漱石文明論集 (岩波文庫 緑 11-10)

著者 :
制作 : 三好行雄 
  • 岩波書店
3.91
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本棚登録 : 617
感想 : 48
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  • Amazon.co.jp ・本 (380ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003111109

感想・レビュー・書評

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  • 現代に通じる学びがたくさん。本当に聡明な人だったんだ、と思う。明治の文明開化に巻き込まれながらも、客観的に自身や社会や日本を見て、誰に何と思われようと主張する。かっこいい。
    その姿勢はきっと読書によるもの、留学での経験、教育で経た対話を通じて・・・夏目漱石の一生?というか自伝があれば読んでみたいと思った。

    いいなぁと思った部分はたくさんあるけど、私の個人主義の中の「自己本位」(自分の興味の赴くままに信じる道を進んだらいい)、や「形式」(時代とともに中身が変われば立ち止まり考えて形式を柔軟に変えていく必要がある)、イミテイションとインディペンデンス(日本人は模倣が得意で大事だけど、インディペンデンスの意識も大事だよ)が印象的だったな〜

    あと心に残ったのはは下記の抜粋のとおり。

    p.306
    内を虚にして大呼する勿れ。真面目に考へよ。誠実に語れ。摯実に行へ。汝の現今に播く種はやがて汝の収むべき未来となって現はるべし。

    p.321
    自己に何らの理想なくしてこれらを軽蔑するは、堕落なり。

    p.327
    近づきやすく親しみやすくして我らの同情に訴へて敬愛の念を得られるべし。それが一番堅固なる方法也。それが一番長持のする方法也。

    p.347
    勉強をしますか。何を書きますか。君方は新時代の作家になるつもりでしょう。僕もそのつもりであなた方の将来を見ています。どうぞ偉くなって下さい。しかしむやみにあせってはいけません。ただ牛のように図々しく進んで行くのが大事です。

  • 同期から誕生日プレゼントとしていただいた作品。
    文学好きで知らない人はいない評論の名著との紹介を受けた。
    こんな粋なセンスを持った人と当たり前のように繋がれる今の自分の環境には本当に感謝したい。
    現代日本の開花、私の個人主義、模倣と独立の3つだけ読んだが、本当に笑っちゃうくらいの洞察力に基づいた説得的な内容。
    他者の個性を尊重して自己本位に生きる、自己の標準に沿って模倣でなく独立を重んじて生きる、これからの生きる指針にしたい。

  • 漱石が近代人として評価されていることの真の意味を知った。学習院での講演「私の個人主義」では、小説だけでは見えにくい漱石の思想の遍歴が披露される。
    明治期、様々な外来思想が輸入され社会が大きく変わる時代のなかで、戸惑いのなかに生きる漱石が啓示のように感じたであろう自己本位の思想。先進的な社会であろうとも後進的な社会であろうとも、外部の環境に影響されない自己本位の思想。自己が価値判断の基準となること、そのためには自分勝手という意味ではない真性の個人主義が必要となること。そんな漱石にとっての切実な悩みと回答が学生の前で力説されている。
    絶対的な身分社会の江戸期には生じない思想であろうし、輸入品としての西洋思想こそ正しいとされた文明開化期の思想でもない。社会漱石の語る近代性は、きっと大正デモクラシーの下地になっている。

  • 今春高校生になる娘への課題で出たので読んでみた。

    「私の個人主義」は、これから様々なことを学び
    リーダーシップをとっていく人たちにとって
    大切なことが解りやすく書かれているので
    高校生にぜひ読んでもらいたい。

  • 「現代日本の開化」という講演から始まるのだけれど、もう、かっこ良すぎる。
    言っていることが突飛なわけではなく、分かりやすくて衝撃がどーんと来る。

    ぱらぱらと気軽に楽しめる本ではなくて、一つ一つじっくり読み味わうべき本。
    借りて、もうドキドキしっぱなし。
    返すことが惜しいとさえ感じたので、自分用を買おうと考える。

    これを読んで、夏目漱石は千円札にされることを嫌がってそうに思えた(笑)どうなんだろうか。

    「愚見数則」という中学生向けの文章が、また良かった。
    理想論といってしまえば、それまでだけど。
    自分の生き方、やり方、また相手との関係性を考え直す気持ちにさせられた。
    リズムがよく、すいすい入ってくるのに胸が痛む(笑)

  •  夏目漱石は森鴎外と同様に、西洋文明を丸々コピーすることには反対していた知識人であった。今や、西洋的考えを否定することはできなくなってしまった。それほど、日本の中に多くの西洋物が存在する。厳密に言えば、日本は、純日本的なものと中国・朝鮮などの東洋諸国の文化が日本式になったいわばハーフの文化が存在していた中に、明治になって外科手術的に西洋文明を上書きしてしまったと言える。

     今まではそうやって外のものを自分たちの良いように上手く吸収して日本になじませる(言わば、守・破・離のような)形式で、中国や朝鮮などの文化を自分たちのものとしてきた。しかし、西洋文明は今、十分に消化されているのか?そもそも、西洋的な考えは東洋とは相容れない部分が多い。例えば、排中律や二項対立。これらは仏教的な考えには存在することが難しい概念である。排中律でどうやって生=死を証明しろ、というのか。

     西洋がダメで、東洋が素晴らしい、という議論をしたいのではない。それでは、Binarismにおける第1項と第2項との立場が入れ替わっただけでしかない(「美が望まれるべきで、醜は避けられるべき」が、「醜が望まれるべきで、美は避けられるべき」に変わったところで、根本的なBinarismの構造は変わらない。Parallaxでしかない)。

     今は、そこの所を再考するべきなのかもしれない。西洋がどうだ、とか東洋がどうではなく、日本にとって、どう西洋・東洋を吸収すればいいのか?を考えるべきなのではないか。
     だから巷に出ている、勝間和代のような西洋に傾きすぎた人間は、ちょっと危険だと思う。そして、自分の親が子どもだった頃やもっと前の頃(「古き良き日本」とでも呼べばいいのか?)の考え(伝統?)を日常的に触れるのが難しいのはさらに怖い、ように思う。

     抽象的であまり現実味がないが、こんなことを考えさせるような本だった。

  • いやーこの人すごいね。現代の種々の問題を当時すでに。将来日本を動かすような高校生大学生に読んでほしい。

  • 自分は、まだ会社に1人一台パソコンがなかった頃に就職した。その内パソコンが当然に与えられ、Excelの使い方を覚え、海外含む顧客とのやりとりがメールになり、様々な業務はあっという間にインターネットを前提とするものになった。

    仕事は楽になったか?感覚的には寧ろ逆だった。加速度をつけて仕事は増え、余裕はどんどんなくなる。おかしくねえかと思いながら考える暇もなく渦に巻き込まれた。
    で、これは内発的か?というとやっぱり違う。海の向こうからやってきた技術に否応もなく(あるいは積極的に)「俄然外部の圧力で飛び付かなければならなくなった」訳で、スマホいじってパソコンの前で青息吐息で仕事にとりかかるたび「皮相上滑りの開化」と言う言葉がぴったりのような気がしてしまう。でも、事実やむを得ない。致し方ない。目を瞑って、この消極的開化の末路を、涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならない。

    彼の言葉は開国後の日本人にむけたモノだったけれど、110年後の今、どこに届くだろう。
    国を飛び越え、たくさんの人に届くんじゃないだろうか。上滑りに滑ってく、世界中の人間
    それは、漱石自身も、多分思いもよらないものだと思う。
    ...

    「社会的状況を形造る貴方方の心理状態、それにピタリと合うような、無理の最も少ない型でなければならない」(中身と形式)という言葉から、同性婚や入管法のニュースを思い出す

    「この世に存在する以上どう藻搔いても道徳を離れて倫理界の外に超然と生息する訳には行かない」(文芸と道徳)という言葉からネット論客と呼ばれる人たちの極端な言説を思い出す

    言葉のひとつひとつ、本当に100年以上前の言葉なんだろうか?と思うほど膝を打つ表現が多くて、結局文庫にめっちゃくちゃ折り目をつけてしまった
    ...

    文庫本の最後は久米正雄と芥川龍之介宛の書簡だ。大正4年、死の前年に、20代の若い作家に綴った言葉が、中年の自分には妙に心に残った。

    「勉強をしますか。何か書きますか。君方は新時代の作家になるつもりでしょう。僕もそのつもりであなた方の将来を見ています。どうぞ偉くなって下さい。しかしむやみにあせっては不可ません。ただ牛のように図々しく進んで行くのが大事です」

    「私はこんな長い手紙をただ書くのです。永い日が何時までもつづいていてどうしても日が暮れないという証拠に書くのです。そういう心持の中に入っている自分を君らに紹介するために書くのです。それからそういう心持でいる事を自分で味って見るために書くのです。日は長いのです。四方は蝉の声で埋まっています。以上」

    繊細で神経質で、様々な事に悩み囚われとても図々しくとはいかなかったように見える夏目漱石からの手紙。蝉の音が本当に聞こえるような、目の前に心情が浮かぶような言葉で締めくくられていた。

  • ①私の個人主義
    自分の心臓部を見つけなければいけない。鏡に映った自分ではなく、自分で自分を見て、たどり着けるようなもの。人と横並びに同じようにさせる教育がどれほど危険か、集団化するか、そういうものもわかる。自由も力もお金も、「育ちのよさ」的なものを掴んでいけなければ破綻する。

  • 夏目漱石

    「私の個人主義」「現代日本の開花」ほか文明批評集。

    普通なことを 淡々と言っているので 小説が かもし出す 「辛うじて保たれている精神」みたいなものを感じない

    「私の個人主義」は 国家主義からの脱却を意図している様子。「現代日本の開花」「模倣と独立」は 人間論、日本人論な感じ


    現代日本の開花=漱石の思想の核心
    *開花=人間のエネルギー発現の経路→西洋の開花=内発的
    *日本の開花=外発的〜今まで内発的だったのが 急に 自己本位能力を失って 外から無理押しされた
    *開花=活力節約の行動+活力消耗の趣向(道楽)
    *現代日本の開花=皮相上滑りの開花である

    私の個人主義
    *自己の個性を遂げるなら、同時に 他人の個性も尊重する
    *自己の権力を行使するなら、それに付随する義務を心得る
    *自己の金力を示すなら、それに伴う責任を重んじる
    *意見の相違は どうする事もできない

    模倣と独立
    *人は人の真似をするものである
    *人は 一方では模倣、一方では独立の思想を持っている

    硝子戸の中〜日常の見せかけの平穏は 眼に見えぬ実在と その爆発の危険の上においてのみ 辛うじて保たれる

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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