、と思えばさにあらず。二人の神父と亡くなった神父、それぞれに自分も相手もわからない謎のことが多く、それを探し求めていく会話はこれまた懺悔と共通する。謎の真ん中には赤い薔薇の花輪。
    この花輪はひとりの神父の、その人生の根本にある謎を象徴しているイメージだと思えた。
    (p176)
    (2016 01/27)

    「ルーシー家の人々」より
    フランク・オコナー短編集より「ルーシー家の人々」
    たまには?人物描写からの引用。
    鼻からも、耳からも毛。頬骨の張ったあたりにも毛が生え、小さなキャベツ畑みたいに見えた。
    (p231)
    どんな顔なのか興味津々…
    それはともかく、話は兄弟のいさかい話(上記引用文は弟の方の描写)。どうして兄は弟の死に目にまで行かなかったのか読んでいるこっちもよくわからないのだけど、この作品に伝えたいことがもしあるとしたら、他人(家族内でも)をほんとに理解するその不可能性なのだろう。
    それを前提に背負ってそれでも小説を書かなければならない小説家というのも業な職業だ…
    あと3編。
    (2016 01/28)

    「法は何にも勝る」と「汽車の中で」
    今日読んだフランク・オコナー短編集は「法は何にも勝る」と「汽車の中で」。後者の最後の方に出てくる密造酒作ってるダンって前者の主人公のこと?珍しく人物再登場技法?と思ってしまったけど、姓違うし関係なかったです。
    さて、前者のダンも後者の被告の女もなんだかたいへんなことをしてしまった人ということが最後にわかるという短編。こういう暗い過去を引きずる人というテーマはオコナーお得意の一つ。
    彼女を捕らえ、奮い立たせ、それから脇へと放り出した、あの力は何だったのだろうとつくづく思った。
    (p310)
    「汽車の中で」の最後のページ。彼女の過去に最大限近づいているのがこの文章。今と比べて昔は息抜きの種類があまりなかった。だからガスも抜きにくい…こういういざこざ?も起きやすい。
    (2016 01/29)

    雨と海とマイケルの妻
    というわけでフランク・オコナー短編集の最後の短編「マイケルの妻」を今読み終えた。謎は謎のままにしておく、視点は裏側からにして、視点の秘かな移動もある、というオコナーの短編の作法がこの短編に最大限に生かされている。短編世界の中心にあるべきマイケル自身はここには不在、大西洋の向こうアメリカにいる。そのニューヨークからマイケルの妻が実家にやってくるが、名前は一切出てこない。マイケルの父母のトムとメア、それからトムの姉妹ケートとジョアン、それとマイケルの妻。これだけの小宇宙に読み進めていくうちに惹かれていく。
    この短編の重要な背景である、マイケルがアイルランドを出た理由、それからニューヨークでのマイケル夫妻の生活と特に妻にある腹の傷。これらの謎はちょっとした節に触れられるだけ。この短編で一番巧いなあと思ったのは、マイケルの妻についての不信感というか違和感を持つのが、メアからトムへ移っていったというところ。
    最後はオコナーにしては幻想的な描写が。マイケルの妻の寝言をトムが聞く場面。
    気でもふれたかと思うようなこのわけのわからないひととき、マイケルが向こうの部屋にいるような気がした。何百マイルもの波と嵐と闇を越えて、生身の身体で。マイケルの若い妻の言葉にならない願いが、マイケルを自分のそばに呼び寄せたかのようなのだ。
    (p345)
    謎といえば、トムが何故か雨が止むとがっかりするというのもよくわからない。その割りに嵐になると怖がるのだから、単に作物の為の雨待ちというわけでもなさそう。雨とそれから海。最初のマイケルの妻を家まで馬車で送る場面で、入江に見え隠れする海の描写があったけど、そこから離れても海はこの短編の常に真ん中にいる。
    晴れ渡った空の下で、すべての折りたたみ戸を開け放った大きな館のように海が広がっている。
    (p316)
    その日は陰鬱な天気で、雲がたれこめていた。ときおり、激しい雨がきらきらと光を反射させながら網のように海の上に広がった。
    (p343)

    海…この村とマイケルの間に広がる海は…謎そのものであるかもしれない。
    (2016 01/30)

  • フランク・オコナー国際短篇賞という名前を冠した賞があるだけにさぞかし短篇の名手なのだろうと思って読んでみたが、その名に恥じない人だった。普通の人びとを題材にし、特に何の事件が起こるわけでもないけれど、丁寧に話が紡がれ、アイルランドのチェーホフと言われるのも頷ける。自分としてはミニマリズムはレイモンド・カーヴァーですが、彼を思い出さずにはいられない。

    50年以上も前の作品群なのに全然古くない。もちろん出てくる道具やシチュエーションは1900年代初めだけれど、人間の営みというのは根本として変わらないものなのだなと思った。

    あと、内容とはまったく無関係だが、この岩波文庫やたら紙が白く印字も綺麗で、彼女の作品の美しさを引きだたせていて良かった。

  • 「トレヴァーが好き」って言ったらおすすめされた、アイルランド人作家の短編集。たしかに同じ土地、同じ人々が登場してくる感じがある。4半世紀ほど後に生まれているトレヴァーが描く世界よりも、もっと田舎で貧しくて、結びつきの強い共同体の、意地っ張りなのか誇り高いのか、とにかく目はきらきら光っていそうな人々の物語がいろいろ。平易な文章で書かれた普通の人たちの話なのに、どれもその先が気になってそわそわしてしまうような生き生きした語り口で、あっという間に読み終わってしまった。

    きかんきな男の子のちょっといい話である「ぼくのエディプス・コンプレクス」と「はじめての懺悔」、最後の最後までどちらに転ぶのかわからない「あるところに寂しげな家がありまして」、友の死から生じる新しい結びつきに心が緩む「花輪」が特に良かった。

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