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- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000611565
感想・レビュー・書評
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くろかねの窓にさしいる日の影の移るを守りけふも暮しぬ
管野須賀子
満29歳。須賀子が国家に命を奪われたときの年齢である。1911年(明治44年)、「大逆事件」と呼ばれる事件の唯一の女性被告として、死刑判決を下された。夫の幸徳秋水も、刑死した1人であった。
彼女が獄中で書き残した手記に、「犠牲【にえ】」という言葉がいくつかあり、以前から気になっていた。それが、キリスト教でのイエスの犠牲と重ね合わされたものだと、近刊の評伝で知ることができた。
1881年(明治14年)、大阪市生まれ。父が事業に失敗し、母も早世してからは、病弱な妹との暮らしのため、自立した生活を目指した。「大阪朝報」で、当時は珍しい女性記者として健筆をふるい、先駆的な仕事もなしていた。ところが、資金繰りのためか同紙は廃刊。突然の失職という苦難が彼女の身に降りかかったのである。
その後まもなくして、大阪天満基督教会(現、日本キリスト教団天満教会)で洗礼を受け、クリスチャンになった。讃美歌を歌うのもうまかったという。けれども、大逆事件に関わったことからか、長く、同教会の「昇天者名簿」には名を刻まれていなかった。
2014年になって初めて昇天者名簿に名が刻まれ、その背景には、大学院で歴史神学を学んだ研究者の論文の成果もあったという。名誉回復に、百年以上もの月日が経ったという事実は、今なお重い。
女性自身の意識の変革、精神の自由と解放を志した須賀子の生を再考してみたい。
(2017年4月16日掲載)詳細をみるコメント0件をすべて表示
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