- Amazon.co.jp ・本 (460ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003115220
作品紹介・あらすじ
京都に転校し「よくメソメソ泣いていた」病気がちの少年時代。大学は出たけれど、疲労困憊し劣等感にとりつかれていたころ出会う生涯の恩師。自身、けっして平坦ではなかったという、その道程が、感性の豊かな、思いやりの深い、ひとりの物理学者を生むことになった。ここに収められた随筆、講演、紀行文の随所に、その温かな眼差しが感じられる。
感想・レビュー・書評
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図書館で借りた。
『量子力学と私』よりも物理以外の話が多く取り上げられている。
『物理学読本』の記述にあたって、ではどのように物理を教えたらよいかについてカリキュラムのように書いている。こんな授業を受けられたら面白そうだと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
量子力学磁力学の「くりこみ理論」で1965年度のノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者によるエッセイや講演内容をまとめた本。
文章が非常に明快だ。
パグウォッシュ会議の歩みと抑止論という題名の文章がとくによかった。
冷戦時代に東西の物理学者たちが平和を目指す国際会議を開いていたとは知らなかった。 -
大栗博司が文中で記載していた本である。朝永の生涯のエッセイである。あとがきは長いがこのエッセイの付け足しである。講演の記録が多いのでたやすく読める。
卒論とは関係しないが、物理以外の人にもおすすめの本である。 -
[夜更けて聞こえてくる内気な声は、蛙たちの歌う恋の歌なのだ。」こんな一文が、物理学者のエッセイに出てくるとは。学者から連想される堅苦しさを一切感じさせない、純粋な好奇心や愛に溢れた、なんとも人間らしいエッセイ
「私と物理実験」の章では、子供の頃おもちゃの顕微鏡の倍率を上げるため、ガラス管の切れ端を使い対物レンズを作り、古井戸の中のムシを観察していた話。今もなおそうした'手回りのものを使ってモノづくりをする’喜びを、子供と体験しているエピソードから、純粋な発明の喜びが伝わってくる。
「おたまじゃくし」は、大量発生したおたまじゃくしを近所の子供たちにあげる話だが、子供との交流、その詳細な描写に自然や子供への暖かな愛を感じる。
父親の書斎に忍びいり好奇心を育んだ幼少期の思い出にはじまり、政治や教育に対する示唆など、様々な分野について軽快に、しかし明確な姿勢をもって語っている。 30年以上前に書かれた本だが、彼の「好奇心」や「科学の方向性」についての解釈は、現代に通ずる示唆に溢れる
●科学について
・「科学とは、国の金を使って科学者の好奇心を満たすことだ」 ―イギリスの科学者の発言が、彼の科学に対する見解を代弁するものとして繰り返し登場する。 赤ちゃんが"なんでなんで"と親を質問攻めにするように、人間は本質的に好奇心を備えている。科学は、自由な精神活動から生まれる、こうした好奇心に基づく。
役立つ発明によって生活を豊かにする、というのはあくまでも結果に過ぎない。科学は、功利的な価値によらず、芸術のような一つの独立した価値体系として捉えられるべき
芸術家のパトロンは、"高給を与えるから良い作品をつくれ" という関係性ではなく、あくまでもpatronage「保護」という視点にたっている。 科学もまた “大発見をしろ” と資金を与えられても前進するわけではなく、芸術におけるパトロンのような視点にたった資金環境を整えるべきだ。
・かといって、好奇心に基づいて個人の好奇心を満たすだけでは科学は前進しない。『科学が科学者の個人的な天才は熱情だけで推進されたことは、厳密にいえば、いつの時代もなかったことかもしれない。』 科学の発展にともない、非常に広い視野で物事を捉える力が要求されるようになった。 それは科学者一人では達成が困難で、専門外との知恵の交流により、衆知を集める必要がある。アカデミックと社会が隔たれた環境では、いくら天才が生まれても、科学の繁栄に繋がらない。
・朝永氏は理研に所属していた。タイトルの「科学者の自由な楽園」とは、設立当時の理研を表している。
当時の理研は、若い研究者が偉い教授をめちゃくちゃにやっつける、そんな形式的な礼儀なしに討論し合える自由な雰囲気があった。 学閥や個人の研究に対する制約も少なく、予算や人員も自由で、まさにそこは「自由な楽園」であった。
義務があると、形式的にそれを果たすだけで良心が満足してしまう。しかし、自由な環境にあるがゆえに、人々は良心に基づく自主的な研究意欲に溢れていた。 よい研究者たちが研究をしたいとなる意欲をそそる環境を整えることを何より重要視し、そして人間の良心を信頼し全く自主的に自由にやらせてみる。 『よい研究者は、何も外から命令や指示がなくても、何が重要であるか自ら判断できるはずである。』
●好奇心について
・人間は皆、好奇心を備えている。どうしたらそれを知的な欲求として鈍らせずにいられるだろうか? 彼は、戦後の記憶から好奇心は知的な「飢え」が必要である、と唱える。ドイツ語には「Wissensdurstig」「thirsty for knowledge」という表現があるそうで、これがまさしく好奇心を表す。
くだらない間食をし、食欲を失って肝心な栄養のあるものを食べられなくなるのと同様、 自分の知的な欲求がどこにあるか、必要なものを見極め選択すべきである。
科学に繋がる知的好奇心は「徹底的に、精密かつ緻密に追求」する探究心であり、大勢の人がやるから自分もやるという付和雷同性ではない。情報過多社会においては、知的な飢えを作るため、情報を見極め選択する能力を養わなくてはならない。
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解説:江沢洋
いま・むかし◆学ぶ◆楽園◆紀行 -
サイエンス
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昔自然科学系の科学者が好きになった時期がある。(自然科学自体は微妙だったが。。)なぜなら、一人ひとりがとても個性的だったからである。
朝永先生もそのおひとり。
寄席が趣味というくらいなので語り口が軽妙で、おたまじゃくしについてのエッセイは面白かった。
物理の教科書の部分はよくわからなかったが、紀行文など、また読み返したい。 -
オランダは度々大洪水に見舞われた。対策には北海と本土を繋ぐゾイデル海を堤防で塞き止める必要があった。堤防が低いと意味を成さないし,高いと国費の乱出になる。時のオランダ政府はPJの責任者に大物理学者ローレンツを据えるという大英断を下した。彼は潮の動きを様々な地点で観測し,モデルを作って実験実証し,少しずつ規模を拡げて,実際に必要な堤防の形状,高さを割り出して,政府に報告書を提出した。その間実に8年。地質学者の意見は無視され,原子力工学者は政府の御用聞き。原発再開に突き進む日本では朝永の言葉がどう響くだろう。
STAP細胞のみならず少し前のスパコン「京」問題など、理研が下世話な騒動に巻き込まれるのは今に始まったことではない。戦前と戦中は理研コンツェルンを作り、サイクロントロンも持っていた。GHQの命令で組織も機械も解体せざるをえなかったことは当時の研究者にはどんなに無念だったろう。朝永は仁科芳雄に招かれて理研へ入った。何故この研究所が作られたかを始め、弟子たちがノーベル賞を授賞することになる坂田昌一らとの交わりが語られる。いつの時代だって研究とは厳しいもので、ゆとり教育世代に責任とらせるのは酷だ。 -
中央図書館で読む。数学の部分は面白かったです。理解しなくとも、覚えてしまう。数学者は全て理解しているのでしょうか。平凡ですが、非凡な感想です。
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科研費の季節になるとこの本のことを思い出します。
「科学者の自由な楽園」ってなんだろーなぁ、と。
研究費が潤沢でもそうでなくても、自由な発想で研究したい。